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2003年ヒッチハイクの旅 〜0番線〜 10日目「ゴール」

 山口駅でも0時に閉め出されてしまった。どうしよう……。さっきの道の駅でも閉め出され、ここでも閉め出され。ついに、旅が始まって10日目になってしまった。
 眠い。
 国道まで戻ることにした。
 商店街のベンチで座って少し眠ったあと、若者が仲間たちでロケット花火の撃ち合いをしている公園の近くを通り、国道に出る。
 国道を下関方面に歩く。途中コンビニで地図を見て、「関門トンネル」という文字と「下関」、「門司」という文字を見てピンときた。そうか、それぞれの文字を取って「関門」なのか。気づかなかった。青森と函館を取って「青函(せいかん)」、大阪と奈良を取って「阪奈(はんな)」。それと同じなのか。
 おにぎりを買い、食べながら歩く。

 辺りはいつしか明るくなってきていた。信号機のちょっと先でヒッチハイク開始。
 新聞配達の人がいる。朝の散歩かなにかの人も通る。部活であろう、集団でマラソンをしている人らも通り過ぎていく。
 そうして、1時間ほど時間が経つ。どうしよう。もうやめようか先に進もうか。前に、1時間してあきらめようとしたそのすぐ後に車が停まったケースが2回もあるので、もう少し待った。で、その5分後にスケッチブックをしまい歩き出す。時刻は6時35分。
 さっきのマラソンをしていた人たちが戻ってくるところと遭遇してしまったのがちょっと恥ずかしかった。「あ、この人、ヒッチハイクできなかったんや」なんて思っているのだろうな。
 歩く。歩く間にすっかり朝の感じがなくなってきた。天気予報で言っていた通り天気も回復してきて、交通量も多くなってきた。

 2時間ほど歩く。大きな、車が停まるスペースがあった。バス停ではない。ヒッチハイクをしろといわんばかりの場所である。さっそく「下関」をかかげた。
 反対車線からUターンしてくる車が見えた。そして、私の前で停まった。そして、いつもどおり運転席の男の人に下関まで行くか確認し、どこか聞いたことのない地名のところまで行くらしいが、乗せてもらう。
 そして、話を聞いていけば、下関より先の九州福岡まで行くとのこと。
 ということは、そういうこと。
 ゴール確定!

 山口県の下関を過ぎ、海の下を走る関門トンネルへ。午前10時30分ごろ、九州上陸!
 約10日間。この24台目でゴールを迎える。
 念願叶って遥か九州まで来ることができた。
 一人で拍手なんぞしてみたり。そして、私の感想は、
〈あ、やった〉
 そんなものだった。あんまり感動がなかった。「あんまり感動せーへんやろうなぁ」と九州に近づいていくたびに思っていたけど、そのままだった。関門トンネルを抜けたところで、あまり変わることのない街並み、曇った空、平然と行き交う人、車。必死に、私は、なにか九州へ来たという感動を与えてくれるものを探した。
 海が見えた。その向こうに陸地が見える。あれが本州だという。
 それを見て、やっと九州に来れた、私は九州に来たという実感が湧いた。
 そうだ、私はやってやったのだ。

 コンビニでコーヒーをおごってもらい、これから、福岡の小倉というところまで行くというおっちゃんに、その先に行くかどうかを聞かれ、私はその先の博多まで乗せてもらうことにした。博多でKちゃんに会おうと思った。
 軍手などを売ったりする仕事をしているらしく、小倉にある自衛隊のあるところに営業かなにかをしにいっている間、近くの本屋やコンビニで時間を潰し、そして博多へ。

 その記念すべき最後に乗せてくれたおっちゃんは、また面白い人だった。今までの経験を聞いた。
 四国の人で、遊び人風で金持ちのようだった。外見はそういう感じではないが。東北では大阪弁がモテるので、自分は大阪人やと言って飲み屋で女の子を誘うという。子供が三人おり、女、男、男。
 そして、鹿児島と北海道に彼女がいるらしい。もちろん奥さんがありながら。さらに驚くのは、奥さんはその彼女を知っている。自分で「彼女がおる」と奥さんに言っているから。つまり奥さんも認めている公開不倫。しかし、それでも必ず奥さんのもとに帰ると奥さんに言っているという。
 彼女には車を買ってやったりするらしい。仕事柄、北海道にも鹿児島にも行くからそのときに会ったりするという。
 よく話してくれ、ほとんど聞き手だった。ラーメンもご馳走になった。最後のほうは眠くて寝てしまった。
 そして博多に到着。お別れ。
「いい暇つぶしになった」
 おっちゃんは、いい意味でそう言ってくれた。私なんかが役に立ったのだろうか。役に立ったなら嬉しいことだ。こっちはなにもしてあげることなんてできなかったのに。
 このまま仕事についていってくれるなら鹿児島まで行くというが、ここで降りることにした。ちょっと行ってみたい気もしたが、ただ「このまま乗っていれば着いてしまう鹿児島」は、あまり行く意味もないと思った。青森から福岡までヒッチハイクで行ったという肩書きが、青森から鹿児島までになったところで大して変わらない。これが、北海道の最北端から来たというなら話は別だけど。青森の海から、山口の海を越え、九州へ。つまり本州を横断したという肩書きができた。それだけで充分だろう。

 福岡駅という名前だと思っていた博多駅まで歩く。
 Kちゃんとメールでやりとりし、博多駅で明日会うこととなった。
 電話帳で見つけた近くの銭湯に行き、お風呂に入り、コインランドリーで洗濯をした。

 京都駅と同じく、駅にベンチがなかったので、博多駅前の像のところで野宿をした。
 朝になり、その像の前で待ち合わせをし、ネットのお絵描き掲示板で仲良くなったKちゃんと無事会うことができた。昼前に会い、夕方お別れ。博多案内をしてくれることを期待していたけど、なにも調べていないとのことだったので、「なにするー?」「どこいくー?」を連発しながら博多駅周辺をうろうろ。それでもいろいろ話をすることができた。クールなイメージがあったが、まったくその逆で第一印象が「おもろい人やなぁ」だった。そして、それは帰るまでその印象のままだった。

 ヒッチハイクをして、青森から九州に行くこと。そして、ネットの人に会うこと。それらが終わった今、「0番線」終了である。
「パソコンばっかりやってると根暗になるぞ」
 とヒッチハイクをする前に罵られたことがある。しかし、パソコンをやっていなかったら、もしかしたらこんな旅に出ていなかったかもしれない。
 そしてこの日も昨日と同じ場所で野宿をした。次の日は、山形の人にポストカードを送った。
 少々この旅に物足りなさを感じた私は、交通費節約も兼ねて、帰りもヒッチハイクすることを決め、歩き出した。

 おわり


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