『葬送のフリーレン』名言集 3話
全く放送に追いついていけないペースで書いている名言集。
やっと3話まで来ました。
既に公開している1話、2話もお読みいただけると嬉しいです。
さて、3話。いってみましょう。
今回も名言が目白押しです。
このわずか数秒のやり取りが何を表現しているか。
それを考察すると人間関係って、本当におもしろいなと感じます。
フリーレンがこういう顔をする時に何を考え行動するか。それをフェルンはわかっています。
一転、アクセサリーショップで悩むフリーレンを見て、あんな悩んでいる顔を見たことがないとも言っています。
この対比が面白いわけですよ!
人間同士って、結局どこまで行っても全部はわからないものですよね。
付き合いが長くなると、当然のことながらわかることは増えていきます。
しかし所詮は氷山の一角。
実際には、まだまだ知らない一面もあるのだということを表現しているのではないかなと思います。
前半が「わかった気になっている」のに対し、後半が「まだまだ知らない面がある」という対比を実際の人間関係に照らし合わせてみるとうまさが実感できます。
人間関係なんて、思っているほど単純なものではなく、わかったような気になっていても、見えないところもあるんだよってことなんだと思います。
慣れないことをするフリーレン。
棒読みになり、動きはぎこちない。
この後すぐに勇者パーティーとの回想が挟まれます。
当時のフリーレンは仲間のことを何もわからない状態だったのです。
でも今は少し違う。
フェルンの誕生日にどうするのが一番なのか考えた。その答えがプレゼントを贈ることだろうと思った。その自分の心の動きに従って素直に行動に移せるようになっている。
フリーレンは変わったのだ。なんて下手な小説みたいに直接な言葉で語らず、演出と話の流れで視聴者に訴えてきます。うまいんですよね。こういうところが。
皆さんは誰かのプレゼントを選んだことがありますか?
実は私は先日知人の誕生日プレゼントを選ぶ際に悩んだのです。
ある程度目星はつけていたのですが、いざ選ぶ段になると、その人のことを考え、何がいいだろうかと真剣に悩みました。考えれば考えるほどに、相手のことを思っているのだなと実感したものです。その時の私の気持ちと重なった!という感覚が強くあったことが、この場面を面白いと感じた理由かもしれません。
フェルンの嬉しさはわかりますよねぇ。え?わからない?そんなことはないでしょう。意外な点を褒められたり、そんなところまで見てくれているんだと思うような指摘をされたり。そんな経験はありませんか?
知ろうとすること自体、ほとんどの場合は好意の表れなのですよ。たとえ好意の手前だったとしても、相手に関心を寄せていないと、プレゼントの選択に悩んだりしないでしょ。当然「ごめん」から始まるフリーレンの謝罪の言葉+プレゼントのシチュエーションも生まれなかったのですから。
フェルンはフリーレンに対して関心、好意を抱いている。それを普段の言動で表している。それが少しずつでもフリーレンに通じているのだと感じた瞬間なんだと思います。だから嬉しかった。しかし、表情や仕草だけではフリーレンには伝わらないことも承知している。だからわざわざ前置きを入れてまで、言葉で伝えたのですね。
自分の心の動きがわからない。だから行動してみることで、それが何なのかを確かめようとしている。心の葛藤が表れています。
フリーレンは勇者一行との冒険で確実に何かを感じ、考え、思ったはずなのです。しかし、それが一体何なのか、その正体がはっきりとはわからない。『葬送のフリーレン』という物語自体が、それを確かめるための旅路なのです。
これは私たち大人が、子どもの頃に感じたことを確かめるために、その場所へ行ってみたり、思い出そうとしたりするのと同じなのではないでしょうか。
IT業界に身を置く者にとって金言です。
現場でたくさんのプログラムを書いても、一定のパターンしか学べません。人間の記憶というのはとても曖昧なのです。しかしそれが思わぬ効果も生み出します。ひょんなことから一見何の関係もなさそうな記憶同士が結びつくことを体験したことはないでしょうか。そのような経験が多い人ほど「なるほどな」と感じた言葉だと思います。
記憶の結合を起こすには、事前に座学を通して周辺知識を十分に仕入れておく必要があります。それが多ければ多いほど、広ければ広いほど、実践(実戦)で学べることも広く深くなるのだと思います。
一見何の関係もなさそうな知識や情報でも、頭の中に入れておくことで役に立つことはたくさんあります。55歳を過ぎた私でも小学校や中学校で学習したことが役に立つこともありますからね。
一つのことから二も三も知る人と言うのは、事前の準備を周到にしているのだということですね。ならば、毎日勉強を続けるのが吉ってことです。
ヒンメルがフリーレンをどれだけ深く信用していたかが表れたセリフですね。実際に封印が解ける頃には村にやってきているわけですから。
村人はヒンメルを信用していて、ヒンメルはフリーレンを信用していた。そういう関係です。
村人→ヒンメル→フリーレン っていう関係
信用と信頼って言葉はよく似ているけれど、使われ方が違いますよね。何が違うかっていうと実績が関係しているか否かです。
信頼は初対面でも可能だけれど、信用は実績に基づくものです。
ヒンメルがフリーレンを信用していたのは、魔王討伐までの10年があったからです。村人がヒンメルを信用していたのは、勇者としての魔王討伐の事実に加え、毎年村を訪問していた実績です。
このセリフは事実と実績に基づいた信用を表した深い言葉なのだと思います。
クヴァールによって開発されたゾルトラークは強すぎた。
そのせいで、人間たちは躍起になって克服へと動いたのだ。
この話で私が想起したこと。それは国際的なスポーツにおいて度々起こるルール変更です。日本が強くなると起こるやつですね。
1990年ごろのノルディック複合競技。
ワールドカップで個人総合3連覇を達成するなど、荻原健司さんをはじめとする日本勢が余りにも強すぎた時期がありました。前半のジャンプで大差のリード獲得し、比較的弱いとされていた後半の距離は、ジャンプのリードを活かして逃げ切るという必勝パターンで勝ちまくったのです。
また1992年アルベールビルオリンピックの団体戦でも日本が金メダルを獲得します。
その後、ジャンプの回数削減(3回→2回)とポイントの削減が何度が行われ、ジャンプで優位を築くという日本勢の必勝パターンは骨抜きにされていきました。
出る杭は打たれるという諺もありますからね。
IT業界も似たような動きです。
どこかの会社が画期的なハードウェアやソフトウェア、サービスを作り出すと、必ず2番目、3番目が出てきます。そしてやがて追いつき、時には追い越します。
今では表計算ソフトとしては誰もが使うExcel。
私がこの業界に入ったころには、まだありませんでした。
誰もがLotus1-2-3を使っていましたね。
ワープロソフトのWordも同様で、当時は一太郎が大きなシェアをもっていました。
その昔はExcelが使える!Wordが使える!ってだけで、かなり重宝がられていた時期もありました。今では大卒ならだれでも使えますよね。ほとんどの大学では入学時にPCを買うわけですから。
そうやって、新しいものは常に研究対象にされ、やがて丸裸にされたのち、広く一般に使われていき、やがて当たり前のものになっていくのでしょう。
まとめ
3話は時の流れというものを感じる台詞が多かったと思います。
年を取った人ほど、「ああ、そういうことなんだ」と納得できる言葉の数々だったのではないでしょうか。
がんばって4話以降も書いていこうと思いますので、応援していただけると嬉しいです。
追記 4話も書きました
いただいたサポートは、おじさんの活動費としてとんでもなく有用に使われる予定です。