ブレヒト版『アンティゴネ』の翻訳ノート⑸:第四エペイソディオンと第四スタシモン

第四エペイソディオン(B744-B856)

ソフォクレスの第四エペイソディオンに対応するブレヒトのテクスト(B744-856)は、アンティゴネの嘆き(コンモス)から始まり、コロスとの応答、クレオンを交えての対話とアンティゴネの退場と続く。ヘルダーリン訳をかなり利用しつつ、ブレヒトの独自テクストの比重が増えてゆく。

B762-766
Siechtum raffte dich nicht, des Eisens
Handlohn, das Eisen, empfingst du nicht.
Sondern dein eigen
Leben lebend, gehst du lebendig
Hinab in die Totenwelt.
T:「病いにたおれたわけでもなく、/鉄の剣の褒美をもらったわけでもない。/ただ自ら望んで、
生きながら黄泉の国へと下りていく。」
I:「病に衰えてあの世にさらわれるのでもなく、褒賞として/剣でむかえられたわけでもない。/貴女は自分の生を/燃焼させて生き、生きたまま/死の国に赴かれるのです。」
K:「病いに拐われたのでも/鋼(はがね)の報いの鋼を受けたのでもなく/ただ自分の生き方を貫いて /生きたまま地下へ、死者の世界へと赴くのだ。」 

B762-766

ソフォクレスの、"οὔτε ξιφέων ἐπίχειρα λαχοῦσ'"「剣の報いを受けるのでもなく(
S820)」をヘルダーリンは"Nicht für das Schwert empfängst du Handlohn"と訳したが、ブレヒトは"des Eisens / Handlohn, das Eisen, empfingst du nicht."と書き換えた。
ソフォクレスの「剣の報い」の属格は主語的(剣が報いを与える)にも客語的(剣を奮った報いを受ける)とも取れるが、いずれにせよ戦死の意味。病死は自然死を、戦死は暴力的な死を代表する。ヘルダーリン訳は「剣のために報いを受けた」で、ソフォクレスを客語的属格と解する。ブレヒトの「鋼の報いの鋼を」は、ヘルダーリン訳の「刃をとった報い」であることをよりはっきりさせている。
岩淵は、訳注として「呉茂一氏の原典訳だと、「刃をとった報いを受けたわけでもなく」となっているが、ヘルダリーン訳によるブレヒト全集の注では、「死神がその刃を振るって生者を死者にすること」と注釈している。たしかにアンティーゴネはこの世で「刃をとった」ことはないので、こちらの解釈のほうが正しいと思う」と述べるが、それだと全ての死が当てはまる気がする。Brecht (1992)の注では、"Umschreibung für den Tod im Kampf (durch das Schwert)"「(剣による)戦死の書き換え」とあるが、当然そうなると思う。

生きたまま墓に閉じ込められることを嘆くアンティゴネに、コロスが次のように答える。

B779-781
Macht, wo es die gilt
Die weichet nicht. Die hat verderbt
Das zornige Selbsterkennen.
 T:「権力は、輻をきかせているところでは、/決して譲ることはしないものだ。/烈しい性が、この女を破減させたのだ。」
I:「権力がまかり通っているところでは/権力は譲ることはない。あの女を破滅させたのは/彼女の
激しい自負の気性ですよ。」
K: 「糾されたときには、権力は/譲りはせぬもの。怒りに満ちた自負を/権力が滅ぼした。」

B779-781

一文目、ソフォクレスは"κράτος δ' ὅτῳ κράτος μέλει παραβατὸν οὐδαμᾷ πέλει,"(「権力を持つ人には、権力は不可侵なるものなのです」 S873-4)で、ブレヒトはそのヘルダーリン訳をそのまま使用。ソフォクレスで「権力を持つ人にとっては(τούτῳ) ὅτῳ κράτος μέλει」をヘルダーリンはwo es die giltと訳す。幅をきかせたりまかり通ったりしていないものは権力ではないので、ここでのes giltは「~がかかっている」かしら。私は「糾されたときには、権力は /譲りはせぬもの」と訳した。
二文目、ソフォクレスは"σὲ δ' αὐτόγνωτος ὤλεσ' ὀργά." 「あなたを滅ぼしたのは、自らを恃むそのご気性。」 αὐτόγνωτος はself-determing(自分で決める)でὀργά(気性)を修飾しているが、ヘルダーリンはDich hat verderbt Das zornige Selbsterkennen(怒りに満ちた自負があなたを滅ぼした)と訳し、ブレヒトは、Dich を Dieに変更。両訳とも「こ(あ)の女」と訳し、コロスが語り手として叙事的な言い方をしただけと捉えるが、dieが指すのは、 Flashar (1988: 404)が指摘する通り、直前の女性名詞のMachtだろう。Machtを示すdieは一文目で二度用いられている。そうすると「権力が怒れる自負を滅ぼした」になり、一文目との繋がりもはっきりする。この文でコロスが語り手になる理由がない。ブレヒトは、dichをdieに変更しただけで、文の意味を全く違うものにした。

コロスが囚われるアンティゴネをダナエに擬え、彼女自身はニオベに擬える、ニオべの物語の描写で、

B800-805
Höckricht worden sei die und, wie eins Efeuketten
Antut, in langsamen Fels
Zusammengezogen; und immerhin bei ihr
Wie Männer sagen, bleibt der Winter
Und waschet den Hals ihr unter
Schneehellen Tränen der Wimpern.
T: 「ひからびて、きづたの蔓が絡むように、/だんだんと石になっていったという。/彼女のそばには、いつも冬がつきそって、/まつげの下の雪の涙で、彼女のうなじを洗ったという。」
I: 「ひからびてきずたの墓のようになり/徐々に岩壁の一部になったという、/彼女によりそうのは/つねに冬ばかり、と男たちは言います。/冬は睫毛の白銀のような涙で/彼女のうなじを洗った、と。」
K:「隆起した瘤となり、/ツタを身に纏うかのように /ゆっくりと岩を引き寄せ縮んでいった。 /人の話では、冬がその傍らに留まり /まなじりから流れる雪の輝きの涙で/そのうなじを洗っていると」

B800-805

この箇所は B800で語順が一箇所変わるだけでヘルダーリン訳そのものだが、ヘルダーリンがソフォクレスから意図的に外れて自由に訳している。死んだ子供のことを嘆くニオベは干からびて縮み、徐々に岩を引き寄せて縮んで行った。その姿は今のシピュロスの頂きの姿に見てとることができる。「冬がその傍らに留まり /まなじりから流れる雪の輝きの涙で /そのうなじを洗っている」はシピュロスの頂きの(物語の中での)現在の様子についての報告なので、ソフォクレスでもヘルダーリンでも現在形(λείπει, τέγγει, bleibt, waschet)が用いられている。

コロスがもうアンティゴネを見捨てているという彼女からの非難に対し、コロスはドリュアスの子の逸話を持ち出す。

B815-819
Auch gehascht ward behend des Dryas Sohn in
Begeistertem Schimpf der Unbill von
Dionysos und  mit stürzenden
Steinhaufen gedecket.
T: 「ドリュアスの息子もまた、/バッカスの不正をはげしくののしり、/とらえられて、なだれ落ちる岩の牢獄にとじこめられた」
I: 「ドリュアスの息子もディオニュソスの不正を/激しく罵ったために捕えられ/なだれ落ちる岩石
の山に/埋められました。」
K:「ドリュアスの子も、不正なる嘲罵を喚き立てているさなか、/素早くディオニュソス様に捕らえられ、険しき岩の牢獄に閉じ込められた。」

B815-819

ヘルダーリンでは、”gehascht ward zornig behend Dryas Sohn,/Der Edonen König in begeistertem Schimpf Von Dionysos, von den stürzenden Steinhaufen gedecket."で、von Dionysosはgehascht wardに係り「ディオニュソスによって捕えられた」。ブレヒトはUnbillを付け加えるのでSchimpf der Unbill von Dionysosと解することも、ヘルダーリンの場合よりは容易。解釈の問題とも思うが、「ディオニュソスの不正」が文脈から外れすぎているので「ディオニュソスによって捕えられた」。
「なだれ落ちる岩の牢獄」は両訳共通だがよく分からない。stürzenには「急勾配になる」という意味もあるのでstürzenden Steinhaufenは「切り立った岩の牢獄」ではないかしら。
C:"the son of Dryas, when his mouth ran over/ Scolding the wrong, by Dionysus /
He was. swiftly seized and buried under chutes of stone" は、不正な小言をいうのか不正にたいして小言を言うのかは曖昧だけれど「ディオニュソスによって捕えられる」。ただし、次行のアンティゴネは「お前たちが不正の嘲罵をかき集め、/そこから私の涙などは拭き取って、役に立ててくれていたならずっと良かった。」(B820-822)なので、「不正への嘲罵」だがそれはクレオンの不正。

アンティゴネは退場に先立ち、テバイの運命を予告する。ここからはテクストはソフォクレス(ヘルダーリン)を離れる。

B839-841
Andere Körper,
Zerstückte Werden euch liegen, unbestattet, zu Hauf um den
Unbestatteten.
T:「もっと多くの亡骸が切り刻まれ、/弔いもされず、山となってほうり出されることでしょう。」
I:「切り刻まれた死体の切れ端が埋葬もされず
に山積みにされ/埋葬されぬ兄の死体のまわりに転がっている。」
K:「さらに死体がいくつも切り刻まれ、 /お前たちの前に放り出され、埋められぬまま、 /埋葬されない兄様の周りに積み重ねられるだろう。」

B839-841

um den Unbestattetenは単数形なので「埋葬されぬあの人」でポリュネイケスのこと。その点では岩淵訳が正しいが、時制は未来。アルゴスがテバイを攻めるのはこれから。C: "Other bodies, hacked /Will lie in heaps unburied around / That one unburied."

アンティゴネ退場場面でのテバイへの呼びかけの最後、

B852-854
Aus dir sind kommen
Die Unmenschlichen, da
Mußt du zu Staub werden.
T: 「お前が人間らしくなくなる<らいなら、
泥にまみれて滅びるがいい。」
I: 「でもテーベは人非人ばかり生みだしてきたから/私も滅びて当然なのだわ。」
K: 「そのあなたから人でなしどもがやって来た、 /だからあなたも塵にならなくては。」

B852-854

谷川訳は前半が、岩淵訳は後半がおかしい。ヘルダーリン/ブレヒトは二人称単数に一貫してduを用いているので、「あなた」とするか「お前」とするかは文脈による。ここでは、呼びかけの冒頭に、「愛するテバイ、我が祖国!」(B849-850)とあるので、「あなた」にした。

第四スタシモン(B861-886)

ソフォクレス版の第四スタシモンは、ダナエ、リュクルゴス、ピネウスの一族の運命を詠うが、ブレヒトはそれらの話を第四エペイソディオンの中に組み入れ、第四スタシモンに対応する箇所は全く独自のテクストで、アンティゴネを階級闘争的な視点から評価する。ここでもまた、コロスは登場人物としてではなく語り手として、「テバイは今も目が見えぬまま」とコロス自身を含むテバイを断罪するアンティゴネの評価を受け継ぐ。物語世界外的な語り手になる。コロスによる批判はアンティゴネにも及ぶ。

B862-867
Aber auch die hat einst
Gegessen vom Brot, das in dunklem Fels
Gebacken war. In der Unglück bergenden
Türme Schatten: saß sie gemach, bis
Was von des Labdakus Häusern tödlich ausging
Tödlich zurückkam.
T: 「だがあの娘もかつては、/奴隷たちが焼いたパンを食べていたはず、/不幸を隠す砦のかげで、/ぬくぬくゆったり座っていたはず、/ラブダコス家の一族から、/人を殺しにでかけた戦争が人を殺しに帰ってくるまでは。」
I: 「でもかつては彼女も、暗い石室で/奴婢たちの焼いたパンを、食べていた王女の身/民の不幸など隠してしまう高楼に住み/穏やかに生きていた。ラプダコス一族のものが/殺識の戦場に出か
け、殺識に帰還してくるまでは。」
K:「だがあれもかつては、暗い岩壁の中で焼かれたパンを食べていた。/不幸を宿す塔の影で 、ゆったりと坐っていた。 /だがそれは、ラブダコスの家々から、/死を与えに出て行ったものが死と共に戻ってくるまで。

B862-867

ここは解釈の問題。両訳とも「奴隷」「奴婢」を補うが、これはブレヒト自身が「改作のためのコメント」(AM216)で、コロスがアンティゴネも不正に責任があると述べ「隷属(Knechtschaft)のうちに焼かれたパンを食べ、城の陰で安楽に座していた」と述べていることを訳文に反映させたもの。Türme(塔)を、「砦」「高楼」と訳すのもこのコメントによる。マリーナは「塔」を収容所を連想させるprison towerと訳す。私はそちらの方が適切だと考える。塔の中での隷従を知らずに、その外で座っていた。
「ラブダコスの家々から、死を与えに出て行ったもの」に谷川訳は「戦争」を補い、岩淵訳は「ラブダコス一族のもの」と訳す。アルゴスへと殺戮に向かった「もの」が、戻ってきてポリュネイケスを殺したことが含意されている。

参照文献

⑴~⑺共通で、⑴の末尾に記載

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