マイナスをゼロにするのは、不毛ではない。

ツイッター上で、上記のようなツイートを発見したので、引用リツイートという形で次のツイートをしました。

このツイートが、現時点で575リツイートをされています。

ツイートアクティビティによると、68,224回見られたようです。

上記ツイートは、次のツイートに対して引用リツイートという形で出したものです。

いじめ・嫌がらせに対して復讐をするというのは、社会的にはあまり褒められるものではありません。そのため、すでに上記ツイートに対して、ご批判も頂いています。

たしかに社会全体から見れば、復讐は肯定できるものではありません。怪我を負わした加害者中学生が14歳以上で、刑事責任を問える場合であっても、刑事責任を負わせるのは酷であると、社会ではなるでしょう。

しかし、被害者が奪われたものを取り戻すという視点は、ここにはありません。法的責任を負わすことでさえ許されないなら、どうやって奪われたものを取り戻せばよいのでしょうか?

上記のように復讐は社会的には許容されません。その上で、被害者自身も、復讐というものは肯定しずらいものなのです。

社会的に観れば復讐はマイナスの連鎖を生むか、よくてもプラスマイナスゼロです。プラスになることはありません。

だからこそ被害者としても、肯定しにくいのです。

ですが、マイナスをゼロにしようとする行為そのものは、決して不毛ではありません。プラスに進むために勇気を出した経験、そしてプラスにすることができた実績が、本人には残るからです。

客観的には被害を受ける前のフラットな状態に戻っただけであっても、マイナスからゼロにするだけの分の経験が、本人には残ります。そして、それが今後の困難において支えとなるのです。

他人の悪意・害意に立ち向かった経験、乗り越えた経験は、その後の人生において大きな力となります。新しいことに挑戦するときも、”たとえ誹謗・中傷を受けても、私なら乗り越えられる”と思うことができます。恐怖に震えながらも一歩足を踏み出した経験が、そこで生きてくるのです。私自身もそうです。

ですから、マイナスをゼロにしようとすることは、決して不毛なことではありません。それはあなたの自己尊厳を取り戻すための行動です。

将来の自分のために、ぜひ立ち向かってください。もちろん、立ち向かわないという決断が悪いわけではありません。ただ、社会的に不毛だと言われる行為であっても、それは被害者の視点に立つと意味があるということは、ぜひ知っておいてほしいと思います。

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