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Hi-STANDARD

『ほんまに入って大丈夫?』

『大丈夫!まだ絶対帰ってけーへんから!』

1995年、三重県の片田舎であった中学生の会話。
友人のお兄ちゃんの部屋にこっそり入ってCDを聴き漁るという行為を定期的に行っていた。
当時、ブルーハーツしか聴いていなかった俺には
『英詞』+『ブルーハーツより早い!』=【なんかカッコいい!】衝撃だった。

俺が【Hi-STANDARD】と出会った日。

SNS、ましてやネットさえもなかった時代。
推測だが、全国の同世代は同じような出会い方をしているのではないだろうか?
部活以外やる事がない田舎の中学3年生、ハイスタにのめり込むまで時間はかからなかった。
CD、ビデオ、ハイスタが載っている雑誌、自分で買える物は全て集めた。
シカゴブルズが快進撃を続ける1997年、高校生なった俺はしっかりバスケとハイスタの虜になっていた。
2枚目のアルバム『ANGRY FIST』が発売された年だ。
当時、地元の伊勢でインディーズのCDを売っているのが【相可屋】というお店しかなく、そこに足繁く通った。
発売日にギリギリのお金だけ握りしめてCDを買いに行った。帰りのバスですぐに開封しCDウォークマンで聴いて帰った。

のめり込むほど、『LIVEに行きたい!』
という気持ちはどんどん強くなるが、バスケ部は年間数日しか休みがなく、【ハイスタを見に行く】為の時間もお金もなかった。

1999年、高校を卒業して就職の為に大阪へ。
その年の6月30日、『MAKING THE ROAD』が発売。
6月29日(今でいうフラゲをしに)、仕事終わりアメ村のタワレコへ。その時買ったCDはもちろん、その時のレシートまでまだ持っている。笑

1999年6月29日アメ村のタワレコで買った
『MAKING THE ROAD』のCDとその時のレシート

その夏、初めて生でハイスタを見るチャンスが訪れる。
MAKING THE ROAD』のtourで大阪は十三ファンダンゴにハイスタがやってくる。

しかし…

チケットが取れなかった。
それでも仕事終わり(当時は京橋の営業所で定時が17:05)ダッシュで十三の駅へ。

【ハイスタのチケット譲ってください!】

と書いたダンボールを掲げて『お願いします!』と繰り返した。
そして奇跡的にチケットが見つかり開演15分前にファンダンゴ到着。1995年に友達のお兄ちゃんの部屋で初めて聞いてから4年。やっとLIVEを見ることができた。

そしてその翌年、2000年夏。
人生初のフェス【AIR JAM2000】に参加。
梅田のHEPにあったチケットぴあに徹夜で並んで手に入れたチケット。
オフィシャルのTシャツ欲しさに前日の夜から物販の列に並ぶ。一万人近い人が並んでいたらしい。
高校生の時にスペシャで放送された『AIRJAM98』のビデオを擦り切れるほど見た。(実際に擦り切れて見れない部分もあった)
あの憧れのAIRJAM。

人生初のフェス【AIRJAM2000】

前日の夜に友人の携帯が盗まれたり
オフィシャルの水含め全てドリンクが売り切れて、トイレの水で水分補給したり
大変な事もあったけど、最高の思い出です。 

これからいっぱいハイスタが見れる!と思った。まさかここから11年もハイスタを見れない事になるとは思わなかった。正式な報告もなく突然の活動休止。
良くも悪くもネットが普及し色んな憶測が飛び交った。『もうハイスタは見れない』
そんな諦めから11年。

2011年、3月11日、東日本大震災。
未曾有の大災害。
誰よりも早くアクション起こしてくれたのがハイスタをキッカケに知った沢山のバンドマンだった。
そして2011年の4月26日の正午

Twitterに投稿された3人の写真

この写真と共に

『9.18 ハイスタンダード AIRJAM 届け!!!』

と3人が同時にツイートした。
日本の為に3人が立ち上がってくれた。
11年ぶりのAIRJAM。
11年ぶりのハイスタ。
職場の更衣室で泣いたのを今でもはっきり覚えている。

そこからいけるLIVEは全部行った。
『また次がある』なんて【絶対】にないと2000年の夏に知ったから。
1999年の8月から2017年の12月まで合計13回、ハイスタを見た。

ハイスタのLIVE記録

2023年6月18日、14回目のハイスタを見に今夜から東京に向かう。
14回目のハイスタは今まで見たハイスタとは違う。
今年の2月14日にハイスタのドラム、ツネさんが亡くなった。信じらなかったし、職場で嗚咽するぐらい泣いてしまった。2011年の4月とは違う涙だった。

ツネさんとは一度だけ話をしたことがある。
2001年8月26日、アメ村のサンホールで『HOLDING R』というイベントが開催された。
俺は普通にをチケット買ってお客さんとして遊びに行った。ツネさんはDJで出演していた。
DJで来ていたMOBSTYLESの田原さんに声をかけたのがキッカケでなんと打ち上げに連れて行ってもらう流れになった。
それだけでも凄いことやけど、なんと2次会でカラオケに行くことになった。
更にはカラオケで俺の隣にツネさんが座った。

打ち上げ会場にて
Mobのトシさん(上)ツネさん(右)20歳の俺(左)

緊張と興奮でどうにかしてしまいそうやったけど、お酒の力を借りてツネさんに思い切って話しかけた。
お酒の力が余分に働き『話しかけた』を通り越して『夢を語ってしまった』。笑
でもそれを『うんうん、凄くいい夢だね、応援するよ』
と優しく丁寧に聞いてくれた。

あの時話した夢とは違う形やけど
今、『ISE STANDARD』って名前で楽器の代わりにベッドを持って全国を回っています。

健康の為には『好きなモノがある』って凄い大事だと思っていて、それを自分なりの形で色んな人達に伝えていけたらと思ってます。
何年後になるか分からないけど、そっち行った時にいい報告できるように頑張ります。

2016年のAIRJAM(福岡)の時にインタビューでこんな質問をされた。

『あなたにとってハイスタとは?』

俺はこうやって答えた。

『自分の中での【絶対】です』

世の中に絶対なんてなかなかないけど、ハイスタは俺の中での絶対。これは今も変わんないです。

これは俺のかなり抜粋した想いや出来事であって、全国には何万人と世代を超えたハイスタファンがいると思う。
同じ気持ちを持った人達が明後日、幕張メッセに集まると思うとワクワクが止まらない。

LIVE後に感想をプラスしてこの記事を完成させたいと思う。


勝負Tシャツも引っ張り出して、さぁ準備万端。

『よっしゃこい!』


2023年6月18日
『SATANIC CARNIVAL』day2。
5年ぶりにハイスタに会える日。

宿泊していた中野駅から電車に乗る。
会場の海浜幕張駅までは東京駅で一度乗り換えをしないといけない。
東京駅までは満員電車。途中急病人が出て電車が遅れたせいもあって『イライラ』した空気感が伝わってくる。
東京駅からの電車も満員電車だったが空気感が変わった。
『イライラ』から『ワクワク』に変わった。
電車内はバンドTシャツを着た人が多く、それを見ているだけで楽しくなってきた。

会場に着いてからは出来る限り沢山のバンドを見た。
LIVE以外にも色んなブースがあって楽しみにしていたLIVEペイントへ。
IBUちゃんと出会ったのは5年前で、当時彼女はまだ高校生で焼き鳥屋さんでバイトをしていた。
出会った日から『音楽が大好きで、いつか自分の絵で大好きなバンドと仕事がしたい』と目を輝かせていた。

IBUちゃんのLIVEペイント

まだまだ途中やろうけど、一つ夢が叶った瞬間をこの目で見れたのは本当に嬉しい。これからの活躍も楽しみだ。

見たバンド全て素晴らしいLIVEやったけど、特に印象に残っているのが『HEY SMITH』。
猪狩のMCに心打たれた。

『ツネさんを亡くして1番辛い2人が、
【ハイスタを続ける】という1番強い言葉を言ってくれた』

バンドマン以外もこの言葉に救われた人が沢山いると思う。実際に俺もその1人だから。

そしてついに5年ぶりにハイスタを見る時がやってきた。
最初に見た1999年はまだ10代。
突然の活動休止で一度もハイスタを見れなかった20代。
震災を機に復活してくれて沢山LIVEが見れた30代。
そして40代になって初めてのハイスタ。

LIVEスタートの19:40前になると会場は異常な雰囲気になっていた。SEが鳴る3分前から拍手と歓声が続いた。
5年ぶりに見る人も、初めて見る人も、世代も関係ない。
みんながハイスタを待っていた。それが最大限に表現された3分間やったと思う。
そしてSEと共にツネさんの映像が流れ、難波さん、健さん、サポートドラマーのえっくん(ken band)が登場。
そしてまさかの『START TODAY』からスタート。
そこからLIVEが終わるまでは時間の感覚がなくなった。

10代の女の子も泣いてた。
40代のおじさんも泣いてた。
みんな泣きながら歌ってた。
飛んでる人も泣いてた。
みんなで悲しんで、みんなで泣いて、みんなで笑って、みんなで乗り換えようとしてた。

この日LOW IQ 01のLIVEにゲストでBRAHMANのTOSHI-LOWさんが出演した。TOSHI-LOWさんが

『本当は今日来たくなかった。
あの3人じゃなくなった3人組を見れる気がしなくて。
でも辛い事や悲しみから目を背けても
あの人が戻ってくる訳じゃない
だから、今日という日をしっかり目に焼き付けておこう』

ってMCで話してくれた。
心のどっかにあった小さな蟠りがこのMCでスッとなくなった気がした。

その後もThe BONEZのZAX、マキシマムザホルモンのナヲ、と3人のサポートドラマーと共に、難波さん健さんのソロも入れたら15曲、LIVEをしてくれた。

難波さんの次の曲が絶対分かってしまうMCも
健さんの優しいけど毒のあるツッコミも
サポートドラマー達の涙も
太ってしまった同世代のベテランファン達が我慢できずにダイブしてクソ重かった身体も
汗だくでクローク待ってるあの時間も
全てが愛おしかったです。

震災がなければハイスタは復活してなかったやろし
ツネさんが亡くならなかったらこんな形でのLIVEはなかった

『絶対に震災なんてなかった方がよかったし、
ツネさんも生きててほしかった』

それでも起こってしまった事、亡くなってしまった人は戻らない
【そこからどうするか】

俺より更に一回りも上のハイスタが、こんなに悩んで、世代関係なく
色んな人達の力を借りて、乗り越えて、こんな形にしてくれた。
弱さも見せながら、背中で教えてくれた気がします。

今回一緒にLIVE行ってた伊勢の同志みちや君。

LIVE直後、汗でTシャツびしょ濡れ、涙で目がパンパン

彼も彼なりの視点で記事を書いてくれるみたいなんで楽しみです。

宿に戻って2人で缶ビールで乾杯。
Twitterで『ハイスタ セトリ』とエゴサしてそれをアテに飲んだ。トレンドがハイスタ祭りだった。
色んな人のツイートや写真、言葉を見てるだけで楽しかった。
『眠いけど、寝たくない』ハイスタと出会った学生時代に友達の家に泊まりに行って楽しくて寝たくない、あの頃の感じがした。

携帯のメモも【14回】目の記録が足された。

ハイスタが活動してくれて、自分が生きている限りは
出来るだけ沢山LIVEを見たい。

自分の大好きには正直に
悔いのない人生を

ENDLESS TRIP


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