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最後にならないと

2024年3月の出来事。

NOFXが解散前ラストの日本公演。
対バンはHi-STANDARD。
宝くじより当たってほしいと願ったチケットは全部外れた。
でも当選した友人夫婦がチケットを譲ってくれた。
これからも『好き』は周りにしっかり伝えていこう。
大阪でLIVEの後も横浜と幕張で2回LIVEはあったけど、あの会場では殆どの人が人生で【最後】のNOFXだっただろう。
名だたるバンドマンもフロアで暴れていた。
分かりきってた事やけど、その姿をみて『NOFXがみんなに愛されてた』事を再確認した。
ハイスタのLIVEや言動からも愛が溢れていた。
そしてNOFXの最後を見て、ハイスタの最後は経験したくないと強く思った。

会場前に飾られていたNOFXとハイスタの提灯


3月、もう一つの最後があった。
大阪の日本橋で5年5ヶ月続いた『マルキュー食堂』という名前の立ち飲み屋さんがポジティブ閉店した。(オーナーが地元の高知で実家のパン屋さんを継ぐ為の閉店)
オープンしてちょっとしてから通うようになり、この5年間で1人飲みした9割がマルキューだったと言っても過言ではない。
閉店が近づくにつれていつ行っても常連さんで溢れていた。
閉店は3月15日。
10人ちょっとでパンパンの立ち飲み屋に大行列ができていた。俺はイベント出店の為に横須賀移動で最後を見届ける事はできなかったけど最後の乾杯ができて嬉しかった。

3月15日マルキュー食堂最後の日

閉店から5日後の3月20日、オーナーまるさんの送別会が開かれた。常連さん企画、常連さんが集まる送別会。
2次会合わせたら150人オーバー。
NOFXの時と同じくマルキューも『愛されてるなー』と普段から思ってたけど【本当に愛されてたかなんて最後にならんと分からない】と感じた。

オーナーまるさんの看板

4年前にばーちゃんが天国に旅だった時も、近所のおばあちゃん達が『たまちゃん(ばーちゃんの名前)の花ならもらってくわー』と花をもらってくれた事を鮮明に覚えている。俺も死んだ時に周りの人達にそう思われたい。

【最後にならないと分からない】事もたくさんあるけど
NOFXもマルキュー食堂も【最後まで】周りの人を大切にしていたからこうなったんだと思う。
これは周りの人全員って意味じゃなくて、自分を大切にしてくれる人を大切にするという事。
仕事、バスケ、命、それぞれいつかは最後がくる。
2024年3月、最後が来るまでやる事が明確になった気がする。

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