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松帆神社例大祭。

今日の昼食はピンス焼きとりんご飴であった正井です。

ピンス焼きというのは淡路島民のソウルフードと呼び名も高い屋台のお菓子であり、外見はベビーカステラであるのだが、中身が半熟であり、小麦粉や砂糖、卵液に牛乳のクリームが入っているような様相になっている。

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店によって味の調合も様々である。池田屋が一番有名であろう。今回の砂川店は年々味が落ちている気がして物悲しい。ダマの小麦粉にがっかりした。

さて、この度は淡路島東部にある松帆神社さんで例大祭があったのでその模様を徒然やろうと思う。

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松帆神社は八幡系の神社さんで、社宝は「太刀 菊一文字」。松帆というのは権中納言定家の、「こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ」で藻塩を焼いている場所の、松帆である。もう少し北部に行くと松帆の湯という観光客向け銭湯もある。
楠木正成所縁と聞いたが真偽の程は調査していない。専門家にお任せします。
正井の職場から徒歩で15分ほど、観光であるなら東浦バスターミナル駅から充分徒歩圏である。またその近隣には正井の墨絵の師匠、中浜稔師の生家がある。
あの辺りは神社があり寺もあり今は淡路市となって統合されたが東浦町時代に町役場として活躍した建物があり、また小学校も近いことから、昔は一つの大都市であったのだと思われる。

さて松帆神社の例大祭の様子はどんなものかと思えば、両手の指の数あったかどうかの出店、町内会の集まり、神輿など、田舎のほのぼのした祭りであった。

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近所の保育園で作ったと思われるアンパンマンの子供神輿も出ていた。石の柵でぐるりと囲まれた敷地は自然も多く、本殿から末社までしっかりとした神社さんである。参道が広々としているので普段は散歩コースだとかにもなっている。

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狛犬ではなく狛玄武がいるのも興味深い。馬の像は戦時中に供出されたものを再建したそうで、これは夜に見上げるとなかなか怖い。
神社というのは昼は暖かく穏やかな場所であるのに夜は雰囲気が一変する。そういう意味でも神社さんは面白い。

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そして今日のお目当の太刀、菊一文字のご開帳式も毎年一回の例大祭で行われる。菊の花があしらわれた拵えも現存しており、本阿弥の折り紙付きというなんとも豪勢な日本刀だ。

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後鳥羽院が則宗に作刀させた内の一口で、花の咲いたような刃紋が愛らしかった。なんとなく「注目されて良いの?」みたいな控えめさを感じる可愛らしい刀だった。太刀だけど。現存する拵えを見るに、実践では使われていない、ひょっとしたら大事な上司から大事な部下にプレゼントされた良い刀、という印象を受けたのであった。

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なんと撮影NGでは無かった。

他にも能面(炭屋五郎右衛門彫)、天和三年の御額(行成卿御筆)、そして重要美術品「菊御作」及「打刀拵」がその宝物庫で見ることができた。
菊一文字の茎(なかご)には菊一文字の「一」の字が彫られてあるはずなのだが。

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** み、みえぬ……!!**

照明の位置の問題か、見えない。視力に自信のある正井が肉眼でどれだけ試しても見えないのでスマホのカメラではもっと見えない。ガラスケースの収められてあるのだが、それも古い「ガラスは液体」の説得力のなかなか強いガラスであったのでかなり苦戦。
取材であろうか眼レフ持ちや、どうも同好の士らしい青年が数人、あれこれと覗き込んで見ていたが、見えなかったんじゃにゃいかなぁ……。

鋒に少しだけ跡があったり、鎬筋のあたりに地が少しだけ飛んで見えた。沸はあまり見えなかった。刃紋は多分乱れ刃というやつなのか、ふわふわしていてやっぱり愛らしかった。

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さてきちんとお詣りもして、本殿周囲をさんさく。上の写真は一昨年の台風で根元からばっきりひっくり返っていた木の根である。

きゃー地に足ついてるよかったーーー!!!

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末社は本殿向こうの自然の多い場所に置かれてあり、こちらも田舎の良い山林の空気が綺麗である。

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あとは境内の隅に大きく作られた懐古館がわたしはお気に入りだ。古い絵画と並んで現代の油彩も寄贈されており、はたまた曽祖父母世代のモノクロ写真なども展示されてある。
個人的には羅針盤のような見事なお品があったのが収穫である。
淡路島は過疎がどんどん進んでいるので、古い家を潰すなり売るなどした際に蔵から出てきたと様々なものが発見されている。良い鑑定士さんの活躍の場所になれる可能性はあるのではなかろうか。

日曜日の昼食期に赴いたがなかなかひとも多く、近隣の方の伝統的なお祭りなんだろうなあと肌で感じた松帆神社の例大祭、最後に社務所にお邪魔すると、絵馬の種類が増えていた。刀剣のお守りは以前に頂いたし御朱印帳を埋められるほどわたしはアクティブな人間ではないので、今回はお見送りとさせていただいた。因みに社務所には菊一文字の大きさ、重量を再現した模造刀が置いてあり、これがわたしは抜けなくて困った。打刀拵えではあるが、折り紙には太刀とあるから刃は下になるよう佩く、右手で柄を握って身を引きつつ鞘を走らせる、のだろうけれども、抜けない。つうかまず佩けない。

先日「刀剣はどういう人間が持ってたか」という考察をやろうとして時間がなく切り上げとなったのだが、果たして果たして。
まず佩刀する足腰の強さが要る。ということはある程度トレーニングを積んでいないと、少なくともあの菊一文字を佩刀することはできない。日常的に佩刀していたというよりも床の間で神様とされていたほうがしっくりくるが、まず佩刀するという行為がなかなか筋力がいる。
そしていざ神事催事また戦となればそのまま走り回る程度の体力も要る。
これは安定した食生活があり、トレーニングをする時間を確保出来る、この二つは最低条件である。やっぱりお金ってそうやって使われていたんだろうなぁとピンス焼きとりんご飴の金額が消えた財布の軽さを、あだしごとはさておきつ。

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因みに松帆神社のお隣は西念寺さんというお寺さんがある。西念寺さんは春の桜が大変見事に見られるお寺さんでもあるので、是非とも観光シーズンに寄っては立ち寄りメモに加えて頂きたい。

帰路は軽の1227の煽り運転と追い抜かしをあぶないなあと思いつつ、淡路島にある史跡、その真贋などが明かになれば、淡路島という一つの島の何か転換期が来るのでは、いややっぱりないかー、と秋の日の短くなった空を見ながら、本日は筆を置かせて頂く。読了感謝。

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