たつる3_170416_0018

こころの柔らかい部分は後頭部にあったのだ

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わたしは事実婚だけれど結婚しているので、夫以外の男性と性的関係をもっては法律違反ということになる(この点、よく誤解を受ける)。

26歳で結婚したのだが、その時の自分にとっては、性的な関係を持つことはもっとも親しくしていることの証明だった。しかし時がたつにつれ、それは親しさの表現ではないのかもしれないと考え始めた。

夫はムードを大切にする種類の人間だった。性的な交流を成立させるためにはソレラシイ気持ちになることが大切だということだった。大して男女交際の経験のなかった私は、それはソウイウモノなのだろうと考えた。

だからそういう交流が成立しないのは、つまり彼がソレラシイ気持ち抱かないのは、それを掻き立てる環境をプロデュースできない自分にも落ち度があるのだろうと考えるにいたった。

なので『われわれの間に存在する信頼感と、性的な関係の有無には相関関係はないのだ』。

そう結論付けられるのならどれだけ簡単だったろう。でも性的関係の有無以前に自分はもう心をひらけなくなっていると気づいたのは、酔った勢いでその場にいた男性に「頭をぽんぽんしてください」と話してしまった時だった。

それはまったく性的な衝動に基づいていなくて、しかしものすごく心が満たされたのでむしろ困ってしまった。どうしよう私、浮気しようとなんて思っていなかったのに。

それまでその願望を、自分は一度しか口にしたことがない。そのことはよく覚えていた。私は夫にそれを頼んだことがある。

頼んだのは、自分の大事な家族が混乱の中にあると知り夜中にかけつけ、そして自宅に戻ってきた深夜というよりは早朝に近い時間のことだった。

夫ははじめてとりかかる仕事であるかのようにおっかなびっくりそれを提供してくれて、私は頼んでしてもらうのは何かがまずかっただろうか・と考えながら。それでも一人でいるよりはずっと心が楽だななどと考えた。(そう記憶しているが、もしかしたら間違いかもしれない。)

後頭部に手をあてがいそれを上下に動かすということはまったくもって性的な何かではないはずだ(それともそうなのだろうか)しかし私のこころは数時間しか会話をしたことのない男性相手に一気にノーガードになってしまっていた。つまり、それは浮気だった。

どこから浮気か問題について、私は昔から心と行動は切り分けていたし(心の動きは統制しない方が健全だと思う)、知らされないものは存在しないのと同じで浮気ではない、のだと強がってすらいた。それでもやっぱり少し困った気持ちがした。

信頼感と性的関係は必ずしもセットではないと今も信じている。でもこの信頼感のもとにすべてを開示したいような気持ちは、酔った頭にうすぼんやりと存在していた。

そんなことを、タイトルに目を奪われた「自分史上最高のエロ」というコラムを読みながら、思い出したのだった。

つまり私の最高のエロは後頭部に存在しているらしい。浮気防止には薬指の指輪ではなくて、自転車用ヘルメットが有効かもしれない。


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