許容される範囲で、すねたい。

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恋愛関係(片思いも両思いも含む)で、自分が優位か劣位なのか、言語化できてないのに気になってる…ってことありませんか?

自分もそうだし、他人のくちからもきいたことがあるから、恋愛あるあるなんじゃないかなーと思う。

相手から、自分が相手に抱く以上の執着を提示してほしいって、いったいなんのメリットがあるのかたいへん意味不明なのだけど…

個人的な感覚では。自分からの好意の方が大きいんだって知らしめられる局面でわたしは、恥をかかされたような、いたたまれない気持ちになる。それを避けたいのかなと思わなくもない。

それでつい「あっわたしからの愛情の方が大きいみたい!」って気づいて、「あなたも私のこと好きだよね?!」と問い詰めるような質問や行動に出てしまうんですよね。

(そんなことないですか、ないですかそうですか…)

自分はこの「問い詰める」にあたる行為が「すねる」なんですね。

ただこの「すねて→対応してもらう」までを実現するのが大事です。「相手の対応」がKPIです。

◇◇◇

そうして「すね」を提示することで、相手に対応してもらって、相手の愛情なり関心なり執着なりを確認したいのだと思うの。

だから大事なのは、はたしてその「いじけ」は「相手が反応してくれる範囲なのかどうか」ではないでしょうか。

答えが出ない問い方はしちゃだめ。

でもその一方で、こころの底から出た気持ちの表現=拗ねる、に対応してもらわないと、結局すくわれない。

なので「そのまま」の気持ちを「ちょこっと加工」して、「相手の許容してくれる範囲」に収めつつなるべくオリジナルの形にとどめておくことが、自分にとって大切になる気がする。

◇◇◇

期待していた「対応」がもらえなかったとき。

(1)KPIを設定しなおして、再度すねるのか。

(2)一度すねるのをやめて、相手からの愛情を感じない状況に耐えるのか。

それを決めなければなりません。

ちなみに冷静になれないと、

(3)「すね」の表現=相手への要求が、相手の許容してくれない範囲に及んでしまい、何も得られません。

◇◇◇

反対に「あーこれはわたしの愛を確かめたくてすねてるのだな」って思うこともあります。

愛の程度を問われるとき、

(1)忖度せずこころからの対応を示すのか

(2)相手の望んでいる対応を読み解いて示すか

(3)あるいは「わたしからあなたへの特別な思いはないよ」というノーリアクションを貫くのか

ひとは、この三択からつどつど選び取っているのだと思います。

◇◇◇

「すねの表現」とそれに応ずる「相手(自分)の選択」に自覚的であれば、それらは恋愛における共通のスケールとして機能し、すりあわせや適切な(=誤解のない)表明が可能になったりするんでしょうか。そうすることで人はもっと恋愛関係を円滑に形成、進行できるのでしょうか。そんなのはあまりに感情をモノに寄せすぎでしょうか。

よしんば円滑にいかなかったとしても。一人のひとに否定されたとて、自分の人生は自分のもの、根拠なく自分で自分を大事に思っておけばいいのにね。

でも、そんなロジックにはとうていこころはおいつかず、自分の評価軸を相手にゆだねてしまって。今日もだれかのこころには、割り切れない気持ちがうずまくんだろうなーと思います。



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まっかちん(山浦まさか)

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