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好きの定義とかたしかめるくらいなら捨てちゃってもいいと思うのに

(おわりまで無料でよめます)

「この人信用できるなあ」っていう思いと「好きだ」って思い、たぶん私にとっては等しい。

自分の開示したものがだいたい肯定されるだろうと期待できる。もし否定されてもその否定という意見にも価値があると期待できる。そういう判断を与えた相手を、私は「好きな人」ってカテゴライズしている。

そこに恋愛感情が発生しているかどうかっていう観点でいうと、「この人の代わりになる人はいない」「抱きしめるとか頭をなでるとかそれ以上で肯定を表現してほしい」って思えたら、そういう意味で「好きだ」ということなんだと思っている。それが私の「恋愛的好き」の定義である。

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私が相手の承認を欲しているのと同じように、相手も私からの肯定を求めていると感じるときがある。そういう時、達成感みたいな、全能感みたいな、すべての栄養が過不足なく自分に供給されたかのような感覚につつまれてしまうものなんである。

でもそれを確信するための「あなたも私が大事でしょ?」っていう質問に、イエスの返事を返してもらえなかったり。相手の行動がまるで自分を大事にしていない、好きじゃないみたいに見えてしまうときもある。

そうなると、どうしてアノ時ああいう行動に出たのよと質問することで、その単語を言わせたいという衝動に駆られてしまうのです。

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だけどその単語を文字であれ音であれ手に入れたとて、実は何の意味もない。(あるいは手に入れられなかったとしても、もちろん関係ない)

だって言わせたその単語、自分の本当に求めるなにかを表現しているかどうかわからないじゃない。わざわざ定義確認してからすすめる人間関係、無味乾燥にすぎるじゃない。

美しい景色を送りつけてきて、私と過ごした時間をたのしかったと形容していたことを、「好きだ」とかってに読み替えて、私は今日も生きてくよ。そんな風に割り切った顔をして、心の中ではやっぱり何かを求め続けてるんだけどね。


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まっかちん(山浦まさか)

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まっかちん(山浦まさか)

日中通訳/翻訳・ライター・編集。茨城出身、今は25歳年上の事実婚夫と5歳息子と東京の東に住んでいる。趣味はバイオリンと料理。

5分の6な気持ち(恋愛にまつわるエトセトラ)

割り切れない思いと恋愛のことを書き留めていきたいと思います。5分の6は、循環小数。
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