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割り切れないきもち

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恋愛とは何ぞや。

まあ結婚していて恋愛って何言ってんのよって思われそうなんですけど。恋愛の話とか、友人とすることもあるし。自分もそういう気持ちになることもあるし。昔はセイセイドウドウ恋愛してたし。書かせてください。

「結婚していて…」っていう批判を口にする人のなかにイメージされている「恋愛」って、決断して実行するような、決断したらはまりこまないような、そういうものが想起されている気がする。

たぶん「恋愛」の中に、肉体関係っていう、決断しないと実行不可能な要素が含まれるから、コントロール可能じゃない?って思う人も多いんだろなと思う。

でもじつは、というかじつはも何も、肉体関係がなくても、お互いになんとなく気が合うなあっって思って。「ふたりの間にしか通じないなにかがあるってお互いに思ってる」そう信じられてしまったら。そんなの肉体関係があってもなくても、恋愛、なんだと思う。

まあその「特別」の表現の究極に、衣類をとっぱらって無防備な姿をさらすという表現が存在するから、恋愛には肉体関係が基本的に内包されてるんですけども。

◇◇◇

だけど実は服を脱ぐのは一方では簡単ともいえるわけで。

問題はだよ。

「特別」を言葉で表現するかどうかなんじゃないかと、思い始めてきた。

自分の願望がどれだけ現実に合致しているのか、言葉にして相手に確認し始めたら、ちょっと辛くなる。

他人は他人だから、やっぱり事情とかねいろいろあるわけですし(既婚者が言うと重く響きますねすみません)

「わたしたち特別に通じ合っているよね?」「その特別を特定の行為にひもづけて定義すると、わたしにとってはこれだけど受け入れてくれるだろうか?」

っていうのを、言葉で確認してみると、実はずれてたし調整もできません、みたいなことになっちゃったりするわけです。

◇◇◇

言葉で表現して、同意を得て、最終的に外部に表明することで期待は現実に落とし込まれるわけだけど。

「最終的な外部への表明」が実は一番ハードルが低い気がする。だってそれはゆるぎない定義ができる行為だもの。

「なんとなく特別って思ってくれてるよね?」のなんとなくをどこまで細部まで落とし込んで具体化していいのかな。

その閾値を見定めることが恋愛のかなめだったりして。

でも見定めた閾値に、気持ちが沿っていかなくて。わりきれないんだよねえ。


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割り切れないきもち

まっかちん(山浦まさか)

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まっかちん(山浦まさか)

日中通訳/翻訳・ライター・編集。茨城出身、今は25歳年上の事実婚夫と5歳息子と東京の東に住んでいる。趣味はバイオリンと料理。

5分の6な気持ち(恋愛にまつわるエトセトラ)

割り切れない思いと恋愛のことを書き留めていきたいと思います。5分の6は、循環小数。
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