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たりないひとり で 天才はあきらめた

若林と山里 ユニットのたりないふたり がついこの間最終回を迎えた
まぁ簡単にいうと社会不適合者や飲み会が嫌い、恋愛、人がこわい、人が好きなものが好きになれない、人として何かたりないといったものを漫才にして笑いにする

そんな2人が結局「たりなくてよかった」でユニットを終わっているのだが
彼らと違い社会的にも、成功してない
本当にたりないなりに頑張って生きている僕の話を聞いてほしい

僕の人生は人としてたりない、人が当たり前にできることができない人生だった
よく「人としてどうなの?」って他人の噂話するとき聞くけど、僕の場合は「人間として(能力)どうなの?」が多分たりない 笑
能力だけじゃなくて多分努力も、もちろんたりてない



社会不適合者

高卒で割と大きい電気工事会社に入ったまず僕がしばらくして「え?俺の未来これ?」を上司達をみて思った
今考えたら子供や家族のために働いている彼らはすごい立派なのだが10代の僕は気づいてなかった、、いや20代後半あたりで氣づいたのかなぁ 笑
たりないから氣づかなかった


ネットワークビジネス

大きな企業で働かせてもらっている時に同じ会社の人に誘ってもらった
3回説明してみて「あ、伝わんない、、」って思ってセミナーみたいなのにはいくけど前には進まない
みんなも経験あるとおもうけど若い時って自分が、自分だけが特別な才能を持っている気がしないだろうか?
僕にそんな感覚があったのをよく覚えている
今まで社会で勝負した経験が圧倒的に少なかったからちゃんと結果を出している人はチャレンジしているし、数こなしている
20歳の時の僕はやったらうまくいくみたいな感覚だった
会社も、製品も、周りで協力してくれた人も何1つ悪くないと思う
僕だけがたりなかった
僕の認識と、実力と、努力と、覚悟がたりなかった



ベンチャー企業

ベンチャー企業に誘われてその中のタクシー事業の社員としてそれなりに頑張っていた
同年代が多い職場は正直すごく楽しかった、色んな人の話を聞くのは楽しかったが僕はそこで出世はできなかった
単純に仕事の能力がたりなかったから



個性心理學

人のことを見るツールとして楽しかったしその人のストーリーを見て照らし合わせたりするのが楽しくて仕事にしたいと思って資格を取ったものだが、ネットワーク時代に学べてなかったんだけど
腕を上げるには数をこなす必要がある、僕には協力してくれる人望とやり切る覚悟が僕にはたりなかった



本当にたりなかったものは?

他にもチャレンジしてうまくいかなかったものはたくさんあると思うんだけど
たりないと感じているものを外側の何かで埋めようとしていたんだと思う

今あげた何個か上手くいってる人は責任とか、プライドとか色々大変そうだし、その責任を背負っても、それが欲しかったのかと言われたら正直いらなかったかも

どれも僕が本当に大切なものに氣づくツールだったんじゃないかと思う

最初の会社から出なければ狭い社会のことしかみれていなかったし、
ネットワークビジネスをやってなければベンチャー企業にも、今同じネットワークをしていた人と友達には絶対なれなかったし、
ベンチャー企業で入っていなければ「人の話を聞いて今どんな状態か」っというくせみたいなものも身に付かなかったし、感心もなかった
個性心理學に手を出さなければ、今ある出会いはないし、自分が本当に自分を好きになる方法にも向き合わなかったんじゃないかな

自分が人脈がないし、人のことをもっと知りたいと思ったから、「人見知り」を直そうと思ったし、
自分が何もないと思ったから不器用な「自分を好き」になる努力をした
そんなストーリーのほうが僕が人生として価値がある
そんな氣づきのほうが価値がある



そう考えたら「たりない」ものなんてなんにもないんじゃないかなって思う
自分は完璧な存在なんじゃないかな?ってのも感じる

だから本当の題名は

たりないものはない、、
この時代の地球を楽しめる天才である


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