熟成下書き2〜『S先生の課題(表舞台)』

iPhoneのメモアプリに残っていた『S先生の課題(表舞台)』という文章の一部を公開したいと思います。

僕自身のことを知っているカウンセラーの方に向けて書いたので分かりづらい記述もあるかもしれませんが、
なるべく当時(メモアプリの日付は「2015.6.11.11:38」となっていました...)の想いをそのままの形で残して置きたいと考え、加筆や修正は行いませんでした。

お読み頂けましたら幸いです。

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『S先生の課題(表舞台)』(抜粋)

僕は表舞台に出て自分を表現することはできないと思ってきた。
一時期は漫画家やミュージシャンになりたいと思いながら挫折したのは、自分の実力不足があったかもしれないが、根底に性的な土台の脆弱さがなかったら結果は変わっていたかもしれない。

いずれにしても表舞台に出ていくという挑戦ができないと思い、
その代わりに、
世の中の様々な表現者の声を聴くことが僕の使命なんだと言い聞かせ、音楽をたくさん聴いていたような気がする。

それとも、音楽だけではなく、
漫画を読んでいるときも、
映画を観ているときも、
小説や思想系の本を読んでいるときも、
自分と同じような境遇の人が描かれていないか、探し続けていたのかもしれない。

音楽を聴き始めた高校生の頃は、
とにかくラブソングが嫌いで、
恋愛ができる人たちへの嫉妬心からか、恋愛をしている人たちが悪いとさえ思っていた。

不思議なことに、成長するとともに次第にその感覚は薄れていき、
恋愛についての歌も自然と受け入れられるようになっていった。

......

僕は、1970年前後の日本のフォークやロックが好きで、吉田拓郎、早川義夫、友部正人、高田渡、加川良、三上寛、斉藤哲夫、遠藤賢司、井上陽水、かぐや姫など、素朴な言葉と肉声で想いを伝える歌の世界と手作り感のサウンドに憧れを抱いていた。

当時の歌い手の方々を尊敬しつつ、
自分との共通点を見つけながらも、
僕と当時の歌い手の人たちとの間に決定的な大きな違いを感じてしまう。

彼らが表舞台に出て自分をさらけだせるのは、彼らが異性と結びついて子どもを産み育てるという生き方を選べるからで、特に恋愛ができることが大きいと思っていた。

表舞台で活躍している歌い手やタレントや政治家は、異性愛者同士が結びついて子どもを産み育てる生き方を選べる人たちがほとんどで、そのような生き方を選べることが表舞台に出て自分を表現し、人々の支持を集め、社会的な責任を背負っていく条件だと思っていた。

僕が表舞台で活躍していると呼んでいる人々は、いわばメインストリートの人たちで、メインストリートから外れた表現者の中には、人間社会の中心的な生き方から外れた特異な境遇の人たちもいるかもしれない。

それでも僕は、
メインストリートを歩いている人たちの、多くの人たちの支持を集めた表現に強く惹かれていたのだと思う。

多くの人たちの支持を集めた、みんなの歌は、僕に疎外感を生じさせるにも関わらず、僕はそれを正しいことだと受け入れた。

1969年にデビューした『休みの国』というバンドの『追放の歌』という歌に次のようなフレーズがある。

《俺の背中にこだまする
人々のあの歌が喜びの歌じゃない
追放のあの歌
きのうは俺も一緒に歌ってた》

多くの人々に届く喜びの歌は、
ある人たちにとっては追放の歌として響く。

僕は自分に疎外感を生じさせているはずの「追放の歌」を一緒に歌い、支持し、承認していた。

人間社会の中心的な生き方を選べる人たちが歌い、多くの人々の心に届く喜びの歌に正しさを見出し、承認することによって、
僕のような境遇の人が疎外感を生じ、表舞台に出れないことも受け入れていた。

それが人間社会の摂理だと思っていた。

でもそれは自然や宇宙の摂理には基づいたものだったのだろうか。

僕はものすごく狭い世界にいて、
人間が作り出した世界にとらわれ過ぎている気がする。

この先、僕が表舞台に出て自分をさらけだし、想いを伝え、
多くの人の心に届いたとしたら、
あらゆる境遇の人にとっての喜びの歌を産み出す可能性を切り開けるだろうか。

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