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辞書

辞書が好きだ。

そのひと束の綴りには、知性のすべての要素が詰まっていながら、それ自体は遂に知性ではない。宇宙から素粒子まで、無から全まで、胚胎から消滅までを的確に網羅した、薄紙の束に過ぎない。

美しく、潔く、かなしい――

そのように生きて在る術を、ぼくは延々と、あてもなく手探りしているような気がする。

比喩ではない、辞書のように育ち、生き、死にたい。

清く明るい人たちにこれを伝えようとするとき、ぼくが不覚にも狂者の側にいるかに思えるのは、ぼくがまだ、辞書に近づけていないからだ。

辞書は、伝えようとはしまい。

本棚の隅で埃をかぶって、背景のひとつになりおおせているのが辞書である。

パソコンに、スマホに、その皮相の役目をすっかり取って代わられ、棄てられることさえ忘れられて、そこにただ在るのが、辞書である。

なに、こんなもの、ただの夢物語だ。

何をどうあがいたところで、ぼくは一介の人間に過ぎないし、遠からず朽ちる一片のしがない有機体に過ぎない。

こころが乾いたささくれに苛まれるとき、おもひあくがれ、ぼくはあてもなく辞書を手探りしている。


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