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半日記/空想癖

朝おきてから、この歌が、心からはなれない。ひさかたの光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ。紀友則さん、いい歌です。枕詞をふくめて、無駄な語がない。どれかを抜けば、たちまち桜の木は折れてしまうだろう。きょうは重たく曇っていて、まだ当地は雪がちらついている。花は散るどころか、ほころぶ気配もみえない。だが、私の目にはみえている。うららかな春の陽ざし、ほのかに冷たい風、花びらは舞い、風のない花びらもまた、土に吸われて音なく落ちる。お花見が嫌いで、好きであったことは、いちどもない。わざわざ・・・・しつらえることに、どうも耐えられないのだ。蛇足だ。つまらない、ノリが悪い、陰キャ、そうだ、異論はない。私は、そういうの、ひとりですませたい。雪を感じたいときに、雪を感じる。花を見たい日に、花を見る。いやあ雨かあ、土曜日までもつかなあ、あの日蔭のあたりに場所取りませんか、七時で間に合うかしら、じゃあおまえ前夜入りな、わははは、こういう月並みオヴ月並みが、なんとも癇の神経に、びりびりと響くのだ。それこそが醍醐味じゃん、という人々の存在も知っているが、それならば私は、醍醐が苦手だ。こんなのが、陽キャなはずがないではないか。人生も半分以上生きれば、目を瞑って、いまだに再現できないほどのものは、あまり残ってはいないはずだ。風の温かみ、手ざわり、香り、それを毎年思い出すだけでよい。日々を生きるとは、習い事や稽古ではないのだから。陽キャたちが花飲みに泥酔する間に、陰キャは確かに、しづ心なき散る花を見ていたのだ。それはそうと、言われてみれば、いいかげん、のどけき光が懐かしい。月遅れの花が咲くころには、少しは散歩もできるだろうか。薄い古本を、尻ポケットに突っこんで。まだ冷たい根元に腰かけて、読んだり、読まなかったり。どのようなよろこびも、どのような愁いもゆるしてくれる、頼りがいある桜の下がいい。少し向こうに、花見の酔客たちがかしましい。もっとも、のどけき光の下なれば、それもまた、微笑ましいかもしれない。

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