ただフェイルセーフでありたかった

*0*
性悪説を支持するということ

ぼくは性悪説を支持します。

*1*
ぼくはF1マシンのように

人間は、目も当てられぬほど無能で凡庸で、無心に徹すれば、ろくでもない、の方に、針はふれるものです。ハンドルもブレーキもクラクションも、理性と分別の領域にあり、ただ、アクセルだけは、脱力すればするほど、本能のままにベタ踏みし続ける。

そうではない、という方、立派です。理性と分別は継続的な学習により、第二の本能になる以上、恐らくは、たゆみない努力と自意識により、善であることを選び採った方に違いありません。世界が皆、そのような方々から構成されていれば!

ところでぼくは、マスとしての人類に、まったく信をおいていない。人は無能だ、凡庸だ、ろくでもない、ブレーキを付け忘れたアクセルマシンだ、そう強く感じています。それは、過半が、ぼく自身の省察に拠るもので、そりゃぼくは精神障害者かもしれないが、しかしそれでも、マスとしての人類の一員であることは免れていない。

そして、
ぼくは無能だ、だから傍には決して見せないが、血の滲むような努力と対策を怠らなかった。
ぼくは凡庸だ、だから凡庸の立場から非凡を仰ぎ、チェックリストをつぶすように生きてきた。
ぼくはろくでもない、だから身体の隅々まで神経を尖らせ、せめてろくであろうと努めてきた。
ぼくのブレーキは壊れている、だから代わりに脚や臀を車外に投げ出すように歯止めをかけた。

「全力」と宣う人の95%は、どうもぼくより全力でもないらしいと気づくのが遅すぎたのか、或いは気づきたくない真実は命題として受容しなかったのか、ともかくも、ぼくは相当に全力で、性悪の塊であるぼくという獣を、セネカやマルクス・アウレリウスやシモーヌ・ヴェイユが生き抜いた、虚勢のイマジナリな存在に昇華しようと志していたし、それは可能だと信じていました。それをこそ、「美しい」と呼ぶと、そのようにしか思えないような教養の享受をしてしまったから、なかなかの発達障害な精子と、ルサンチマンとドグマの塊な卵の結合という、ぼくにはどうしようもないルーツに抗って抗い続けて否定し全否定し続けて、ぼくは、現在の日本でまあ正しいと誰にも後ろ指を指されないだけの努力と克己と執念で、

*1.5*
アスカリは曲がりきれなかった

つまり、もうお気づきだろうが、そのような闘いの設定をすること自体、それは、自ら嬉々として呪われにいっています。否定と拒絶から始める自己形成は、どこにも戻れる故郷を持たず、縁って立つ地盤もなく、20冊も平積みすればぐらぐらするようなブッキッシュな故郷と、見たことも会ったこともないイマジナリ・メンの霞の地盤をお供に、それは、笑いを忘れたドン・キホーテ、打ち明けるサンチョ・パンツァを持たぬドン・キホーテでした。です。

日本語に、過去と現在を柔らかく包括する時制がないことに、ぼくは長らく苛立ちを抱えていて、長く筆を折ったのは、それが遠因だと思います。

*2*
何と何にもいきさつがあって

Note を始めたのは、たしか 2016年? です。

社会に出て長い間、ぼくは、予備校の教材管理を通して、使ったマテリアルや通った校舎/曜日や出会った生徒たちの面々を媒介としてのみ、年次を把握する生活を送っていました。

2014年度(2015年2月)で、ぼくはわりと長く勤めた職場を去りました。子どもを授かっていたと知っていれば、絶対に避けたであろう片意地で、喧嘩別れ(ぼくに言わせれば、の話で、先方は『解雇』という刺さりやすい表現をするはず……)して、信じ難いことですが、ぼくの暦は、そこから頑なに止まっている。

今が2019年、それは知識として知っている。しかし、そこに結合するイメージやエピソードを、ぼくの核が一切受け入れないから、職場を去って以降の人生をぼくが語るとき、それはちょうど、20年前に読んだきりの「戦争と平和」の筋を、あやふやながら矛盾なく再構成するように、そのように何の実感もなく、帳尻で語っています。

今後どうなるのか分からないから(より正確には、ぼくという落伍者には未来を予期することが許されていないから)、生誕から現在の半直線として表現するならば、2015年の3月以降、ぼくの身体は不可逆な腐敗こそせね、ぼくの精神は、きちんと死んでいます。

哀しみ、虚しさ、やるせなさ、悔しさ、怒り、憤り、無様さ、惨めさ、そのような種々の感情はとめどなく湧きますが、それはかつて、教育の徒として社会と直に切り結び、今日の反省が明日の改善に直結した頃の感情とは、決定的に異なるものだ。屍体から体液が漏れ、腐臭を放ち、虫が集るように、ぼくの心から漏れ、放たれ、そこに集るだけの、physical で落とし所のない思念群です。

仕事に魂が入らず、傀儡のように故郷に引き戻され、ぼくは Note を始めた。一番好きな「書く」「創る」という作業から、何とか再び社会に合流しようと必死だった。子どもを授かる直前で、ぼくは脱落すること、落伍し果てることが許されていなかったから、必死だった。魂の底をヘラでこそぎ引っ掻く音がするように、ただ書いた、ただ創った。

子どもが産まれる直前、些細なトラブルで、ぼくは Note を退会した。ぼくを再び形作ることにあまりに必死で、いかなる criticism にも耐えられなかった。それは今も変わっていないから、ぼくの文章からは「批判しないで!」という懸命な防禦の腐臭がします。ぼくがかつて書くことばは、このような哀しく世知辛いものではなかった、が、ぼくと Note の関係性が上記のようなものである以上、そのようでない文章を、一度もここに置くことができてはいないのです。一度も!

いろいろあって――それは負けた試合のダイジェストくらい、とりあえずはどうでもよい「いろいろ」になりました――、ぼくはまた打ちひしがれて、Note に救いを求めた。救いとは何か、皆目分からないまま、ぼくにはとにかく、ぼくの話をできる友人・知己がいなかったから、内緒話の穴を掘るように、帰巣本能で、遮二無二、ここに戻ってきました。

あの時より、ぼくの打率も体力も下がって、もはやぼくには、書きたいことも創りたいものもなかった、そのことはよく知っていました。今も、そうです。主語と動詞を備えた文のようなもの、段落と内容を伴った文章のようなもの、キリスト教徒が図面だけ見て彫った仏像のように、やることなすこと、「ようなもの」に取り巻かれている。

それでも、読んでくれて、話してくれる人が少なからず居る、それは、ことばに出来ないほどの安心と充足を補給してくれました。

そして、降りて、またささやかに始め、ぼくはただ、このような気持ちを実行に移さないための安全弁、ガードレールをひとつ、ここに用意しておく、いまはそれが精一杯です。何十もの下書きも、作品や論考ではない、ただ、ブレーキという理性的な装置を、力いっぱい踏みつけるように、ことばを借りて叩きのめすように、書き殴っている。

いつか、いつかは、踊るように書きたいのです。

*3*
乗るのは超人、のような人間だと

抗うことを生きるのは、否むことを生きるのは、もう止めにしたいのです。根源的な自己否定と自己批判の毒は劇しく、よほど慎重に、よほど理性的にその時その時を過ごさないと、容易にあらゆる他者の否定、批判へと飛び火する、その力業を生き続けてゆくことに、ほとほと疲れ果てた。ぼくは、そのような「だらしなさ」を自分に許容できない。

無能で凡庸でろくでもない生き物を自分の中に数え切れないほど見て、

そこまでは、当然のことなのだ。いつからかぼくは、そいつを満身の力で殺しにかかった。ぼくの中のぼくを、ぼくは念入りに殺しながら生きてきた。そのようでない生き方があるのならば、ぼくは、そこからやり直したい。やり直すほかない。

遺伝子は変えられない。この鉤鼻と疎らな髭は、あの父から受け継いでいるし、この眼と厚い唇は、あの母から貰ったものだ。その隣の項には、この精神障害気質を父から受け継ぎ、この非寛容的な闘争心を母から貰った、と記してある。それだけのことだ、それだけのことじゃん、と、フラットに軽い乗りで受容する必要があるのです。

過去は変えられない。饐えた生ゴミが入ったペールに、蓋をしようと、袋をかけようと、コンクリで埋め固めてしまおうと、それは、そこに在る限り、そこに在る。過去で値踏みされ、買い叩かれ、薄ら笑いを被る、そのことはぼくにはどうしようもないことだ。そのような評定によって、ぼくの市場価値がいかに下がろうと、ぼくとしてのぼくの内在的価値は、かつて上がりも下がりもしたことなどないのです。

ある人々にとって、そのような認識は自然なものなのかもしれないけれど、そう考えることは、ぼくには実に困難だった。ぼくのモラルには根が張っていないから、ただ偏に「こうではなく……」「これではなく……」という戦闘的逃避を専らに生き延びてきたから、ぼくの内に、ぼく自身が査定可能な価値基準などありはしなかった。ぼくとは無関係な所でぼくに附けられる値札が、即ちぼくの努力と現在の価格である、そのような世界との結び方しか、想定してこなかった。時に疑念を抱くことはあれ、たとえば、ぼくがセネカでない以上、ぼくはセネカにはなれない(それ以前に、セネカを著作によって以上に知ることは不可能だ)。

ぼくの授業は、美しかった。い。授業に、無能凡庸ろくでなしからの昇華、その夢とモデルを、渾身の力で投影していたから、ぼくは同じ授業が出来ない体質であった。ある。いまのぼくと、80分後に在りたいぼく、その will と accomplishment を、講義の形、対話の形を借りて具現しようとした。する。そして、ほんの10年強だが、ご縁のあった生徒たちにしか分からない形で、ぼくは美しかっ

だが、to err is human 過つは人の常、ぼくは、自己のすべてを否定し批難することに、それのみに躍起になっていました。受容する、足るを知る、肯定の忍苦、そのようなコインの裏側を、決して見ようとも、それに気づこうともしませんでした。より鋭敏に、より効果的に、より loud に、そうでない成熟のありようを、知らなければならない、もし神のメッセージがあるのならば、そのような声だったのかもしれない。

ブレーキ、ハンドル、クラクション、それらを頑張ってこしらえたけれど、絶え間ない内なるアクセルの衝動と闘い闘い闘って、ぼくは一度、ひどく故障した、その時に与えられた次のテーマは、それは自動車がそのように進歩、退化にも見える豊かな進歩を遂げた、性悪説的な装置の敷設なのだ、そのようなことを思っているらしい。

*4*
安全/安心/幸福

ぼくは無能だから、無能でなくなりたいし、凡庸だから、一藝くらいは磨きをかけたいし、ろくでなしだから、ろくになりたい。

そして、ぼくは、そこから拒絶し抗い逃避した根源を、見返すのではなく、是非なく内なる自分として、妥協し、許容し、受容してゆくのがよい。それは容易な営為ではない、しかし、黒を白と言いくるめ続けるよりは、少しは natural and fit であろう。

何より、ぼくは壊れうるし、よく壊れる。いかに鍛えようと、壊れてなどいないと強弁しようと、壊れるものは壊れる。そこから始めることはできる。頑迷固陋であることと、自分を守れることは、まったく異なる。臆病であることと、己を知ることは、まったく異なる。昨日と同じであることと、進歩がないことは、まったく異なる。

安全に変わらぬ、変えぬことがあるから、それを持っているから、そうでないものを安心して変えてゆける、ぼくに欠けていた、る、のは、そのような生活の鉄板のような保護機能だ。

さりとて、ぼくに深い根が張っていないことは変わりない。それは仕方がない。たとえば、こうだ:毎日毎日、決めた時間に同じ道を散歩する。インマヌエル・カントの散歩習慣をひどく小馬鹿にしていた、高校時代のぼくをありありと思い出す。

*5*
性善説であるということ

ぼくが深く信じる性悪説は、フェイルセーフの導入により、まさにそれを導入してしまう計り知れない性の善を指し示します。

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