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サブリミナル

本日はよろしくお願い致します。 

小難しい話を聞いたあと、「それは、兵隊の位で言うと、どれくらいなのかな?」と訊ねるエピソード、これは確か、山下清画伯のものであります。

これに遅れた世代のわたくしは、逆に兵隊の位が分からない。自衛隊の位も、なんだかちんぷんかんぷんであります。
三等兵は、どこに潜んでいるのだろうか?

そもそも、そういうシチュエーションが、私などには皆無だが、もしひょんなことで、兵隊の位について懇ろに話さねばならない場があれば、「それは、富士山の高さで言えば、何合目なのかな?」と訊ねることにすべきだ、とわたくしは思っている。

日本の象徴、富士山の高さをもって、世の複雑なすべての『位』を換算する習慣は、極めて有益であり、無害でもある。
むしろ、なぜこの案が、今日の今日まで熱く熱く提起されなかったか、わたくしには不思議で仕方ない。

そのメリットは、ふたつあります。

ひとつは、 「それは、富士山の高さで言えば、何合目なのかな?」、この響きそのものにある。
攻撃力の増強より、相手の無力化。敵を倒すより、敵をなくせ。
この問いをバカにする者は、早晩いつかはバカにするようなたわけ者であります。富士山の高さで語れぬほどの浅薄な論は、すぐにメッキの剥がれる論なのです。

そしてふたつ目。
それは、発話と想起の機会を増やすことによって、われわれの潜在意識内の富士山を、よりはっきり、よりくっきりと保ちつづけられる、この点にある。

弊ラボの研究によれば、この50年間、われわれの「富士山」についての言及回数は、著しい減少の一途を辿っております。
奇しくも、これは経済的、社会的な我が国の大きな衰退と、軌を一にしておるのです。

みなさん。
試しに、口に出して見たまえ。
富士山
富士山
恥ずかしがらずに、さあ。
富士山
富士山
富士山

おお、この優しく、かつ勇壮な響き。
何なら、十回も百回も、口に出してみるのがよいのです。
スマホなど見ている暇があれば、あのお姿を思い浮かべるのも、すばらしいことだ。
もし、富士山のお姿があやふやな者があれば、迷わず財布から千円札を出して、眺めてごらんなさい。
もし、千円札を持たない者があれば、千円札のある生活を夢見てごらんなさい。

富士山を愛して40余年。
平々凡々そのものの私が、ご覧のように幸せそのものでおられるのは、ひとえに富士山の霊験のおかげである、と、こう信じております。

さあ、みなさん。
今すぐでもよろしい、紙と鉛筆を手にして、あなた自身の富士山を描いてごらんなさい。

そうです。
その富士山を、壁に貼るもよい。財布に潜ませておくも、またよかろう。そうすれば、たとえあなたに千円札がなくとも、いつでもどこでも、富士山を見ることができるのですから。

みなさま、ご多忙のなか足を運んでいただき、そしてご清聴いただき、誠にありがとうございました。

――以上にて、
富士山を想う会 会長 鷹 茄子男 先生
の講演を終了いたします。


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