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幼少期の上野駅で見えた景色

時は昭和50年代初頭、東北新幹線開業前の上野駅。

当時大阪に住んでいた私は、阪急や阪神電車の梅田駅の行き止まりになった櫛形のホームを見ることは時々あった。しかし上野駅の行き止まりとなった地上ホームは、佇まい、雰囲気、匂い、歩いている人種まで違うような気がすると子供ながらに感じたことをよく覚えている。


上野駅13番ホーム(2022年)

大人になって梅田駅と上野駅がどう雰囲気が違ったのか、整理してみた。
〇 阪急や阪神の梅田駅・・・近隣への通勤通学の足として利用され通勤電車だけが走っている。関西人が多い。賑やかな関西弁が飛び交う。
〇 上野駅・・・東北上越及び北海道への長距離列車と有料の特急や急行、寝台列車、通勤通学の列車もある。長距離旅客の為、駅弁などの売店も多い。北国に住む人が少なくない。あの有名な歌の「北へ向かう人の群れは誰も無口で。。。」というのは嘘では無いように思う。

当時、福島県に住む祖父母の家に向かう時に乗車したのは「急行まつしま」または「急行ばんだい」だった。

さいたま市の鉄道博物館で40数年振り位で「急行まつしま」と再会


国鉄の匂いがムンムンする455系

上野駅の地上ホームで記憶にあるのは、全体的に少し薄暗い感じだったこと。タバコの煙の臭い、立ち食いそば屋さんの出汁の匂い、線路や車輪がブレーキで擦れ、鉄の焼けたような臭いが入り混じっていたこと。

14か15番ホームあたりの線路に麦わら帽子を落としてしまい駅員さんに拾ってもらったこと。

13番ホームの近くに当時立ち食いそばうどんの店があり、父とうどんを食べたこと。立ち食いそば屋のテーブルには顔が届かず下にしゃがんで小さな器をもらってうどんを食べた。

ホームがタバコの吸い殻と新聞紙のゴミが結構落ちていて汚かったこと。まだターレが走っていたこと。

青森行きの特急はつかり、盛岡行きの特急やまびこ、仙台行きの特急ひばりなどのエル特急は特急ポスターを買ってもらって描かれていたため良く知っていたが、経済的には乗れなかったのでいつも急行だった。そして自由席を確保するためにしばらく並んで退屈だったことなど。

現在は関東に住み、頻繁に上野駅に行くことがある。そして何年も経っても当時の情景が浮かんでくる。今は急行まつしまも、エル特急も寝台列車もやってこなくなった上野駅。東北本線とは言うけれど、在来線一本で福島県の祖父母に会いに行ける列車は無くなった。

そして小さい頃に会いに行くのが楽しみだった祖父母はこの世から去り、祖父母の家も無くなり、お墓があるだけになった。

あの頃の上野駅の景色と、祖父母に会いに行く楽しみだった思いをいつまでも忘れたくないので、時々東北新幹線では無く宇都宮線と東北本線を何度も乗り継いで福島の祖父母の墓参りに行っている。





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