信じることの根拠とは?

前回の記事は結構ばっ!と書いてしまったので、先ほど読み直していたのですが、信じることの根拠についてもう少し詳しく考えたくなったので追記をしたいと思います。

僕は芸術作品を、見る時に、なにが描かれているのかいるのかということよりも、作家がどんなことを考えていたのかということを、「作品を通して」見て
います。

これは僕がアメリカにいた当時、教授から言われた一言がきっかけでした。

『(作品を評価する際に)私たちは作品を見ているのではなく、作品が何を語っているのかを聞いているのです』


という言葉は、当時の僕にとても深く刺さりました。

作品がなにかを語る、そしての力は、作家が作品になにを込めたかという部分に依存すると思います。



作品に力を持たせるためには

作品に対して、そして自分の考えに自信を持つために。逆算をしていくと、最終的に自分を信じる必要があるはずです。ただこれを誤解して、なんの根拠も、ベースも、理由もないのに自信を持って作品を公開している人を多く見かけます。この「根拠なき自信」はめぐりめぐって、根拠なき考えになって、根拠なき作品になっていくのはとても見ていてつらいなと思うのです。

自分の考えを信じ、そして自分の考えの質を高めて行くためには、自分の思考の質を上げ、判断基準を高めて行く必要があります。それは自分の成長が必要なこともあるでしょう。
つまり
自分の答えを信じるためには、
自分でその答えが正しいのかを判断できるだけの思考力と判断材料が必要。


判断材料と知識量、そして思考量

わかりやすく一言で言えば、「井の中の蛙」であるなということになると思います。無知ゆえの、根拠なき自信という部分は大きいのはないでしょうか。

自分が必死で考えた思考、そして作品。それまでの道のりやそれを成し遂げたことは、その人にとって価値のあるものかもしれません。
どれだけ時間をかけたとしても、「制作時間」はあまり美術的価値にとってあまり大きな意味を成しません。いや成さないことが多いでしょう。
そして結局自分がどれだけその作品に自信があったとしても、「〇〇という作家の真似だよね。」と判断されれば、美術作品としての価値は、とても低いものになってしまうでしょう。美術作品とはそもそもそういう危険性を孕んでいる媒体だということです。 
(それでも価値を持たせたい場合、美術作品ではないものとして割り切ったところで価値を探すべきです。)

感情や感性を作品のテーマする傾向が多い日本人アーティストですが、自分の中の感覚だからと言って、研究ができないとは思いません。感情とはなんなのか、日本の文化だったり、心理学だったり。文学、言語学や、もちろん美術史から。見えにくい自分の感情だからこそ、それをあやふやなまま追い続けても「根拠」を自分の中に確固たるものして捉えるのは難しいのではないでしょうか。



そして言語化すること


見えにくい自分だけの感覚を追い、作品へと転化し可視化したとしても、それを「言語化」することが必要です。この言語化できるかどうかが、相手への共通認識への橋渡しへ繋がるプロセスになると思うのです。
砕けて言えば、自分の作品テーマやコンセプトについて、研究論文を書けるか否か。これが一番わかりやすいかなと思います。論文を書けるほどの研究、そのプロセス、そして形に残った数十枚の論文は、確実にあなたの確固たる自信になり、そしてそれは共通認識を引き寄せ、作品の力へと最終的に繋がるはずです。

逆算して来たので遠回りになってしまいましたが、思考の質を高めと幅を広げることが、判断基準を引き上げ、正しい自信を生むことに繋がる。それが最終的に制作中の判断に影響を与え、作品がよくなっていくのではないでしょうか。


わかりにくい文章になってしまいましたが、ぜひみなさんの意見をコメントにてお待ちしております。


Masaki Hagino
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