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私の、メンヘラの仕組み

思いを引き出すインタビュアー、鯨井啓子です。

先日、銀座のマリアージュフレールでランチをしてきました。

音にとても敏感な耳をしているらしく、雑踏全般には長くいることができないのですが、銀座は比較的長居が可能なまち。昔から大好きです。

食後、有楽町方面に歩いていた時に、ふと思い出したことがありました。それは、以前にここらへんに勤めてた人にスーパーメンヘラな恋をしてた、ということ。

今冷静に振り返ると、なんであんなに自分が情緒不安定だったのか。その仕組みがよくわかってきました。精神的に不安定になってしまうことにはいろいろな要因があるのだと思うのですが、私はどうだったのかということを書いてみようと思います。(どうにも不安定であるという方は、病院の受診をオススメします。)

■私のメンヘラの仕組み
■そのまま成長して起こったこと
■人との関わりの中で、自分を見つめられた幸福

私のメンヘラの仕組み

振り返ると私の情緒不安定の起源も、やっぱり幼少期にあります。私はもともと、ことばがあまり出てこないこどもでした。それでいて感受性は豊かだったようで、親から見ると原因不明なことで泣き叫ぶ。そんな中、母は「なんで泣いてるのか、ことばで説明してごらん」と、できるときには根気よく、私の感情とことばを合致させる作業に付き合ってくれました。

おかげで私は、自分の気持ちに名前を付ける作業がそれなりにできるようになりました。でも、その名付けた気持ちを口から発することはほとんどしませんでした。なぜならば、家の中が心休まる環境ではなく、自分の気持ちを話して親に迷惑をかけることをしたくなかったからです。

心の中には、きちんとことばでラベルづけした感情がある。でも、それを率直に外に出すことはなんとなく憚られる。だから、大人たちが望むことをできるだけ読んで、そこから逸脱しないようなことだけを言う。それはあの頃、私にできた最大限の護身術なのだと思います。

けれど、結果的に外からやってくる出来事に表面的にはテキトーに合わせ、心の中に多くの「気持ち」を抱えたまま外に出さず、身体の中に溜めこんでいくというようなシステムが完成されてしまいました。

そのまま成長をして起こったこと

思春期を過ぎて恋愛をするようになっても、私のこの体内の感情処理システムは変わりませんでした。相手に自分が望むこと、自分が幸せな気持ちになることを伝えられない。相手は私が心の底から楽しい気持ちになることを望んでくれているのに、私は「私がない」ような状況下で生きていたので、自分が本当に楽しい気持ちになることがわからない状況になってしまう。

そのせいで不機嫌が止まらなくて、相手を困らせてしまう。そして結局恋愛はうまく行かなくなってしまう。そんなことを繰り返していました。

その後、自分の思いを真正面から受け止める練習をし、自分自身を取り戻した私なのですが、今振り返ってみると、自分の感情を自分で受け止められないってめっちゃしんどいことだな。しかも、そのしんどさを相手にどうにかしてもらおうとしていたことには、どう考えても無理がある。と感じています。

人との関わりの中で、自分を見つめられた幸福

自分自身のしんどい状況を変えるために必要だったのは、ひとり静かに自分自身の感情を見極め、それを外に出すという覚悟を決める時間でした。それでもそれができたのは、べとーっと重いメンヘラ女子だった私の気持ちを少しでも楽しくしようと関わってくれた、多くの人たちの存在があったからだと思っています。

それは、なにもお付き合いをした人だけではなく、身近なオトナ、友達などなど。しんどい人のそばにいるって結構しんどい。それなのに付き合ってくれた人たちは、相当愛情深い人だったなとしみじみ思ったのです。

自分自身のいろんな側面を受け止められるようになると、人を好きになることは断然楽しくなります。今までは結局、自分自身の寂しさを埋めてもらうために愛されたかったのが、自分が精神的に満たされたうえで相手と向き合えることでもっともっと愛情を味わえるようになるし、愛情を配れるようにもなる。それはどちらも、幸福なことです。

メンヘラ時代があったからこそ、私は人を愛せる、愛される喜びをめいっぱい感じることができているんだな。しんどかった時期に寄り添ってくれたすべての人たちの存在は、本当にありがたいなと感じています。思いがけず、自分の精神的成長と、幸せ者っぷりを再認識できた銀座の一日になりました。


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