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繰り返す自殺衝動を超え、自分を取り戻したはなし

思いを引き出すインタビュアー、鯨井啓子です。

昨日、大竹まことゴールデンラジオに出演されていた、安冨歩さんのお話を聞きました。radikoのタイムフリーでまだ聞けるので、興味のある方是非どうぞ。

安冨さんは東京大学東洋文化研究所の教授をされていますが、幼少期になかなか自由に自分自身を出して生きることができなかったことが、どんなふうに成人してからも影響してくるのかということも、いろんな角度から研究されています。

昨日のラジオの中で安冨さんは、ウォルマートで銃が買えるような環境だったら、乱射事件を起こしていたかも。というほど、生きづらい時期がとても長かったとおっしゃっていました。

そこで思い出したのですが、私はこどものころから、まわりの人たちではなく、自分自身を殺して人生を終わりにしたいということをものすごく頻繁に思っていた人だったのでした。

でも今はすっかりなくなっている。それはなんでなのか。そんなことを書き記したくなったので記事にしてみます。

■きっかけは、「いいなぁ!はるな愛ちゃん!」
■自分の感覚をとにかく取り戻した日々
■人間も動物だから

■きっかけは、「いいなぁ!はるな愛ちゃん!」

何度も書いていますが、私自身も家庭環境が心の休まる場所ではなく、それでいて学校も楽しいと思えたことは小中学校は特になく、ありのままの自分でいられる時間というのがあまりない幼少期を過ごしました。

ただでさえ毎日がハードなので、なんとか穏便に済ませたい。だから、いくつもの仮面をかぶり、方々に目を配り、ことが荒立たないようにあたりを見張っていました。そんな万全な配慮の甲斐なく荒立ってしまう状況があると、私なんかいらないんだ。このまま死んで、こんな地獄終わらせたい。と何度も思っていました。

30歳を過ぎたある日、テレビでディズニープリンセスのドレスを着てはしゃぐはるな愛ちゃんを見て、私の中の何かがパチンとはじけました。私の口から出てきたことばは、「いいなぁ、愛ちゃん!!」自分が女の子らしい服装をしたいという思い。女の子としての自分を楽しみたいという思いにも、物事を穏便に済ますために気が付いたら見て見ぬふりをしていたようだったのでした。

■自分の感覚をとにかく取り戻した日々

それからの日々、自分は今心地いいのか?ということを自分に問い、その時々で自分にとってできるだけ心地いい選択をするようにして行きました。

私は化学繊維を長いこと着ていると苦しくなったり、肌がかゆくなってしまったりするので、代替品を探す。残酷なニュースや政治家の討論など、胸が苦しくなる音はできるだけ聞かない。作ってもらったごはんでも、おなかいっぱいになったら残す。ラッシュには乗らない。疲れる人には近づかない。疲れたら帰る。

それまでに相当我慢をしてきて、しかもその我慢なしには穏便な日常はやってこないと信じ込んでいたので、これらの選択は吐き気を伴いました。感情は揺れに揺れたし、数年間は社会生活どころではなかったです。

ただ、徐々にわかってきたことがありました。それは、心地よくないことを排除しても、案外生きていられるのだということ。(そもそもが生き死にの話をしていたので、生きている!ということだけでも私には大事だったんです。)このときにいわゆる「普通の会社勤め」は無理だと悟り、自分のペースでできる取材の仕事を始めました。そこで、別に会社の中にいなくても、社会の役に立つことはできるのだと知りました。

友達も、ほんとうに心から信頼できる人だけが残りました。自分自身に主導権を戻していく作業がすさまじいエネルギーを消費したので、結果的にそうせざるを得ませんでした。それでも、何百人といた友達と呼べるかよく分からない人の存在より、本音で話せて弱みもさらせる人がそばにいてくれることがどんなに心強いかがよくわかりました。

そういうひとつひとつが、どんどん私を解き放ち、人間なので感情の起伏はありますが、少なくとも「死ぬ!」、あるいは「死にたい!」と思うことはなくなった。そして最近は、あんなに強く激しく自分の中にあった自殺願望のことなど、すっかり忘れて平穏に暮らせるまでになりました。

■人間も動物だから

ではなぜ、自分自身を偽ることが、自分自身を殺したいと願うほどの生きづらさに育ってしまうのか。それは私は、人間も動物だからだと思います。

いかに日々が穏便であるかに強烈にこだわっていた私は、今振り返るととても病的だったし、同時にロボット的でした。人間なので、感情や体調には波がある。そんなことすら許せず、ただただ張りつめていた。そんな日々だったと感じています。

はるな愛ちゃんへの突然の羨望。絶対付き合いを辞めてはいけないと思っていた人と距離を取ったこと。いわゆる普通の勤め人を辞めたこと。全部全部理屈で割り切れば無駄だし、マイナスしかないかもしれない。でも、それを自分で自分に認めてあげないと、生きていけないこともある。それは私たち人間も動物だからです。

動物である自分を赦せたとき、私の自殺願望はすっかりとなくなりました。感情があり、起伏があり、無駄なこともし。つまり私という人間を「生きること」を、満喫したくなったのだと思います。

もしも今、自分を殺してしまいたいほどに生きづらいと感じている人がいたら、安冨さんのお話はとても参考になると思います。そしてもし、私の体験も何かのお役に立ったら嬉しいです。


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