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あれこれ詮索して、適当に結論を引っ張り出すという暴力

鯨井啓子です。

ここ半年ほどかな。いろいろな気づきを与えてくださっている方に、高知東生さんがいます。

高知さんご自身の発信や、高知さんを通じて知ったギャンブル依存症を考える会の田中紀子さん精神科医の松本俊彦先生の発信のおかげで、私はお酒への依存傾向の強かった父のことと、それによって家の中で起こっていたたくさんのことを客観的に理解することができました。

最近発売されたご著書も拝見しましたが、高知さんのドラマティックな半生に強く引き込まれたのと同時に、自分自身、家族、大切な人に依存症の傾向が見えた時に、その状況をどう理解してサポートすればいいのかがすごくよくわかる、教科書のような本だなと感じました。興味を持たれた方はぜひ読んでみてください!そして高知さん、本日執行猶予期間満了、本当によかったですね!!

「勝手に結論付ける」という暴力

さて、そんな高知さんの最近の発信で、とても心に刺さったものがあります。それがこれ。

最近お亡くなりになった女優さんのこと。とても素敵な方だったからこそ、多くの方がショックを受けているのだなと強く思います。だからこそ、私たちは知りたくなってしまう。その苦しみや、悲しみに分析を加え、何かしらの結論を導かないと辛くなってしまう。そんな現象が起こっているのかもしれないと感じます。

ご家族の方は、他人の私たちでは計り知れないほどの感情の混乱の中にいらっしゃるのでしょう。あるいは、今はやることがいっぱいありすぎて、感情のふたを開けてじっくり眺める暇もないかもしれない。それでも今回のことは、それぞれが一生かけて向き合っていく出来事になっていくのだと思います。それを他人が勝手に分析して、結論を引っ張り出してきてくっつけて安心するというのは、あまりに暴力的過ぎる行いです。この点は私自身、本当に強く自戒の念を持たなければいけない部分だと強く思いました。

わからないことはそっとしておく

翻ってみると、本当に多くの場面でこの選択を取りたくなってしまう生き物なんだろうな、人間というものは。それは、精神的に不安定な要素を抱え続けるということが、とてもエネルギーを要することだからなのだろうなと感じます。じゃあどうすればいいのか。

やっぱり高知さんのおっしゃるように、わからないことはそっとしておくということが、本当に大切なことだと思うのです。今回のことであれば、お子さんをふたり抱えて、残されたお父さんは物理的に本当に大変でしょう。ならば、根掘り葉掘り詮索することなく、近くにいる人ができることで手を貸したり、いつでも大切に思っているよと伝える。そして、その人のタイミングでじっくり悲しみを消化していくことに寄り添う。

他人の気持ちは他人のもの

今回のことであれ、人それぞれにやってくる様々なピンチのときでさえ、放っておくと人は分析し、できるだけ早くそれ相応の結論を引っ張り出して安心したくなる傾向があるのだと思います。

けれど、他人にはどうしても、味わえないものがあります。それは、本人の感情です。察すること、想像することはできも、やっぱりそれは本物じゃない。勝手に結論を導くなんて、暴力も同じです。長い時間がかかっても、待つしかない。それはその人の感情なのだから。

今回の出来事で、私はそんな思いを新たにしました。人はなにかと結論づけたがるものだということを意識においておけば、少し考えを巡らせることで配慮できる現実もあると信じて。

そして、もし今この記事を読んでくださっている方の中に生きづらさを感じている方がいらしたら、下記の連絡先をぜひ参考にしてみてください。


わたくし、こんなことをやっている者です▼▼▼




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