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カスみたいな木“カス木”が多い日本の謎.Googleストリートビュー×MITで緑化分布地図がつくられはじめた今、世界に学ぶべきは「育てる心」と「管理のデザイン」!

前回取り上げたのベンチと同じように、日本のまちを歩いていて、気になってしょうがないやつがいます。

それは「樹木」を含めた「植栽」です。街路樹であったり、もしくは建物の敷地内に設けられる植栽たち。まずは、ちょっとだけ見ていきましょうか。

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東京の清澄白河。清澄白河から現代美術館へ抜ける道。もちろん、小さなお店が増えてきていて、グランドレベルのコンテンツが充実してきていることはあるのだけど、この通りが人を引きつける魅力は、この樹木たちに支えられているところが大きい。樹木なくしてこの通りなし。

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大好きな東京国際フォーラムの中庭。樹木に覆われながら、いつも通り抜けられて、座れる、パブリックスペースや空地のお手本のような場所。この樹木を設置するための雨水の処理のアイデアがGLの下でいろいろと施されています。ここもまた、この樹木なくしてこの広場なし。

日本も緑豊かなところは、すばらしい。けど、この数年、日本と海外を行き来しながらひとつのことに気付いたのです。

日本は“カス木”だらけだ!

「本当、この通りは、カスみたいな木だらけだな!」そんなことを、しょっちゅう話していたら、田中が「カス木だね!」と。それ以来、私たちの中では、総称して「カス木」と呼ぶようになりました。

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カス木(かすき)とは、ただ設置されただけのような木です。大きく、美しく、いきいきと育てられる見込みがまるでもてない木です。目指す風景のレベルが低い木です。だからこそ結果的に、そこに存在していても、まったく絵になりません。誰もその通りを描こう、写真を撮ろうなんて気は起きません。(故に、これまで見てきた数々のカス木は、ほぼ撮影していない。。)

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その多くは、効率的、システマチックに一定の期間ごとに剪定され、管理されています。上の写真のように、秋以降を想定して、真夏に刈り取られる緑を毎年いろんなところで見かけます。おかげで日陰は皆無。いったい、市民の誰が喜んでいるのでしょうか。

そして、樹種の問題もあります。そもそも、その樹木がある風景が、まったくもって美しくない。以前少しお話しした、日本全土を覆うツツジの角刈り野郎も同じです。きっと管理のし易さが、先に立っているように感じられてしょうがないわけです。

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一方で、中小規模のオフィスビル、マンション周辺の植栽に多く見られるものは、管理すらされる気配がないものも少なくありません。植物への虐待状態をわざわざまちにさらす様を、一体誰が求めているというのでしょうか。カス木は、知らず知らずの間に、まちのさびしさを増長させています。

どうやら日本のまちにある植物たちは、そのパフォーマンスのほとんどを発揮できていないのです。まちの緑化面積や緑の本数そのままに、もしその力を100%発揮できるようになるだけで、人の行動(アクティビティ)は、向上するはずなのに、実にもったいない話です。

管理主導ではなく、
こういう風景をつくるぞ〜!という風景主導に!

カス木が並ぶ風景になるか、豊かな樹木のある風景になるか。いろいろと観察し続けていくと、その分かれ目には2つのポイントがあるように思います。

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まずひとつは、「こういう風景をつくるぞ」という意思があるかどうか。持ち主、管理者に、そもそもそういう意思があるか。もしくはそういう意思を持たなくてはいけないという、まちとしてのメタなルールが設定されているか。それが大切です。(写真:台北・富錦街の住宅街。管理無くしてこの風景はない)

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ふたつ目は、豊かな植栽を育むための適切な管理体制が取られているか。

グランドレベルを観察していると、良い緑の場所には、必ずそれらを育てる人を見ることができます。上は、台湾で見かけた緑のおじさん。公園でも道路でも、日本のように緑を管理するというよりは、我が子を育てるように緑の世話をしていました。日本の業者とは、何かが違うように感じました。

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そんな人、日本では、なかなか見かけないなぁ〜と思っていたある日、一私企業の寺田倉庫が、まちを直接開発してしまっている天王洲を散策していたんです。このエリア、水辺も含めて、本当に最高の開発です。まさに居心地の良い風景をつくる意思がある。

そうしたら、いらした!!

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豊かな植栽に育てる人あり! どうやら、この界隈一帯の植栽の管理をある会社が行っているようです。しかも、女性の方が多くて、格好も格好いいし、持っている道具もオシャレ!こういう会社は、これからは需要があるのかも。

手入れによる愛情を、私たちは植物から感じている

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当たり前の話なんですけどね。あぁ、そうか、良い樹木だなぁ〜、良い植栽だなぁ〜というものには、必ず丁寧な愛がこめられた人の手が、“手入れ”があるものなんだと。その対局が、ほとんど手入れされていないことによって生み出されているカス木なんだなと。(写真:台北・永康街の住宅地にて)

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街路樹のちょっとした足元。日本では汚い土のままになっているけど、台北はこんな素敵になっていました。これが通り沿いにずら〜っと続いているわけです。やはり小さなところにも、風景をつくる意思と管理がある。その集積で、そのまち、その都市のクオリティが決定づけられていきます。(写真:台北・富錦街の近くの大通りにて)

市民の力に委ねてみよう.
市民が公共空間の庭師になるパリ.

そうは言っても、樹木を剪定する専門業者のマインドを変えていくには、相当な時間が必要なのかもしれません。それに手入れをするには、それなりの管理費も必要になってくる。はて、そのバランスをどう取るか。

けど、俯瞰してみると、緑を育てることに興味のある人は、意外と多いものです。だからこそ市民と協働で、それぞれのエリアの緑を管理できれば良い。まちの緑と市民のマッチングする。今の情報技術を使えば、それらをより密にサポートすることもできるはずです。。で、例によってこんなことは、世界のどこかで行われているものです。

La Relève et La Peste

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http://lareleveetlapeste.fr/paris-lance-permis-vegetaliser-voulez/

たとえば、これはパリで行われている市民がパリの公共空間の庭師になるというもの。可愛いものがたくさんあります。リンク先を見てみてください。

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ここでのポイントは、完全に市民の能動性に委ねていることです。何を選び、どう配置するか、どう育てていくか、ひとつひとつに個性が生まれるからこそ、まちゆく人はそこに惹かれます。人は手入れされている「愛」をそこに感じるのです。植えっぱなしの緑には、それを感じません。

日本にもアダプト制度のようなものがあって、よく公園などに市民による花壇があったりするのですが、花壇と土とパンジーが用意されていて、それを植えるだけなんてことも少なくない。それでは実は何の意味もないのです。同じアダプトでも、パリのそれと日本のそれとは、こうも違うかと。

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例えば、上は千代田区のアダプトシステム。アダプトしているという意味では、同じです。関わられている方も、参加されている方も一生懸命だと思います。その行為自体もすばらしいことです。でも、要はシステムのデザイン如何によって、もっともっとできる、もっともっと良い風景をつくりだすことに発展させることができるってことなんです。

どうすれば市民の能動性を最大限引き出すことができるのか、そのために、どういうデザインが必要なのか、それがわからないのが現状なのだと思います。そのあたり、どこか小さなエリアや通りでも、デザインの実験をさせてもらえないかなぁ。マンションでもオフィスビルでも一街区でも、いっそのことそのコミュニティ内にボランティアの部活でもつくれば良いと思うのです。

まちと市民が、アイデアで結ばれる
パリではじまった究極のアダプト制度

わかりやすい事例として、もうひとつパリの事例を。

街全体に少し話が広がってしまいますが、パリでは、ちょっと変わった住民参加型の予算制度があるそうです。2014年から2020年にかけて、まさに今実施されているそうで、「こんなことに市の予算を使って欲しい!」というアイデアを市民から募って、何を実施するかを住民投票で選ぶ制度。もう、最高ですよね。

下のリンク先などに記事がまとまっています。

市民の意見を反映する、パリの緑化プロジェクト!
市民参加型の都市緑化をめざすパリ-緑化に関するシンポジウムが開催

この予算制度のアイデアしかり、ホームページをはじめとした受け皿となるデザインも秀逸。こういうことです。ホームページ、ポスターひとつから、ファシリテーションの進め方に至るまで、アダプト制度ひとつ行うにも、市民に受け入れてもらうために、すべての階層でデザインが必要なのです。

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https://www.participatorybudgeting.org/

世界のこうした潮流からすると、たとえば、ゆるキャラ的な広報をはじめとした日本に蔓延するイベント型まちづくりは、ちょっと特殊です。イベント型は一過性のもの。逆に日常型は文化、カルチャーに成熟する可能性があります・それであれば、同じお金を、こうしてパリのように未来の日常の風景をつくる、日常型のまちづくりに投資するほうが、良いと思いませんか?

情報技術の発達で、都市の緑が評価される時代へ

さて、緑に話を戻して、最後に、興味深いネタを。

最近、マサチューセッツ工科大学の研究チームがグーグルのストリートビューを解析して、都市における樹木の分布状況を分析しはじめたよ、というニュースが飛び込んできました。そこでつくられた新しい指標は「GVI=Green View Index」。まさにグランドレベルの人の視線からの緑の状況に着目し、地図上に樹木の分布を可視化していく「ツリー・ペディア」なるサイトが公開されています。(http://senseable.mit.edu/treepedia

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リンク先を見てみてください。右上にあるのが、その都市全体の「GVI=Green View Index」値。生い茂っている場所は緑色に、カス木になっていくと色が薄くなっていって、木がない場所は茶色に色分けされています。この地図を各都市ごとに見ることができる。現地をくまなく調査するのではなく、既存のデータの応用でここまでできる時代にきていることに驚かされます。

今現在は、世界の12都市を見ることができるます。1位のシンガポールは29.3%、2位はシドニーとバンクーバーで25.9%、ニューヨークは13.5%、最低だったのはパリの8.8%。日本の都市は、まだ含まれていないのですが、徐々に都市の数を増やしていくとのことですので、さてどのように現れるのかが気になるところです。

このプロジェクトの背景には、2015年の「世界経済フォーラム」で、「グリーンキャノピー(緑のひさし)」を都市づくりの指針のひとつにしましょうとされたことがあるそうです。確かにこれが、たとえば東京の区ごとに摘要されれば、その格差が歴然とエリアごとに見えてくるようになるでしょう。

さらにもっと細かくも見ていくこともできるようになるはずです。韓国で、整備された水辺や公園まわりの不動産価格が上がっているように、あのエリア、あの一角の「GVI=Green View Index」値が高いということになれば、地価にも大きく影響してくるでしょう。今、人気のエリアでもカス木だらけってことになれば、価値が下がる可能性も出てきます。

つまり、もはや植栽の面積や木の本数だけ、適当に守って植えていれば、管理していればいいよねという時代ではないのです。どう質を高めていくか。もっとポジティブに、どんな素敵な緑をそこに市民と共に育もうかと、どこまで本気になれるか。まちの樹木一つ、ひとびとのアクティビティを、活動を、移動を直接的に高めることが可能なのだから、行政サイドにも開発サイドにも、そこがより求められるようになるはずです。

みんなで、まちの緑を観察してみよう!

今日、これからまちに出る方は、まちに生えるさまざまな樹木や植栽を、カス木か、そうでないか、自分なりに判断しながら歩いてみてください。車に乗る方は、この通りはカス木だらけだな、この通りは緑豊かだなぁ〜と、観察しながら運転してみてください。

そして、そこにこんな緑があれば、いいのになぁ〜とたくさん妄想してみてください。すると気づくはずです。まちって植物ひとつで、がらっと変わるもんだなと。

今日はこの辺で。

[イベント情報]
2017.03.11-12 都会のど真ん中でキャンプする「アーバンキャンプ vol.5 in 3331アーツ千代田」を開催します。現在チケット販売中です!
http://www.mosaki.com/uc/

1階づくりはまちづくり!

大西正紀(おおにしまさき)

http://glevel.jp
http://mosaki.com

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