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人類にとって地球が「島化」していってると再認したコロナ禍2020年だった気がする。

2020年はとにもかくにも新型コロナウイルスに席巻された一年だった。この狭い地球にこれだけ大勢の人間がひしめき合っているのだから、いつか、「どこかの自然との接触がきっかけとなって未知のウイルスによるパンデミックが起こる」と想像はされていた。そして事実、パンデミックは起きた。

コロナは2カ月で世界を席巻。スペインかぜは2年…。

グローバル化が"未開"の自然との接点を増やしたのかどうかは僕にはわからない。でも、コロナを機縁にして、そもそも「人類は、何度も何度も疫病と戦ってきたんだ」という史実に目を向けた人は、多少いたのではないかと思う。現生人類は、幾たびかのウイルスの脅威を経て、生体的にうまい仕方で共存の道を"選んで"きた。その意味でいえば、withコロナ的な「with」は史上何度も踏み返されてきたといえる。

だが、今回のコロナ拡大は「感染の広がる速度」としては看過できない点があった。五大陸すべてで感染拡大が確認されたのは、本年2月26日である。流行が始まった時点を、巷間いわれる2019年末だとすると、わずか「2カ月」で、ウイルスは海を渡りきってしまったという話になる。単純比較は意味がないともいわれそうだが、100年前のスペインかぜが五大陸すべてで確認されるまでに、流行開始から「2年弱」かかっている(最後はオーストラリア大陸だった)。

率直に、種としての人類にとって、地球は狭くなったと思う。

うーん……やっぱり単純思考だといわれるだろうけれど、マジでそう思う。そしてその狭さが、昨今の気候変動の「のっぴきならない感じ」に接続している、とも思う。

イースター島の島民"全滅"は疫病のせい?

資本主義社会のもと、僕らは地球のあらゆるところを資本にし、フロンティアを開拓し、あらゆるもの・ことを搾取・サービス化してきた。主語を「僕ら」とすることに違和感を抱く人もいるかもしれない。が、資本主義的な作法の浸食はもはや地球全体の環境を変えるほどになってきている。かつ、生活のすみずみまでもが"商品"になってしまっている。この現今においては、みなが日常的に、気候変動などの"加害者になる"瞬間を持たざるを得ない。地球のサイズに比して、僕らは多すぎるし、やりすぎているのだ。

僕はかつて、この「やりすぎている感」をイースター島(パスクア島)への理解にみていた。「モアイ像」で知られる同島は、森林伐採などによる「島資源」の枯渇で部族間争いが発生し、"全滅"状態にまでいってしまった、と、当時――僕が小学生のころは――いわれていた。

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その「さま」が、将来的な人類を暗示しているとも(その当時は)言われた。そこに、ノストラダムスの大予言である。僕は勝手に「人類、やばい」と思っていた。だが、近年の研究で、イースター島の人々を殲滅に追いやったのは、むしろ「外部からの奴隷狩り」であり、"とどめ"は「島民が免疫を持たないウイルスの上陸による感染症拡大」だったとされるようになってきた(らしい)。多くの人類にとって既知となっていたウイルスが、絶海の孤島(最も近い有人島で、同島から約2000キロ)の島民にとっては"未知"だったため、それが流行して人がバタバタと亡くなったのだ。

センチネル族――非接触部族を感染症から守る

巨大文明や他の民族との関係性が限りなく薄く、石器時代のような生活を現代も続けている民族がいるという話は、どこかで聞いたことがあるかもしれない。そういった民族は「非接触部族」と呼ばれる。インドの北センチネル島に住むセンチネル族が典型だ。島民との外部接触は、近現代にもほぼみられず、同島を領土とする現インド政府は、「感染症の流行により、民族絶滅の可能性もあるため、干渉しない方針」でいるという。センチネル族は狩猟に長け、島に近づく者を矢や槍で遠ざけてきた。そしてそれが今も続いている(2004年のスマトラ島沖地震に際しては、安否確認のために訪れたヘリコプターに矢を放つ姿が確認された)。インドには、過去、大陸人が不用意に近づいたために伝染病を持ち込んでしまい、アンダマン諸島のジャラワ族社会を崩壊させてしまったという経験知があった。そのため、疫学的にも倫理的にも、また文化保存の観点からも、センチネル族を尊重する意図をもって、行政は「触れず」という方針をとってきた。

だが、センチネル島を観光資源にしようとする試みは後を絶たない。いつ、「事故」が起こるとも限らない。同島は、とても狭い。それこそ、伝わるウイルスによっては、家庭内感染を連想させるような勢いで、島民全員に感染がおよぶかもしれない。人類のマジョリティが獲得してきた免疫を、彼らには求められない。

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未知のウイルスから人類を保護してくれる人はいない

センチネル族を「保護する」というと上から目線だけれど、守らなければならないという「状態」とは真摯に向き合うべきだ。さまざまなウイルスとのあいだに集団免疫を獲得してきた僕らにとって、センチネル族はいろいろに配慮すべき存在である。特に、物理的制約が強すぎる環境=島にいることしかできない(そして、それを望んでいる)彼らにとっては、そんな配慮がとても大切になる。生活圏が物理的に"閉じられている"、「島」性みたいな環境的制約の強力な状況下に、彼らは身を置いているのだ。

一方で、地球環境に物理的な"制約"を(ようやく)感じ始めた人類にとって、地球が「島」性を増してきていることは「もはや事実」と言い切れる状況だ(つまらない展開でスミマセン)。80億人になんなんとする「多すぎる」人類には、地球は、あまりにも物理的制約が「強すぎる」のだ。その「島」性の増加をあらためて僕に感じさせたのが、今般のコロナパンデミックだった。冒頭で述べたとおり、パンデミックの「速度」はすさまじかった。地球全体が人類にとって「密」になってきているため(というと言い過ぎ〈間違い〉だが)、また大陸間・国家間・民族間等々の交流が指数関数的に増加したため、"未知"のウイルスが圧倒的速度で、世界を席巻できるようになってしまった。

しかし、そのウイルスから僕らを「保護」してくれる人は、外部にいない。センチネル族のように僕らは保護されない。

科学技術を持つ"文明人"の傲慢さ、いよいよ

さきほど、「センチネル島を観光資源にしようとする試みは後を絶たない」と書いた。

興味本位? 資本主義的な発想? とはいえ、"未開"をいじくるみたいな傲慢さがそこから感じられるのは僕だけだろうか。何となく、だが、太平洋戦争の敗戦を知らずにジャングルのなかに約28年も潜伏し、ぶじ帰還した残留日本兵・横井庄一さんのことを思い出す。「恥ずかしながら帰って参りました」が流行語にもなった、あの横井さんだ。東京オリンピックの開催や東海道新幹線の開業、人類の月面着陸も知らなかった横井さんに対し、当時の人のなかに「どうだ! これが今の日本だ! 世界だ!」と自慢げにする人が見受けられたのが、僕には悲しかった。「科学技術がどれだけすごいんだ」と妙に反発したのを覚えている。そのときに感じた人々の「傲慢さ」と、"未開人"に対する"文明人"の傲慢さは、僕にはよく似ているように感じられる。

僕は、科学技術の発達速度は、21世紀になっても案外「遅かった」と感じている。車はまだ(映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように)空を飛ぶインフラにはなっていない。何万人が住むような宇宙ステーションも、まったく現実的ではない。というか、僕が幼いころから喧伝されていた"夢の超特急"は、あいかわらず夢のままだ。科学の進展は、そんな感じで、意外と遅かったのである(個人的な所感)。けれど、科学発展の速さとは違う速度感で、地球は人類にとって狭くなってしまった。

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人類の肥大に比して「遅れている」科学技術

地球の規模と人類文明の規模のバランスをとるうえで、科学技術はあまりにも頼りない。テックの発展は、遅すぎる。「遅い」「遅い」の繰り返しになるけれど、この「遅さ」は、しっかり確認したい。その「遅さ」が何に比べてなのかといえば、もちろんそれは「人類文明が必要とするエネルギーの増加速度」に比べて、である。

いや、正確に言い直せば、「人類文明が必要とするエネルギーの増加」を促すテックの発展に比べ、上記のようなバランスをとるテックの発展が「遅い」ということになる。これが、人類にとっての地球の「島化」を端的に示している。

コロナは、そんな速度差を改めて感じさせてくれた。100年前のスペインかぜよりもはるかに速くパンデミックになったこの「速さ」に危機意識をもって、科学発展の「遅さ」に意識を向けることも、あるいは有益ではないかと僕は思う。地球は人類にとって、まずもって「島」になっている、と。テックというものに一発逆転のソリューションを過剰に求めることは、もはや「してはならない」とさえ言える。科学に酔って傲慢になっている場合ではない。

「人間」が変わらなければいけない(この言葉だけ読むとあたりまえすぎる……)。

人類の肥大に対する科学技術の遅延は、このままでは解消されないだろう。地球はますます、それに耐えられなくなっていく。速度差は「島化」のあらわれだ。「島化」は、ますます進む。確実に、そうなる。コロナは、「地球、やばい」、というか「人類、やばい」の、何度目か、何十度目かの警鐘だと僕は受け取っている。

人間は、変わらなければいけない。

そして、その変化を手放しで期待できないのが人間だということも、あらためて確認したい。

と、とりとめもなく、ほんとうにつれづれ書いてしまった。言っていることは、いたって平凡だなあと思うけれど、平凡なことを非凡なほど発信してもいこうと決意するこの年末である。

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