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元裁判官が占い師になった!? タロットカウンセラー菱田貴子の自分史|インタビュー(聞き手:ライター正木伸城)

裁判官や弁護士といえば「お堅い」というイメージを持つ人も多いだろう。そんな法曹界から転身して占い師になった人がいるとしたら皆さんはどんな印象を抱くだろうか。型破り? 破天荒? 今回ご登場いただく菱田貴子(ひした・たかこ)さんは、まさにその「堅いキャリア」を手放してタロットカウンセラーとして活躍している。彼女は裁判官・弁護士として働いた23年間で2000件を超える係争を担当し、あまたの相談に乗ってきた。転身にはどんな心境の変化があったのだろうか。話を聞いた。

普通の占いとは異なる「カウンセリング」

――略歴を見て驚きました。元裁判官・元弁護士が手に持つものを六法全書からタロットに変えた点が目を引きます。

そうですよね。タロットを始めると言い出した時、周囲からも「なぜ?」「どうして?」と問われました。常識的に考えたら「変わった発想」だとみなされる。私自身もそう思います。ですが、タロットカウンセラーはプロとして務めています。

――これは偏見かもしれませんが、裁判官・弁護士といえばスピリチュアルや占い、それこそ神といったものから「遠い」イメージがあります。

確かにそういう人は多いかもしれません。一方で、裁判官や弁護士をしていると「人生には、抗えない『波』のようなものがある」と感じるシーンも多々出てきます。あがいてもあがいても報われない時期が波のように襲ってくる。そんな事例をたくさん見聞きするのが法曹の世界です。その中でスピリチュアルに対して「あるかもしれない」と感じたり、神に関心を持ち始める人もでてきます。

私は、自らが凄惨な人生を送ってきたため、まさに「波」を感じる瞬間が多くありました。うつ病、キャリア上の挫折、親の介護、離婚――それら苦難の「経験」と、カウンセリング時に「直観的にくるもの」、そして法律家として数多くのクライアントの人生を見聞きしてきた「統計」の3つを照らし合わせるのが、私の行っているカウンセリングです。

――占いというと神秘的なものからメッセージを受け取って伝えるといったイメージもありますが、菱田さんのカウンセリングはデータに基づいているのですね。

直観は大事にします。神の存在を意識せずにはいられないという経験も私にはあります。ただ、私はメッセージを感受して「教える」というスタイルはとっていません。むしろ本人に「気づいてもらう」ことを大事にしています。誰かに「こうしなさい」と言われた人生を生きる選択をしてほしくない。根底にそういう願いがあります。私の人生から出てきた信念です。

DVが激しかった父のもとから離れたい

裁判官として弁護士として、私は多くの人の人生やトラブルと向き合ってきました。同時に私自身もまた「トラブル多き人生」の当事者でした。DV(=家庭内暴力など)が激しかった父のもとで育ったことにその淵源があります。家庭に居場所がなかったんです。だからでしょう。気づいた時には「早くこの家を出て自らが安心できる場所を作りたい」と考えていました。世間的にも「それなら」と言われる体裁で親元を離れて、父の支配からも逃れられる道――。私にとって、それが裁判官になることだった。

とはいえ、最初から法律家を目指していたわけではありません。厳しかった親がたまたま許してくれた進路が慶応大学の法学部進学で、私はその限られた現実の中で「望めるキャリアといえば?」と自身に問いかけ、裁判官になることを選択しました。

――父のもとを離れたい一心で、法曹界を目指した。

動機は不純かもしれません。でも必死でした。最終的に私は大学院に進学します。そして院生の時に司法試験に合格しました。「試験のために浪人」なんてことは親が許してくれませんから、あとがなくて。背水の陣で試験に臨みました。また、当時の私には彼氏がいたので「結婚と同時に裁判官になる」という夢が現実味を帯びました。「(父をめぐる家庭の)一切合切がやっと終わる!」と歓喜したのをよく覚えています。家庭不和がとにかく苦しかった。地獄でした。

結婚と同時に裁判官に任官

そして、1992年4月に裁判官に任官します。結婚は、その前月です。

――本当に、描いていた夢を実現された。凄いです。

縁あって順調に行きました。赴任地は名古屋です。私は東京の生まれなので、裁判官になることで物理的にも父から離れることができました。その後は北海道や大阪、鹿児島と異動をしながら地方裁判所・家庭裁判所で働く日々です。ところが、2000年に仕事上のトラブルが運悪くたくさん重なって、一緒に働いていた書記官がうつ病になってしまいます。しかもその際に私が一身に仕事を負う形になってしまった。私も体調を崩し始めました。パソコンに向かっても仕事にならず、やがて倒れてしまって。うつ病で休職をするに至りました。

――それは苦しい……。

その後、復職は果たしますが、今度は仕事にうまくなじむことができません。医師からは「ゆっくりとしたペースで復帰して」と言われていました。でも「休職して迷惑をかけたし」と考えてしまって、頼まれた仕事が断われず積み重なりました。ノーと言えばよかったのですが……。で、また倒れてしまった。これを繰り返すうちに今度はキャリア形成が難しくなります。

うつ病で休職。裁判官としての道を断念

通常、裁判官は最初の任期10年を「判事補」という立場で務めて、10年経って再任されると「判事」になれます。ところが、私はその10年の直前でたびたび休職をしたので、所長から「君は休職を繰り返しているから、判事になるための申請書類を出せない」と言われてしまいます。ショックでした。裁判官としてのキャリアに絶望したのはもちろん、加えて、被害者意識も一気にわきましたね。誰も助けてくれない中、うつ病を克服しようとしながら必死に頑張ってきたのに、何で私だけがこんな運命を負わなければいけないのか――。「なぜ」「なぜ」「なぜ」と、いろいろな人を責める目で見始めました。誰も信じられません。夫でさえも味方に思えなかった。そんな状況が続いたため「メンタル的に無理だ」と思って裁判官を退官しました。

――苦渋の決断です。その後の進路はどうなるのでしょうか。

当時は、専業主婦になるという考えがまずありました。でも、「法曹資格を持っているのに、もったいない」と周囲から言われて、弁護士事務所を紹介してもらったので、友人知人たちに推されて最終的には弁護士になります。また、慶応のロースクール(=法科大学院)講師のクチも紹介され、学生に教えることにもなりました。

――しかし……菱田さんはその時もうつ病を患っていらっしゃいますよね。

人から言われたことが断われなかったんです。断わること自体が怖いし、事務所などを紹介してくれた人に申し訳ないとも思いました。他人に対する気持ちだけで話を引き受けてしまった。この判断が結局、最悪な方向につながります。裁判官と弁護士は法律を扱う点では共通していますが、実質の仕事は相当に異なります。その違いゆえに、うつ病の波が容赦なく押し寄せてきました。文字通り「死にそう」という状態になっていきます。

――進退がきわまってしまう。

弁護士になるも両親が倒れ、事務所も1カ月で閉所

とはいえ死ぬわけにはいきません。そこで私は、的(まと)を絞って働くようにしました。たとえば、企業法務は降りて離婚弁護士に特化したり、といった形です。でも――つらいことは重なるものです。その後、弟が自殺し、父親が認知症で要介護状態になり、それがきっかけで母がおかしくなっていくという事態が連続的に発生して心が折れます。弁護士の仕事は約12年続けましたが、うつ状態もずっと続いていましたし、「もう、無理……」となってすべてを降りたのが2015年3月です。専業主婦になりました。うつ病の闘病は計16年を超えますが、この弁護士時代が一番苦しかったです。

――壮絶です。限界がきてしまった。

しかも、折しもその時は、弁護士事務所を開設した直後でした。さまざまな苦労はあれど、わたし的には「いよいよ」という思いがあった。ところが開設の翌日に要介護の父を介護していた母が倒れたのです。飛んで実家に帰ったら、家は凄惨な状況。それを見た瞬間「これは実家に通わないとダメだ」と思うと同時に「事務所を構えたけれど続けるのは無理だな」とも感じました。それで、1カ月で閉所です。お祝いの胡蝶蘭がたくさん来ていたのにお礼もできず事務所を閉じました。「私、何をしているんだろう……」と、千々に乱れる心に涙しながら胡蝶蘭を捨てましたね。精神は崩壊寸前でした。

ある書道家の言葉が救いに

――心が苦しくなります。キャリアの道を降りてからは、どうされたのでしょうか。

好きなことだけをしました。何もかも手放して、それまでの人生で「したくてもできなかったこと」に取り組みました。そのように振り切れたことには理由があります。ある言葉が私の脳裏に浮かんだのです。

その言葉に出合ったのは2011年頃のこと。新宿を歩いていた時に、路上で毛筆の書をしたためている書道家さんに目がとまりました。彼の横には「お話をさせていただいたら、私からのメッセージをしたためてお渡しします」と書かれていました。普段の私ならスルーする状況でしたが、その日はなぜかその書道家さんが気になって離れられません。気がつけば「お願いします」と声をかけていました。その時に書いてくれた書が

「がんばるってステキだけど/無理は貴子が泣いている/自分の時間/好きなものを集めてみたら/またがんばれる」

です。

――じわっと来る言葉です。

でも、いただいた当時はこの言葉に気をとめませんでした。むしろ「頑張らなきゃダメでしょ」「無理しなきゃダメな時もあるでしょ」と思っていた。ところが、その4年後に弟の自殺や親の共倒れ、事務所の閉所などが続いて急にこの言葉が頭によぎったのです。すべてについて「お前、やりすぎてるよ。休めよ」と言われている気がして、その時にハッとしました。「私、自分がほんとうにしたいことをする人生を歩んでいないな」って。

はたから見れば「裁判官になって弁護士になって、自分の人生をみずからハンドリングしている」と見えるでしょう。でも実質はそうではなかった。幼い頃から父が厳しくて、親が敷いたレールの上を歩んできました。楽しいことや好きなことをすることも許されなかった。裁判官になるのも親の許しが得られる職業だったからで、今から思えばこれもレールの上の話です。また、うつ病で裁判官を退官した後、弁護士になったりロースクールの講師になったのも他人の紹介で、人のレールに乗っかっただけです。そこに気づいた瞬間「私、この生き方やめよう。好きなことがしてみたい。人生は一回きりなんだから好きなように生きよう」という気持ちになりました。

「タロット」「占い」との出合い

――このインタビューの冒頭、菱田さんは「誰かに『こうしなさい』と言われた人生を生きる選択をしてほしくない」との信念を語られましたが、その原体験はここから来ているのですね。

おっしゃるとおりです。今の言い方で表現すれば「他人軸の生き方ではなく自分軸で生きよう」という話になるでしょう。過去の私は、自分がほんとうにしたいことがあっても、周りの目、自分ではない人の目を気にして気持ちを抑え込んでいました。端的に言えば、私は「周囲の意見の最大公約数みたいなものを生きていた」「他人の人生を生きていた」んです。ここに気づいてからは、ほんとうに好きなことをしました。その中に「タロット」があって、偶然出会った信頼できる師匠のもとで本格的に学びました。

――そこから、縁あって占いの道に進まれた?

「占い」というか、そもそも私は弁護士時代から「相談」はよく受けていました。ただし、弁護士として関わる時は「法律的にはこうなります」「それは法律的にはできません」という形が基本です。そんな時に――たとえば離婚相談の文脈の中で――「もうちょっと旦那さんとこういうコミュニケーションを取った方がいいですよ」とは言えないですよね。私としては「この人(=相談者)の人生をより豊かにするにはこうした方がいいかも」と思うことがある。でも弁護士としては言えない。そんな場面が多々ありました。この点に関しては「やりきれない」思いを抱いていた。だから弁護士を辞める以前から「人生相談」的なことには興味がありました。「法律という観点だけで関わるよりも、もっと全人格的に関わった方が自分としてもよっぽど充実感があるし、お客さんも幸せになるよね」と思い始めていた。

――その思いを具現化したのが、現在のタロットカウンセリングですね。

ええ。周りから見れば「タロット」は無しで、「カウンセラーとしてだけやればいいんじゃないの?」という話なのかもしれませんが――「タロット」と付くとどうしても色眼鏡で見る人が出てくるため――でも、タロットは手放せませんでした。

タロットカウンセラーとしての哲学

――それは、なぜでしょうか。

私のカウンセリングが、それこそ「人生には波がある」ということを前提にしていて、その波とどのようにつき合ったらいいかを「一緒に見ていく」ことを大事にしているからです。

かつての私は「頑張れば何でもできる」と思っていました。ですが、実際の人生には頑張っても頑張ってもどうにもならないことが起きます。悪い波が来ている時に波と闘っても仕方がない。何をしても報われないそんな時は流れに身を任せて、しのいで、乗っかれる波が来た時にしっかり波をつかめばいい。私がカウンセリングでできるのは、「今あなたにはこういう波が来ています」と伝えることです。その際にお客さんには自分自身の手で波をつかんでほしいんです。

――それこそ、カウンセラーである菱田さんに言われてつかむのではなく、自身の手で主体的につかんでほしいと。でないと、お客さんは菱田さんの敷いたレールを進むことになりかねない。

そうです。そこにタロットが有効だと気づきました。ただカウンセリングをして「あなたはいま波に乗るべきです」と私が指摘しても、それでは自分でつかんだことになりにくい。ですが、そこにタロットというロジックが挟まると、お客さんは自分の意志でつかみに行っている感覚になれるんです。タロットを選ぶのはお客さん自身ですから。この「自分で選んだ」という手触りが大切で、その感覚は納得の力学になります。ただ私が意見するだけのカウンセリングよりもタロットを介した方が「より納得」できる。だからタロットは手放せないと思っています。もちろんタロット無しのカウンセリングも引き受けています。そこは自由です。

私からすると、タロットはお客さんが「自分らしい選択をするための一つのツール」に過ぎません。それ以上でも以下でもない。未来を予測するためのものでもありません。未来はカウンセラーが決めるものではなく自分で決めるものです。タロットはそれをガイドするのに有効なんですね。

とにかくお客さんには自分の人生を自分で選ぶという喜びを体感してほしい。それが「自分に誠実に生きること」だと私は思っています。

――お客さんの話を聞く時に大事にしていることはありますか?

「ほんとうはどうしたいの?」という問いを携えながら話を聞くようにしています。ほんとうにしたいことって、実は本人もよくわかっていないことが多いんです。自分の欲求にフタをして生き続けてきた人は、本音が見えなくなっている。本心が冷え切っている。そこに熱を与えるようにして私はヒアリングをしています。

ともするとお客さんは、私が何か方向性を示せば「でも、夫がこう言うから」「親がこう言うから」「誰々がこう言うから」となりがちです。だからこそ「ほんとうはどうしたいの?」と問うことに意味が出てきます。そもそも周囲の意向すべてに沿う生き方をするには無理をするしかない。でも無理をすれば自分が泣きます。大事なのは「自分がほんとうにしたいことを知ること」と「できていることを感謝すること」です。ここを深掘りするために薄紙をはぐようにして「どうしたい?」と質問を投げかけるようにしています。

――寄り添おうという菱田さんの強い意志を感じます。

自分の感情にフタをし続けていると、自分が何にワクワクするかが本気でわからなくなります。その感情のフタを開けるのに、一人では怖いし危ない時もある。だから「一緒に開けて見てみよう」というのが私のスタンスです。ちなみに「裁判官」と「占い」というと、どちらも「ジャッジする」ことが仕事のように思われがちですが、私がカウンセリングでしたいのはジャッジではありません。その人なりの「自分取り戻し」の寄り添いがしたいのです。

――最後に、菱田さんのこれからの展望についてお聞かせください。

最終的には、タロットを通じて人生におけるあらゆるトラブルを解決するカウンセラーになりたいと思っています。その上で現在は、離婚を扱うことが得意なので――離婚弁護士をもっとも深く経験しているため――差し当たっては「あなたにとってどのような離婚が良いのか」を共に探る、離婚に焦点をあてたタロットカウンセリングをしていきたいです。離婚の仕方の良し悪しといっても、もちろん単に「常識に照らして」ということではなく、「あなたが本心からそういうことをしたいなら」という観点で判断します。そこには当然さまざまな離婚を見てきた私の知見も生きるでしょう。たとえば裁判をしたらどういうことになるのか、多くの人は事前にはわかりません。でも私ならある程度想像ができる。リスクを把握した上で、裁判をしたいならしてもいい。そういったこともすべて勘案して「いろいろな方法を模索してみませんか?」と問うことを展開していきます。

――本日は素晴らしいお話をありがとうございました。

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