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歩くということ

2015/11/14に書いた文章
6年前
当時の葛藤を思い出します
大事な思い出です

<<<歩くということ>>>

ウェルネスウォーキングを大いに推進したいと思う中で、一つどうしてもとれない引っかかりがあります。長くなりますがごめんなさい。時間のあるとき読んでください。

この先々も涙なしでは語れそうにもないので、書かせていただきます。先日ニュースで読んだ菊池桃子さんの発言が心に響きました。それがきっかけで伝える気持ちになりました。

元アイドルの菊池桃子さん。戸板女子短期大学で労働分野の講義を担当されてるそうです。政府の「1億総活躍国民会議」の民間議員に選出され、その発言が話題になっています。

心に響いたのはこの言葉です
「企業の採用資格や受験資格というところに心身共に健康な者、もしくは心身とも健全な者という一文がございます。これを見たときに病気を持った方々や障害を持った方々などがこの一文があるためにチャレンジすることを躊躇してしまう、あきらめてしまう現実がございます」

さて、涙なしに語れない私の話を続けます

私の夫「和さん」は、6年前の11月3日に、脳の発作で倒れました。子連れでタンザニア旅行をした直後でした。すぐ脳腫瘍だとわかりました。そして肺がんだとわかりました。なんとか良い治療を探そうと受けたセカンドオピニオンの糞医師に「子ども、まだ小さいんでしょ、治療にお金をあまりかけても。。」と言われて絶句したことを思い出します。それからすぐ夫婦二人、猛然と立ち上がりました。糞でも役に立つと思いました。

食事療法から始め、心理療法、畑作り、太極拳、気功、民謡、パンつくり、手工芸、音楽、歌、呼吸法、半身浴、、、、心と体が健やかになれるようにと、いろんなことをして過ごしました。

脳の手術の影響で、文字を読むことがあまりできなくなった和さんでした。そんな中、和さんが一番大切にしていたことが、歩くこと、歩き続けること、 呼吸すること。亡くなる直前まで続けていたことです。病気になって4年目に入り、マッチ棒みたいに痩せた和さんと一緒にゆっくり長く散歩したことを思い出します。ほんとうにつらい、涙がでるような、でもすてきな思い出です。

和さんが入退院を繰り返すようになって、仕事と子育てと看病で、ストレスと疲れが溜まって、病気の和さんと言い合った日もありました。そんな時はわたしは一人で歩きました。がつがつと歩いているうちに呼吸も気持ちもだんだんに整ってきたものです。

闘病は4年半ちかくなった、昨年の3月29日に和さんは他界しました。私の半分は一緒に消えてなくなったと感じました。

私のウォーキングへの思いは、まだ和さんと歩いた時のままです。病気を得てもなお、年をとってもなお、しんどくてもなお、というところにあります。。。。たくさん歩いたおかげかわかりませんが、和さんは最後の最後まで立ち歩けました。

私がひっかかっているところは、先の菊池桃子さんの発言にもあった「病気を持った方々や障害を持った方々などがチャレンジすることを躊躇してしまう」というところです。

人は健康でありつづけたい、病気になりたくない、癌?「ああはなりたくない」と思っているでしょう。健康な人がそう感じるのは当然なのですが、私は人がそのように話しているのを聞くと胸が苦しくなります。なりたくてなったわけでも、不摂生がたたってなったわけでもありませんでした。事故も災害も病気も、避けられないものもあります。

ウェルネスウォーキングの人たちには病や、障害を得た人に、細心の注意を払って欲しいです。ウォーキングに参加している人や、その家族がまさに「なりたくない事例」としていま話したそれだという可能性もあります。時々「チクリ」と胸が痛くなるような言い方を聞くことがあります。そのことに苦しくなることがあります。

ウェルネスと冠をかぶってるからには、「病気を持った方や障害を持った方々」にも出来る限りでオープンであれたらいいなと思うのです。病を得てもなお、苦しくてもなお、少し少し、健康を保つ、呼吸を保つ、循環を保つ、筋肉を保つ、消化を保つ、心を保つ、そんな歩き方もあると思います。病気がその人らしさを損なうということがないように、その人の人生を生きられるように、歩くということができればいいなと思っています。

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