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家族の疲れとオットの手料理

3月に卵巣がん疑いで手術を受けてから、まもなく半年。「得意料理は豚汁とポトフ」だったオットの料理のレパートリーが劇的に増えている。

結婚生活13年。家事分担のルールは「料理しなかったほうが片付け(皿洗い)をする」。実際は、朝食はオット(起床が早い)、夕食は私(帰宅が早い)が作るのがほとんどだった。

レトルト調味料(〇ック・ドゥ)や市販の惣菜に頼るのが基本だが、そのうち料理に目覚め(!?)
「みりんと酒を入れれば何でもおいしくできる!」と気づくまでに急成長!!!


療養生活を送る妻を抱えた彼は、平日も休日も忙しい。料理以外にも子ども2人の対外的な用事(習い事送迎や学校行事)、買い物(日々の食材に子ども関係のあれこれ)、さらに通院の付き添い、もちろん仕事もしている。

抗がん剤治療が始まってしばらくはテレワーク中心で仕事を調整してくれた。仕事の合間に洗濯物を干し、昼食の用意や買い出し。出勤に切りかえてからも、早めに仕事を切り上げ、場合によってはスーパーに寄ってから帰宅し、夕食の準備をする。そしてパソコンに戻り、深夜まで自宅残業……。

このままでは私が元気になった頃に、入れ替わりで体調を崩しやしないか、心配でたまらない。

伊勢丹のシェフ直伝すき焼きのレシピにハマって、割り下から手作り。かなりうまい💛


「これ、なんの試練?」

私はといえば、体調がいいと家で仕事や家事(洗濯や掃除、この機会に断捨離)をしているが、根詰めると反動で数日動けなくなる。夜遅くまでは電池(体力)が持たないので(抗がん剤点滴後の1週間はだいたい午後から気持ち悪くなる)、夕食を作ってもらってもルール通りに後片付けできない日がある。

治療の副作用や体調の変化、諸々の不安、いつも通りの生活が送れないストレス、思うように人に会えず、おもしろいこともない……そんな毎日に飽き飽きして疲れて果てている。

しかしオットもまた、妻が病気(しかも癌)である状況に疲れきっている。

「これ、なんの試練だろう」とお互い言い合っては励まし合うけど、起因は100%私の病気。好きで病気になったわけではないけど、負担をかけていることに対して謝らずにはいられない。

「ごめんね」
「早くよくなって」

この会話、何度繰り返したことか。

ちょっと前に見ていたドラマで、車椅子生活のお母さん(和久井映見)が同居の娘(清野菜名)に毎日「ごめんね」と言っていた。そんなこと言われたって、言われたほうも苦しくなるよね。そんなシーンを、自分に重ね合わせて見ていた。

私も親が癌になった経験があるのだが、同居家族の負担は経験していない。
感情的なことだけでなく、実生活を営み続けるための物理的なタスクを担う患者の家族の負担は、患者本人よりも抱えているものが大きいかもしれない。ワンオペならばなおさら。

ある日、みそ汁を作ったら…

少しでもオットの負担を減らしたい。そう思って「体調のいい日は料理するよ」と提案すると断られた。週末の買い物で作るものをある程度計画しているそうで。でも「いきなり復帰は難しいから少しずつリハビリしたい」と食い下がると、「じゃあ、できるときはみそ汁だけ作って」ということになった。


その日は「元気いっぱい!」という状況ではなかったけれど、ちょっとがんばってみそ汁を作った。ところが、帰宅したオットが第一声、
「今日はみそ汁いらなかったのに!」
え!?
「豚汁にするつもりだった。豚肉を使いたかった」
そ、そんなー(涙)

ちょっとがんばって、無理して作っていたからなおさら、ちょっとは感謝してほしい(されるだろう)と思ってしまっていた。これだけでもできていれば、夕食の時間が早くなり、私の電池が切れる前に後片付けもできるかもしれない、という野望もあったのに……。
いろいろのみ込んで、墓穴を掘ってしまった。

「だったら豚肉でおかず作ればいいんでしょ。私がやるよ」

ちょっとがんばった後だったから、本当はもう休みたかった。けれどだれも得しない、だれもいい気がしない、無駄な意地を張ってしまった。

やっぱり私たち、疲れている。この状況に疲弊している。
こんな日もある。仕方ない。

処方された吐き気止めを飲み切った6クール7日目(子どもたちの夏休み最終日)の出来事。

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