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チャレンジのためのチャレンジ

※この文章は「カレーの学校アドベントカレンダー」への参加作品です。

このアドベントカレンダーへの参加も今年で4回目。意外にも皆勤賞である。

何かをサクッと器用に出来ない自分が、どうして毎年この差し迫った師走の時期に、さらに結構なかんじで追い込まれてしまうこの取り組みに参加しているのか…。

そう、元来の自信のなさと楽しいことが好きなミーハー気質がミックスしていると自認するこの性格は、この企画に案外とハマるのかもしれない。不器用ながらに何かにチャレンジしている状況自体がきっと好きなのだろう。

ちなみにこの企画は、カレーの学校の卒業生Nさんがが自主的に始めたものだが、自分は4年前にこの水野仁輔さんが主催するカレーの学校に通い、そして卒業した。

こんな風になんだかんだと新鮮さと楽しみが消えない風変わりなコミュニティーは、形を変えながらも不思議なことに現在も続いている。

そこで得た自分にとって最大の気づきは、水野さんが言う「プレーヤーになる」という概念だった。

カレーのことは今だによくわからないけど、このことが分かっただけでも学校に入ってよかったとさえ思えるような、自分にとっては大きな出来事になった。

プレーヤーになる、ということはつまり、自主性を持つということなのではないか。

当たり前かも知れないが、最近ふと改めて思った。そう、自主性さえ持てれば、人は本当は心で思い描いたことをなんだってやれる。

どんな楽しいことだって、どんな面倒くさいことだって、もしかしてその過程で発生するかも知れないチクッとする心の痛みだって、自分が引き受ければいいだけの話。だから誰に気を使うことなくどんどんチャレンジしていけるはず。自分が決めて、この手を足を心を動かせば、現実は自動的に動いていってくれる。

でもー。理屈では分かっていても、心が体が動かせないことがある。

その理由は、全て、恐れだ。

個人的な話になるが、この数年、その自分の心に潜む恐れとやらを、意識的に遠まきながらにも少しづつ見つめ直すようにしてきた。よく見ると、どこかで気が付かぬうちにできてしまった大小の傷のようなものが、モヤモヤとした恐れの元になっているようだった。

でもある時ふと、その恐れとやらに、あえて自分から出向いて声をかけ仲良くなってみようかなと、時がたちなんだか思えたのだった。

ガラクタのように散らばっていたパーツを少しづつ拾い集め、綺麗にして磨いてあげる。そうすると、なんだか自分がしゃんとする。そしてそのかけらを欲しいという珍しい人が現れたりした。

内心、え、これ、欲しいんですか!?今まで見向きもされなかった、さっきまで埃被ってたやつなんですけど…。

そんなことを思いながらも表には表さず「お客さん~いいセンスしてますね~!これお値打ち品ですよ!さあ、無くならないうちにぜひ!」なんて調子を出してみたりする。

恐れと仲良くなるには?

それには自分なりのちょっとしたコツがある。それは、直接のチャレンジができないうちは、遠まきにして間にいくつものチャレンジを挟んでいくこと。そう、まずはできることから軽い気持ちで始めてみると良いのかもしれない。

チャレンジのためのチャレンジ、のためのチャレンジ、のためのチャレンジー。みたいに、なんだかよくわからないくらい、間にいくつかのチャレンジをはさんで、徐々に自分を慣れさせていく。

そうすることで、段々と核心に近づいていける。そんなことを意識しながらこの数年やってきたようにも思う。そうしたら、不思議だけど、自分も周りもなんだかちょっと楽しくなってきた。そんな自分が始めたチャレンジに巻き込まれた人の何人かは、おそらく本当に心から楽しんでくれていたみたいだし、やって良かったと思えた。うん、チャレンジってなんだか楽しい。

そんな感じで過ごしていたらまたちょっと欲が出てきて、次の段階に進みたくなった。

それは、チャレンジのためのチャレンジ。

いよいよチャレンジまで、もうあと一歩!もはやそれはチャレンジと言って良い(当社比)。え、シンプルにチャレンジではないんだねというツッコミが聞こえてきそうな気もしますが…。

チャレンジをしながら思ったのだけど、気の合う仲間とのコミュティー、コミュニケーションはもちろん楽しい。だけど、もう一歩踏み込んで、そのちょっと先にある誰かの心の深みに届くような何かを作りたくなったのだ。

それは作品、のようなもの。運が良ければ作品は作者の持つエゴを離れ、必要な人の心の奥まで届く可能性があると伝え聞く…。

そう、誰かの心に届いたその作品は、もはや「誰が作ったか」なんてどうでもよくなるらしい。さいとうたかを先生と浦沢直樹先生も言っていたからきっと本当なんだろう。そんな軽やかさを纏えたら、なんだか素敵じゃないか。

作者を離れた作品は受け手のものになる。友達になる。

でもそれは運が良ければねー。作者が受け手の気持ちを選べないからこそ、まずは自分が楽しまないと嘘になる。

そんなこんなで、この投稿をきっかけに、また自分だけの小さなチャレンジをスタートしてみたい。内容は、宮澤賢治のお話を元にして乃淡雅子としての絵の世界を描いていくこと。

サクサクとは進まない可能性もありますが、もしご興味のある方は、良かったらまたここで、待っています。

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