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「ママがしんじゃったらやだ」としがみつかれた日


ふたつの日記に揺さぶられて

日記を読み返して、自分が書いた自分のことなのに、こんなことがあったのかと驚き、やがて少しずつ手繰り寄せられるように記憶が蘇ることがある。そして、日記をつけておいて良かったと思う。書き留めていなかったら、きっと忘れてしまっていただろうから。

娘が幼い頃に連れて行った写真展での出来事も、日記に記憶を掘り起こされた。

結構揺さぶられた。当時の動揺が蘇った。

こんなに揺さぶられる出来事でも、記憶の地層の底に沈んでしまうのか。

そのことにも揺さぶられた。

時間が経ったことで、別な揺さぶりも加わった。

子どもが成長した分、親に残された時間は削られる。
一緒に過ごせる時間は残り少なくなる。
切なさが煮詰められる。

日付の違う、ふたつの日記「梅佳代×難波田龍起の思わぬ化学反応」「抱え込めばトラウマ。吐き出せば表現。」を並べてみる。

梅佳代×難波田龍起の思わぬ化学反応

「梅佳代」という写真家をわたしが知ったのは、新聞の書評欄だった。

刊行された写真集を評する文章と、そこで紹介されていた「普通っぽいのに、二度見してしまうような写真」が目に留まった。

ありふれた日常を「どう切り取るか」で引っかかりや余韻を作る、その作家性を評者は面白がっていた。脚本にも通じるなと思いつつ写真集そのものは手にしないままで、写真家・梅佳代に関するわたしの知識は書評で止まっていた。

そんな梅佳代の個展へ行ってきた。
その名も「梅佳代展」。
場所は東京オペラシティのアートギャラリー。意外にも美術館での個展は初めてとのこと。

わたし自身も興味があったのだけど、小学1年生の娘がどんな反応をするのか、見てみたかった。子どもの無邪気さや天然さやアホさを絶妙な距離感とタイミングで切り取った写真は、子どもの目に、どう映るのか。

意外にも、娘がより強く反応したのは、同世代ではなく、少し年上のティーンエイジャーのお姉さんたち(「女子中学生」シリーズ)や、おじいちゃんおばあちゃん(「じいちゃんさま」シリーズ)の写真だった。

自分に年が近い被写体より、少し離れているほうが、興味をそそられるのかもしれない。

ティーンエイジャーが頭にブラジャーをかぶったり、股に大根をはさんだり、という写真に、親はドギマギするが、子どもは真っ直ぐ見据えて、笑ったり、感想を言ったりする。性的なものに蓋をする感覚がないから、素直に、大らかに、鑑賞する。

おじいちゃんおばあちゃんの写真の前では、この人は誰に似ている、とそれぞれに似た人探しをしていた。

ひとつ上のフロアでは、「project N」と銘打った若手作家の育成・支援を目的とした展覧会と「難波田龍起の具象」と題した収蔵品展が同時開催されていて、そちらも見て回った。

project Nは、秋山幸という1980年岡山生まれの女性画家を取り上げていた。積み重ねた明るい色をじっと見ていると風景が浮かび上がるような作品。そのタイトルをひとつひとつ読み上げていった。

タイトルは、作品との対話のきっかけ、とっかかり。娘は「そんなふうにみえる」と言ったり、「みえない」と言ったり。わからなくても、何か感じてくれれば、それでいい。

難波田龍起展に移動してからもタイトルを読み上げていくと、「病床日誌1」という作品があった。「病床日誌2」「病床日誌3」……と延々と続くので、「どこまで続くのかな」と言うと、娘が壁一面に並んだ絵の端っこまで先回りして、「ひとつだけちがうよ」と戻ってきた。

病床日誌は、31まで続いていた。「ひとつだけちがうよ」と娘が告げたのは最後の作品で、明らかにタッチが違った。それまでの色と線の重なりはなく、単色で、弱々しい線が走る中に「拝啓」と「澄」と思しき字が読み取れた。

絵というより、走り書きのようだった。
タイトルは「絶筆」となっていた。

「ぜっぴつってどういういみ?」と聞かれ、
「最後に描いたって意味だよ」と教えた。
「この絵を最後に、もう描けなくなってしまったの」とつけ加えると、
「しんじゃったの?」と聞かれた。
「きっとそうね」と答えると、
「このえをかいて、すぐにしんだの? なんにち、いきてたの?」と娘は質問を重ねた。

31枚の作品の連なりの後の力つきたような絶筆。
その落差が、娘の心をとらえてしまったらしい。

そこから駅へ向かう途中、電車に乗ってからも、問答は続いた。

「どうしてしんじゃったの?」
「病床日誌って書いてたから、病気だったのかなあ」
「びょうしょうにっしってなあに?」
「病床っていうのは、病気で寝てるってこと。日誌は日記ってこと。病院に入院しながら、日記の代わりに描いたのかもね」
「なんのびょうきだったの?」
「さあ、ママも初めて知った人だから、そこまではわからない」
「あのしゃしんのおじいちゃんがしんじゃったの?」
「ううん。写真展の写真に写ってた人と、絵を描いた人は別の人。写真展の人は関係ないよ」
「かんけいなくなんか、ないよ」

そう言うと、娘は突然泣き出し、わたしにしがみついてきた。電車の中で。

絶筆の画家と梅佳代の写真の被写体は、娘の中では無関係ではなく、つながっていた。

精力的に作品を重ねていた画家が力尽きて亡くなってしまうように、家族写真に納まっていた笑顔のおじいちゃんも、いつかは、いなくなってしまう。

そして、自分の大好きな家族も。

娘の想像力は、そこまで先回りしてしまったのではないか。

そう見当をつけて、「パパやママがいなくなっちゃうと思って、こわくなったの?」と聞くと、泣きじゃくりながらうなずき、「ママがいいよう」といっそう強く泣いた。

ひと駅手前で降りて、スーパーで材料を買って、おやつにパフェを作ろうという計画だったのだけど、とにかく家に帰りたいと言うので、まっすぐ帰宅し、涙を落ち着かせた。

パフェの材料を買いに出かける道で、
「ママがいなくなったら、やだ」

パフェを食べてひと心地ついてからも、
「ママがいなくなったら、どうしよう」

思い出しては泣くので、目のまわりが赤く腫れてしまった。

「ママがいなくなったら、ごはんつくれない」と現実的なことを言って、脱力させてくれた後に「ママがいなくなったら、ママに、ぎゅう、してもらえない」と言うので、わたしまでせつなくなってしまった。

これまでも、死というものについて考えたり話したりする機会はあった。

ご近所さんが亡くなったときは、死ぬと体はどうなるのかと知りたがり、焼かれると聞いて、では心はどうなるのかと聞いてきた。

そのときは怖がらなかった。どこか他人事で、自分の身近な人にはふりかからないもののように思っていたせいかもしれない。

ところが、梅佳代の家族写真と難波田龍起の絶筆が頭の中で化学反応を起こし、死が他人事から我がごとになってしまった。

難波田龍起の紹介リーフレットを開くと、

〈高村光太郎との出会いによって詩と絵画の境界線がなだらかにつながった〉
〈高村光太郎によれば「芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかっている」〉
〈「いのち」とは目に見えない自然のエッセンスであり、ものの本質を言い表す言葉である。とすれば、デッサンとはそれらと魂を通わせながら手で捉えること―内と外の世界を結ぶことにほかならない〉

といった言葉があった。

娘にとっては、写真と油絵の境界線はなく、両者はなだらかにつながり、「いのち」を訴えかけてきたのかもしれない。年月をかけて思索を深める芸術家の境地に近いところで、子どもは作品と対話しているのかもしれない。

自分と同じような子どもの写真を見て、無邪気に面白がる姿を予想していたら、思いがけない反応になった。

でも、梅佳代の写真が「家族」の「生」をはっきり写し取っているからこそ、そこに「愛」が宿っているからこそ、絶筆の意味を知ったときに「失うもの」の大きさを感じてしまったのではないか。台詞や生活音が聞こえてきそうな、汗や息のにおいが漂ってきそうな、一瞬をわしづかみしたような写真だから、娘はいつも以上に感応したのだ。そんな気がしている。

梅佳代がおじいちゃんを撮り始めたきっかけは、高校時代に「じいちゃんは撮っとるうちは死なんと思った」ことらしい。もちろんそんなことを娘は知らないのだけれど、シャッターを切る梅佳代の念のようなものが、写真からにじみ出ていたのかもしれない。

今回の展示では、その後のじいちゃんのショットも加えられているという。じいちゃんは長生きしているようで、良かった。

こうして、書評止まりだったわたしの知識に、新たな梅佳代評が刻まれたのだった。

抱え込めばトラウマ。吐き出せば表現。

先日の日記をFacebookやtwitterで共有したところ、娘の感受性の強さに驚く声や「大丈夫?」と心配する声が寄せられた。

娘自身、自分の感受性や想像力に振り回されている感がある。疲弊しないように、親が一緒に受け止めてあげなくてはと思う。

翌日は、もう泣くことはなくなったものの前日の衝撃を引きずっていて、「ままが、びょういんのべっどで、ずっとえをかいて、もうできませんってしんじゃったら、やだ」とべそをかいた。

「病床日誌」の31点から「絶筆」の流れを小学1年生にわかる言葉に翻訳すると、「病院のベッドでずっと絵を描いて、もうできませんって死んじゃう」となるらしい。わかりやすい言葉だけれど、的確に理解している。

そして、「ままは、たくさん、えをかくから、ままもしんじゃうっておもった」と新たな事実が明らかになった。

なるほど。娘にとって、わたしは、絵を描く人なのか。

31点の連作を見て、たくさんの絵から「ままみたい」と想像していたから、その後の「絶筆」に衝撃を受けた、ということらしい。

絵を描きすぎて、力つきて、死んじゃったんだ。
だったら、ママも……と怖くなってしまったらしい。

「もう、えはかかなくていい」とまで言い出したので、
「ままは、絵を描けば描くほど元気になるんだから、心配いらないよ」と安心させた。

ママも描くし、一緒に描こうよ。

混乱や動揺や不安をくすぶらせて抱え込んでいると、トラウマになってしまう。けれど、紙に気持ちをぶつけて吐き出せば、絵なのか詩なのか、何かしら表現が生まれる。

創作すること、表現することはエネルギーを使う。
頭も体も心も使う。
時間を食う。人生を食う。
もちろん疲れる。
でも、それは作者を消耗させる疲れではなくて、生きている実感になり、もっと描きたい、もっと表現したい、と新たな力を呼び起こす。

「絶筆」で亡くなった画家にとって、31点の「病床日誌」は生きる力、励みになっていたはず。この絵を描くまでは死ねない、と思って、筆を運んでいたのだと思う。

そういうことを、ゆっくりと時間をかけて、一緒に話していきたい。絵を描きながら。

梅佳代展の前、娘は「とってもみじかいえほんをかいた」とノートを見せてくれた。

「かっちゃんのかなしいきもち」というタイトルで、主人公のかっちゃんの頭の中にあるのは、「あり」(ダニではない!)のこと。

「かっちゃんがあるいていると」小鳥が手紙を届けてくれる。
「それわ かっていた でもしんだ ありからの てがみだった」

てがみには「かっちゃんへ ぼくはなくなります ありのぴこより」。それを見て、かっちゃんが「かなしいきもちになった」という内容。

なぜ、アリなのかは置いといて、「ペット(といってもアリだけど)の死」を取り上げているのは、偶然なのか。それとも、娘のアンテナは、無意識にそちらを向いていたのか。

かっちゃんのお話を見せた後、娘は「いっしょにきゃくほんをかこうよ」とわたしに持ちかけ、「りぼんちゃん」というキャラクターを編み出し、「りぼんちゃん たびにでる」という出だしをすらすらと書いた。

りぼんちゃんの横で女の子が「えーん」と泣いているのは、旅立ちの別れを悲しんでいるのだろうか。

「いつもかいてます これから りぼんちゃん たびにでる を はじめます」と意気込みも十分。共同作品「りぼんちゃん たびにでる」を二人で作る時間が、衝撃を受け止めるクッションになればと思う。

clubhouse朗読をreplayで

2023.7.16  宮村麻未さん(replayは消されています)


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。