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「膝枕」に回文を入れ込む─回文家が読む膝枕

このnoteで公開している作品は、2021年5月31日から朗読と二次創作のリレー(通称「膝枕リレー」)が続いている短編小説「膝枕」の派生作品です。

外伝、アレンジ、方言バージョン、外国語バージョン、ルビを振ったものなど加筆分量もさじ加減も作者もさまざまな派生作品たち。ただいま214作品。ヒマなのか、いや、ヒザなのだ。

回文家コジヤジコさんに膝枕営業

コロナ禍に回文という楽しみを教えてくれた回文家のコジヤジコさんが回文の絵本『よるよ』を偕成社から出されるということで、日付が回文になっている8月28日にclubhouseでルームを開き、お話をうかがった。

オーディエンスの大半は言葉遊び大好きな膝枕er(「膝枕リレー」関係者)たち。

コジヤジコさんに回文膝枕を読んでもらいたいという気持ちが膨らみ、正調「膝枕」に回文を入れ込んだものを書くことにした。

2023年10月15日に開かれたオープンマイク朗読会「秋の今井雅子祭り」にて披露した膝半開きバージョンに加筆し、10月31日にclubhouseでのブツブツ読み上げ部屋を経て加筆した後、しばらく寝かせていると、巡ってきた11月5日。

この日は1が2本(にほん)と5(語)で「日本語の日」だそう。1975年(昭和50年)から日本語教育を行う学校法人・江副学園新宿日本語学校が制定とのこと。さらに令和5年11月5日(5.11.5)は年月日が回文。

ということで「回文になっている日本語の日」に公開。

今井雅子作「膝枕」 回文家が読むバージョン

休日の朝。独り身で恋人もなく、打ち込める趣味もなく、その日の予定も特になかった回文家の男は、clubhouseで読み継がれているという短編小説「膝枕」を読んでみることにした。

今井雅子作「膝枕」。

上から読んでも下から読んでも「いまい」。回文じゃないですか。

「いまいまさこさく」をひっくり返すと「くさこさまいまい」。

《草子様、今井雅子作(くさこさまいまいまさこさく)》。下から読んでも《草子様、今井雅子作(くさこさまいまいまさこさく)》。

やんごとなき草子様に捧げる小説。そういうことにしよう。

「ひざまくら」をひっくり返すと「らくまざひ」。

ラク、マザ、ヒ。

回文が思い浮かばないので、続きを読もう。

休日の朝。独り身で恋人もなく、打ち込める趣味もなく、その日の予定も特になかった男は、

これはまるで俺じゃないか。主人公は回文家ということにしよう。

回文家の男は、チャイムの音で目を覚ました。

ドアを開けると、宅配便の配達員がダンボール箱を抱えて立っていた。オーブンレンジでも入っていそうな大きさだが、受け取りのサインを求められた伝票には「枕」と書かれていた。

「《まくらからくま!》」

思わず回文が飛び出した男の声が喜びに打ち震えた。

「受け取ってもらって、いいっすか?」

配達員に急かされ、男は「取扱注意」のラベルが貼られた箱を両腕で受け止めると、お姫様だっこの格好で室内へ運び込んだ。

「とりあつかいちゅうい」をひっくり返すと「いうゆちいかつありと」。

《言う。「ゆちい、カツあり!」。取り扱い注意(いうゆちいかつありとりあつかいちゅうい)》下から読んでも《言う。「ゆちい、カツあり!」。取り扱い注意》。

ゆちいって何だ? 人の名前か? ダメだ。回文家の男は一人暮らしの設定だ。人の名前ではなく、かけ声にしてはどうだろう。英語のWOWみたいな感じ。

苦しいな。続きを読もう。

はやる気持ちを抑え、爪でガムテープをはがす。カッターで傷をつけるようなことがあってはいけない。箱を開けると、女の腰から下が正座の姿勢で納められていた。届いたのは「膝枕」だった。ピチピチのショートパンツから膝頭が二つ、顔を出している。

「カタログで見た写真より色白なんだね。《色白い(いろしろい)》

回文を交えて男が声をかけると、膝枕は正座した両足を微妙に内側に向け、恥じらった。見た目も手ざわりも生身の膝そっくりに作られている。さらに、感情表現もできるようプログラムを組み込まれている。だが、膝枕以外の機能は搭載していない。膝を貸すことに徹している。

幅広いニーズに対応できるよう、商品ラインナップは豊かだ。体脂肪40%、やみつきの沈み込みを約束する「ぽっちゃり膝枕」。

「たいしぼう」をひっくり返すと「うぼしいた」。「う」で折り返して、《寝るわ。体脂肪、母子いたわるね(ねるわたいしぼうぼしいたわるね)》。下から読んでも《寝るわ。体脂肪、母子いたわるね》。

「やみつき」をひっくり返すと「きつみや」。上から読んでも下から読んでも《病みつき、罪や(やみつきつみや)》。

乗ってきたぞ。

「しずみこみ」をひっくり返すと「みこみずし」。上から読んでも下から読んでも《沈み込み寿司(しずみこみずし)》。

本編と関係なさすぎて、好き。 

母に耳かきされた遠い日の思い出が蘇る「おふくろさん膝枕」。「小枝のような、か弱い脚で懸命にあなたを支えます」がうたい文句の「守ってあげたい膝枕」。頬を撫でるワイルドなすね毛に癒される「親父のアグラ膝枕」、

「ワイルド」をひっくり返すと「ドルイワ」。
……難しいわ。

「すねげ」をひっくり返すと「げねす」。《来て。すね毛ね。素敵(きてすねげねすてき)》。下から読んでも《来て。すね毛ね。素敵》。

カタログを隅から隅まで眺め、熟慮に熟慮を重ね、妄想に妄想を繰り広げた末に男が選んだのは、誰も触れたことのないヴァージンスノー膝が自慢の「箱入り娘膝枕」だった。

「カタログ」をひっくり返すと「グロタカ」。「か」で折り返して、上から読んでも下から読んでも《黒だ。カタログ(くろだかたろぐ)》。膝の白さを引き立てるための黒のカタログ。そういうことにしておこう。

「もうそう」をひっくり返すと「うそうも」。
《嘘産もう、妄想(うそうもうもうそう)》。下から読んでも《嘘産もう、妄想》。

妄想とは嘘を産むもの。哲学だ。

もうひとつ思いついた。

《さもエモそう。妄想も嘘もエモさ(さもえもそうもうそうもうそもえもさ)》。下から読んでも《さもエモそう。妄想も嘘もエモさ》。

妄想とは嘘とエモと回文を産むもの。ますます哲学だ。

「はこいりむすめ」をひっくり返すと「めすむりいこは」。「め」で折り返して、《つい箱入り娘住むリイコハイツ(ついはこいりむすめすむりいこはいつ)》。下から読んでも《つい箱入り娘住むリイコハイツ》。

男が住むアパートの名前を「リイコハイツ」にしよう。大家さんの名前がリイコに違いない。ちょっと昭和な名前、リイコ。

「箱入り娘」の商品名に偽りはなかった。恥じらい方ひとつ取っても奥ゆかしく品がある。正座した足をもじもじと動かすのが初々しい。一人暮らしの男の部屋に初めて足を踏み入れた乙女のうれし恥ずかしが伝わってくる。

「うれしはずかし」をひっくり返すと「しかずはしれう」。「う」で折り返して、《「マット敷かず走れ、うれし恥ずかし」と妻(まっとしかずはしれうれしはずかしとつま)》。下から読んでも《「マット敷かず走れ、うれし恥ずかし」と妻》。

妻が出てくると話がこじれる。
回文家の男が今読んでいる小説の一節ということにしよう。そこに登場する妻。

「よく来てくれたね。自分の家だと思ってリラックスしてよ」

強張っていた箱入り娘の膝から心なしか力が抜けたように見えた。この膝に早く身を委ねたい、そして回文を作りたいという衝動がこみあげるのを、男は、ぐっと押しとどめる。強引なヤツだと思われたくない。気まずくなっては先が思いやられる。なにせ相手は箱入り娘なのだ。

「その……着るものなんだけど、女の子の服ってよくわからなくて.……」

「きるもの」をひっくり返すと「のもるき」。「の」で折り返して、《着るもの、盛る気?(きるものもるき)》。

男がしどろもどろに言うと、箱入り娘の膝頭が少し弾んだ。

「一緒に買いに行こうか」

さっきより大きく、膝頭が弾んだ。喜んでくれているらしい。

男と膝枕にとっての初夜となる、その夜。男は箱入り娘に手を出さず、いや、頭を出さず、そこにいる膝枕の気配を感じて眠った。やわらかなマシュマロに埋(うず)もれる夢を見た。

「マシュマロ」をひっくり返すと「ロマユシマ」。「あ」で折り返して、《マシュマロアロマ湯島(ましゅまろあろまゆしま)》。
テルマエロマエみがあって、好き。

翌日、男は旅行鞄に箱入り娘膝枕を納めると、デパートのレディースフロアへ向かった。

「窮屈でごめんね。少しの辛抱だから」

ファスナーが閉まりきらない旅行鞄を抱きかかえ、鞄に向かって話しかける男の顔は最大限にニヤけていた。怪しすぎて、店員は寄って来ない。

「てんいん」をひっくり返すと「んいんて」。
《仮店員インテリか(かりてんいんいんてりか)》。下から読んでも《仮店員インテリか》。
ラブ! 店員全員手ぶら(らぶてんいんぜんいんてぶら)》。下から読んでもラブ! 店員全員手ぶら》。

二つできた。調子いいぞ。

「やっぱり白のイメージかなあ。こういうの似合いそうだよね。これなんかどう?」

《身勝手な手づかみ(みがってなてづかみ)》。
《よいカシミヤみじかいよ》。

回文をブツブツつぶやきながら男が手に取ったスカートを旅行鞄に近づけると、鞄の中で膝頭が弾んだ。

裾がレースになっている白のスカートを買い求めた男は、帰宅すると、早速箱入り娘に着せてみた。

「いいね。すごく似合ってる。可愛い……もう我慢できない!」

男は箱入り娘の膝に倒れ込んだ。マシュマロのようにふんわりと男の頭が受け止められる。白いスカート越しに感じる、やわらかさ。レースの裾から飛び出した膝の皮膚の生っぽさ。天にも昇る気持ちだ。

「しろひざ」をひっくり返すと「ざひろし」。
《白膝広し(しろひざひろし)》。
ほんとは広くはないけど、精神的な広さ。懐の深さというか、自分を丸ごと受け止めてくれる感じ。

「まるひざ」をひっくり返すと「ざひるま」。
《丸膝昼間(まるひざひるま)》。
明るい昼間の光の下で眺める丸い膝。たまんないなー。

《丸膝枕からクマ。ザ・昼間(まるひざまくらからくまざひるま)》
《理科膝枕からクマ。ざ・光(りかひざまくらからくまざひかり)》
《ながら膝枕からクマ。ざ・ひらがな(ながらひざまくらからくまざひらがな)》
《生地膝枕からクマ。ざ・ひじき(きじひざまくらからくまざひじき)》

ひじき。白い膝とまったく関係ないどころか世界観を壊しにかかっていて、好き。

この膝があれば、もう何もいらない。男は箱入り娘の膝枕に溺れた。

《好いたらばパラダイス(すいたらばばらだいす)》

職場にいる間も膝枕のことが気になって仕事が手につかない。

「ただいま!」

男が飛んで帰り、玄関のドアを開けると、膝枕が正座して待っている。膝をにじらせ、男を出迎えに来てくれたのだ。なんて、いじらしい。愛おしさがこみ上げ、男は箱入り娘の膝に飛び込む。

膝枕に頭を預けながら、男はその日作った回文を話す。

「イカとかタコとか、水産系って回文に向いてるんだよね。《イカ飯、〆かい?(いかめししめかい)》《イカご飯、箱買い。(いかごはんはこがい)》《くどい顔かい?イカお買い得!(くどいかおかいいかおかいどく)》《鰻、ナウ。(うなぎなう)》《鯛、山葵、騒いだ。(たいわさびさわいだ)》」

ときどき膝頭が小さく震える。笑っているのだ。

「僕の回文、面白い?」

拍手をするように、二つの膝頭がパチパチと合わさる。もっと箱入り娘を喜ばせたくて、男の回文作りに熱がこもる。

「《締めのメシ。(しめのめし)》《今朝の酒。(けさのさけ)》《寿司に死す。(すしにしす)》《ようかん買うよ。(ようかんかうよ)》《ラザニア2皿。(らざにあにさら)》」

仕事でイヤなことがあっても、箱入り娘に語り聞かせる回文ネタができたと思えば、気持ちが軽くなる。うつ向いていた男は胸を張るようになった。顔つきに自信が表れ、目に力が宿るようになった。

「だし巻き回文、行っちゃいまーす。上から読んでも下から読んでも《だし巻き、できました》。真ん中の文字を変えると、どんどんできちゃいます。《だし巻き、巻きました》《だし巻き、焼きました》《だし巻き、着きました》《だし巻き、泣きました》《だし巻き、抱きました》《だし巻き、描きました》。あ、皆さんお腹いっぱいですか? 《だし巻き、飽きました》?」

「こんなに面白い人だったんですね」

職場の飲み会で隣の席になったヒサコが色っぽい視線を投げかけてきた。

「ヒサコ」をひっくり返すと「コサヒ」。
《隣の子さ。ヒサコ、のりなと(となりのこさひさこのりなと)》

とっさにヒサコ回文を考える男の目はヒサコの膝に釘づけだ。

《なう、もお、とてもいい子さ、ヒサコ、いいモテとおもうな》

酔った頭が傾いてヒサコの膝に倒れこみ、膝枕される格好となった。

その瞬間、男は作り物にはない本物のやわらかさと温かみに魅了された。

骨抜きになっている男の頭の上から、ヒサコの声が降ってきた。

「好きになっちゃったみたい」

その夜も、箱入り娘膝枕は、いつものように玄関先で男を待っていた。ヒサコの膝枕も良かったが、箱入り娘の膝枕も捨てがたい。

「やっぱり君の膝枕がいちばんだよ」

つい漏らした一言に、箱入り娘の膝が硬くなる。浮気に感づいたらしい。そこに「今から行っていい?」とヒサコから連絡があった。男はあわてて箱入り娘をダンボール箱に押し込め、押入れに追いやると、ヒサコを部屋に招き入れた。

その夜、男はヒサコに膝枕をせがんだが、手を出すことはしなかった。ヒサコは男に大事にされているのだと感激したが、男は膝枕にしか興味がないのである。

翌日からヒサコは男の部屋に通うようになるが、あいかわらず膝枕止まりで、その先へ進まない。ヒサコはじれったくなるが、女のほうから「そろそろ枕を交わしませんか」と言うのもはばかられる。

「ねえ。誰かいるの?」

「誰か」をひっくり返すと「彼だ」。
《誰か、彼だ(だれかかれだ)》。
いや違う。彼女だ。

「そんなわけないよ」

《「このおとは……」とおのこ》。
男は口ごもるが、女は食い下がる。
《酔うと、おなご、なお問うよ(ようとおなごなおとうよ)》

「気のせいだよ。悪い。仕事しなきゃ」
「いいよ。仕事してて。私、先に寝てる」

「違うんだ。君がいると、気が散ってしまうんだ」

男は急いでヒサコを追い返すと、ダンボール箱から箱入り娘を取り出す。箱の中で暴れていたせいで、箱入り娘の膝は打ち身と擦り傷だらけになっている。その膝をこすりあわせ、いじけている。

「きずだらけ」をひっくり返すと「けらだずき」。

続きを読もう。

「焼きもちを焼いてくれているのかい?」

「やきもち」をひっくり返すと「ちもきや」。

続きを読もう。

男は箱入り娘を抱き寄せると、傷だらけの膝をそっと指で撫でる。

「悪かった。もう誰も部屋には上げない。僕には、君だけだよ」

男が誓うと、「お願い」と手を合わせるように、箱入り娘は左右の膝頭をぎゅっと合わせる。それから膝をこすり合わせ、「来て」と言うように男を誘う。

「いいのかい? こんなに傷だらけなのに」

「いいの」と言うように左右の膝をかわるがわる動かし、箱入り娘が男を促す。打ち身と擦り傷を避けて、男は箱入り娘の膝に、そっと頭を預ける。

「すりきず」をひっくり返すと「ずきりす」。
《ズキリ、すり傷》。

「やっぱり、君の膝がいちばんだよ」

《最低さ!(さいていさ)》

回文で罵倒された男が思わず飛び起きると、いつの間にかヒサコが戻って来ていた。玄関に仁王立ちし、形のいい唇を怒りで震わせている。

「二股だったんだ……」

《バカ以下! ふたまた不快! カバ!(ばかいかふたまたふかいかば)》
《萎え! ゲス以下! 二股深いスゲえな!(なえげすいかふたまたふかいすげえな)》
《嘘つけ! 二股不潔そう!(うそつけふたまたふけつそう)》

ヒサコもヒサコの回文もキレッキレだ。「二股」が回文向きであることを発見してうれしくなりつつ、男は必死に言い訳する。

「違う! 本気なのは君だけだ! これはおもちゃじゃないか!」

男が思わず口走ると、「ひどい」と言うように箱入り娘の膝がわなわなと震えたが、男は遠ざかるヒサコの背中を見ていて、気づかなかった。

「きみだけだ」をひっくり返すと「だけだみき」。
《君だけだ、ミキ!(きみだけだみき)》

いや。彼女はミキじゃない、ヒサコだ。名前を間違えたら火に油だ。

《酒だ! 火に油ラブ♡ 兄一人だけさ(さけだひにあぶららぶあにひとりだけさ)》

兄って誰だよ? ヒサコの兄か? まさに火に油だ。

回文で頭がゴチャゴチャになりつつ、男は、ヒサコへの愛を誓うことにした。

「ごめん。これ以上一緒にはいられないんだ。でも、君も僕の幸せを願ってくれるよね?」

「しあわせ」をひっくり返すと「せわあし」。
《寝た。幸せな世話、明日ね(ねたしあわせなせわあしたね)》。下から読んでも《寝た。幸せな世話、明日ね》。修羅場の二人に明日なんてあるのか? ない!

身勝手な言い草だと思いつつ、男は箱入り娘をダンボール箱に納め、捨てに行った。箱からは何の音もしなかった。その沈黙が男にはこたえた。自分がどうしようもない悪人に思えた。ゴミ捨て場に箱を置くと、振り返らず、走って帰った。

「ごみばこ」をひっくり返すと「こばみご」。
《作り物拒み、ゴミ箱。ノモ理屈(つくりものこばみごみばこのもりくつ)》 
ノモ理屈って何? no more 理屈? 厳しいか。
回文家の名前は野茂ってことにしよう。
野茂の理屈はノモ理屈。おじさんの構文はおじさん構文。

真夜中、雨が降ってきた。箱入り娘は今頃濡れそぼっているだろう。迎えに行かなくてはという気持ちと、行ってはならないと押しとどめる気持ちがせめぎ合う。男はヒサコの生身の膝枕のやわらかさを思い浮かべ、自分に言い聞かせた。

「せめぎあう」をひっくり返すと「うあきめせ」。
「やわらかさ」をひっくり返すと「さからわや」。

続きを読もう。 

「箱入り娘のことは忘れよう。忘れるしかないんだ。ヒサコの膝が忘れさせてくれる」

眠れない夜が明けた。

「ねむれない」をひっくり返すと「いなれむね」。
「い」で折り返して、《眠れない。いな、レムね(ねむれない いなれむね)》。
レム睡眠。眠れてる。熟睡してるじゃないか。

男が仕事に向かおうと玄関のドアを開けると、そこに見覚えのあるダンボール箱があった。狭い箱の中で膝をにじらせ、帰り着いたらしい。

《路地ニジニジにじろ(ろじにじにじにじろ)》

箱に血がにじんでいる。

《すぐだ! 手当てだ! クズ!(すぐだてあてだくず)》

男が回文でわめきながら箱から抱き上げると、箱入り娘の膝から滴り落ちた血が男のワイシャツを赤く染めた。

《抱き上げ、飽きた(だきあげあきた)》
《ダメ。染めた(だめそめた)》
《血がガチ(ちががち)》

「大丈夫? しみてない? ごめんね」

大丈夫じゃないだろう。人生をひっくり返してやり直そう。君も俺も。

箱入り娘の膝に消毒液を塗り、包帯を巻きながら、男は申し訳なさとともに愛おしさが募った。こんなに傷だらけになって男の元に戻って来てくれた箱入り娘を裏切れるわけがない。

《傷がズキズキ図画好き(きずがずきずきずがずき)》
傷ついた膝の絵を描く回文家。変態で、好き。

そのときふと、男の頭に別な考えがよぎった。

「これもプログラミングなんじゃないか」

「プログラミング」をひっくり返すと「グンミラグロプ」。

続きを読もう。

箱入り娘膝枕の行動パターンは、工場から出荷された時点でインストールされている。二股をかけられたとき、捨てられたときのいじらしい反応も、あらかじめ組み込まれているのだとしたら、人工知能に踊らされているだけではないのか。そう思うと、男はたちまち白け、箱入り娘がただのモノに見えてきた。

「いじらしい」をひっくり返すと「いしらじい」。
《いじらしい、しらじい》

しら爺。また登場人物増えた。ていうか、「いじらしい」ってすでに回文になっていた。もう少し長くしてみよう。

《いじらしい、しらじらしい、しらじい》
早口言葉みたいで、好き。

「明日になったら、二度と戻って来れない遠くへ捨てに行こう」

これで最後だと男は箱入り娘の膝枕に頭を預けた。別れを予感しているのか、箱入り娘は身を強張らせている。箱入り娘の膝枕に頭を預けながら、男はヒサコの膝枕を思い浮かべる。所詮、作りものは生身には勝てないのだ。

「これでさいご」をひっくり返すと「ごいさでれこ」。
ちょっと東京都知事みがある。

続きを読もう。

「ダメヨ ワタシタチ ハナレラレナイ ウンメイナノ」

夢かうつつか、箱入り娘の声が聞こえた気がした。

「だめよわたしたち」をひっくり返すと「ちたしたわよめだ」。「ち」で折り返して、《ダメよ。私たち足したわ。読めた(だめよわたしたちたしたわよめた)》。下から読んでも《ダメよ。私たち足したわ。読めた》。

「ウンメイナノ」をひっくり返すと「ノナイメンウ」。
《あなたの内面、運命なのだなあ(あなたのないめんうんめいなのだなあ)》
《イジれ。運命なの。内面うれしい(いじれうんめいなのないめんうれしい)》
《軽い照れか、運命なのか、かの内面浮かれているか(かるいてれか、うんめいなのか、かのないめんうかれているか)》

「ゆめかうつつか」をひっくり返すと「かつつうかめゆ」。
《夢かうつつかっつう亀湯(ゆめかうつつかっつう亀湯)》
近所に「亀湯」っていう極楽な風呂屋があることにしよう。

翌朝、目を覚ました男は、異変に気づいた。

「あれ? どうしたんだ? 頭が持ち上がらない」

頭がとてつもなく重い。横になったまま起き上がれない。それもそのはず、男の頬は箱入り娘の膝枕に沈み込んだまま一体化していた。皮膚が溶けてくっついているらしく、どうやったって離れない。

「これじゃあまるで、こぶとりじいさんじゃないか」

「こぶとりじいさん」をひっくり返すと「んさいじりとぶこ」。「さ」で折り返して、《こぶとり爺さんさ。イジり、飛ぶ子(こぶとりじいさんさいじりとぶこ)》。下から読んでも《こぶとり爺さんさ。イジり、飛ぶ子》。

この爺さんの名前がさっきの「しら爺」ってことにしよう。子どもにいじられる、いじらしい、しらじらしい、こぶとり爺さんのしら爺。

男は保証書に記された製造元の電話番号にかけてみたが、呼び出し音が空しく鳴るばかりだった。

「でんわばんごう」をひっくり返すと「うごんばわんで」。「よびだしおん」をひっくり返すと「んおしだびよ」。「よびだしおん」の「ん」で折り返して、《年3位。呼び出し音押したビヨインさん(ねんさんいよびだしおんおしたびよいんさんね)》。下から読んでも《年3位。呼び出し音押したビヨインさん》。

ビヨインさんってなんだ? 美容院を縮めてビヨイン。そうしよう。営業が大変で電話かけまくってる美容院さん。また登場人物増えちゃった。回文家は美容師という設定にしよう。言葉も髪もくるりと巻く回文家の美容師さん。箱入り娘のことが気になって仕事が手につかなかったとき、どうしてたんだろ。

「なんだこれは? 商品をお買い上げのお客様へのご注意……?」

「なんだこれは」をひっくり返すと「はれこだんな」。《なんだこれはっ? あっぱれこだんな》。下から読んでも《なんだこれはっ? あっぱれこだんな》。

大旦那がいるなら小旦那もいるってことで。美容師の回文家は親の美容院を継いだ二代目で、なじみの客から「小旦那」と呼ばれていることにしよう。

保証書の隅に肉眼で読めないほどの細かい字で注意書きが添えられていることに男は気づいた。

「にくがんで」をひっくり返すと「でんがくに」。
《肉眼、田楽煮(にくがんでんがくに)》。
田楽って煮てもいいのか? いいとしよう。
しかし、田楽煮てる場合じゃない。

「よめない」をひっくり返すと「いなめよ」。「い」で折り返して、《読めない。舐めよ(よめないなめよ)》。

読めないものは、舐めても読めない。

とにかく、保証書を読もう。

「この商品は箱入り娘ですので、返品・交換は固くお断りいたします。責任を持って一生大切にお取り扱いください。誤った使い方をされた場合は、不具合が生じることがあります」

《返品へ(へんぴんへ)》
回文になってる。

「ふぐあい」をひっくり返すと「いあぐふ」。《耐える不具合最悪震えた(たえるふぐあいさいあくふるえた)》。下から読んでも《耐える不具合最悪震えた》。

本文と合っている。天才か。

いよいよ起き上がれなくなった男の頭は、ますます回文の沼と箱入り娘の膝枕に沈み込む。かつて味わったことのない、吸いつくようなフィット感が男を包み込んでいた。

《好いたらば、パラダイス》

補欠の回文

ワンオペ育児バージョンに入っている「ゆりかご膝枕」が紛れ込んでいたので本文から外してこちらに。

心地よい揺らぎで赤ちゃんを寝かしつける「ゆりかご膝枕」……。
「ゆりかご」をひっくり返すと「ごかりゆ」。《私らゆりかご借り、揺らしたわ(わたしらゆりかごかりゆらしたわ)》。下から読んでも《私らゆりかご借り、揺らしたわ》。

回文noteいろいろ

clubhouse朗読をreplayで

2023.10.31 今井雅子ブツブツ仕上げ

2023.11.5 中原敦子さん

2023.11.6 鈴蘭さん

2024.1.21 鈴蘭さん

2024.1.31 関成孝さん(コジヤジコさん作「にんじんに。」に続けて)
https://www.clubhouse.com/room/P0r9WVKV?utm_medium=ch_room_pxr&utm_campaign=ALIqkAlw5-HZVRyAk7ciJA-1094730

目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。