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表現とフィールド

今日はちょっとスピリチュアルな話。苦手な方はスルーを。

3年ほど前にアカシックリーディングというものをしてもらったことがある。とにかく目に見えないことは誰にもわからないし、何をどれだけ信じるか、ということだけなんだと思うけど、友人が見てもらったよという話を聞いて興味が湧いた。

ちょっと遠方だったので、スカイプで繋いで見てもらった。
過去生とか、ちょっと先の未来とかそんなものが見えるらしい。未来は今の時点での未来であって、もちろん変わることもあります、と言われた。なんだか怖くて未来は聞けなかった。
過去生を聞くと、なんだかいろいろやってたみたいだった。風水師、占い師だったときもあるらしい。特に今の生に影響を強く与えているものはないかも、と言われてちょっとがっかりした。
でも、とその人は言った。
中近東あたりでダンスをしていた過去があるらしく、そのダンスというのは権力者のお抱えの、たぶん、ハーレムみたいなものの一部で踊ってたようだった。とても個性的で妖艶なダンサーだったらしい。そのときの自己表現みたいなものは今にも生かせますよとアドバイスをもらった。
まさかダンスはしないけど、表現するということにおいては同じなのかも、と思った。

結局、どんな過去生であっても今生きている自分の人生は自分のものだと思うし、持って生まれたものがあっても、今世の選択によっては生かされないものもあるんだろう。生かす生かさない、というのは誰かの役に立つかどうかじゃないかと思う。もちろん自分自身も楽しめればさらにいいだろうし。
どんなに才能があって有能でも、誰かの役に立てなければちょっと残念なのかなという気がする。人を支配したり、承認欲求を満たすためだけに才能を使うのはなんだか違う。
ただでさえ、たくさんのものや情報があふれる時代。自分が何をどこで誰のためにしていくかを都度、選んでいかないといけない。
竿を立てていないとあっという間に流されてしまう。それほど激しい流れの中にいるんだ、と身に染みて感じる。
風に運ばれた種がしかるべき場所で芽を出すように、きっと自分のフィールドを本当は誰しもが知っているんだと思う。
にしても、ダンスとか色気とか、全部置いてきたのね、私。

#コラム #エッセイ #スピリチュアル #フィールド #アカシックリーディング #過去生 #ダンサー

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