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大したことない、が、ちょっとずつ心を殺していくことに50過ぎて気づき、ロックダウンでリカバリー完了

約4ヶ月に渡って、
スーパーとテイクアウトしか開いていない(公園も閉まっている)状況からどんどんコロナの規制が緩くなってきたマレーシア。

私はほとんど家にいた割に
noteすら一行たりとも書く意欲がわかず
ひたすら映画と漫画に明け暮れていました。

仕事もなく海外でひとり
朝から晩まで家で生産的な活動を全くしない
55歳の独身女。。。

まあ、焦りや不安やネガティブも出ますよね、暇だもん。

しかし、
誰にも会わない=人に合わせない
マレーシアでロックダウン=日本の情報が入らない
仕事できない=自由でマイペース

 これを徹底的にやれたおかげで「私の本質が何か」を感覚としてつかめた気がします。
というのも、
 ずっと私は、人から拒絶される痛みを二度と感じないために、「人に合わせ」「先に人を見捨て」「社会の常識にあてはめて」わざと自分を失っていたから。

 私は3歳の時から父とふたりっきりだったこともあって、家族の関係性が両親の揃った家とは違っていました。

 子供の頃は、父の機嫌を損ねないように全面的に言うことを聞いて、反抗期には心の中で無視をして、オバサンになってからは「親も大変だったんだ」と合理化して。。そのひとつひとつの出来事は「大したこと」ではなくて、子供なら大人なら日本人なら女なら人間なら、我慢できなくもない。

けれども、

 本当は嫌だし受け入れたくないことを「大したことない」で押し込める癖がつくと、自分が何をやりたくてやりたくないのか、感覚が鈍くなってわからなくなっていくのだと体験しました。

 そして、許容量を超えて上から感情を押さえ続けると、横からぶにゅっと出てくるように、思わぬ形で毒がもれる。子供の頃からずっとホントに言いたかったことを言わない反動なのか、私はいつもイライラしてグチっぽい奴になっていきました。

 そこから抜けて、自分の本質に気づき、自分自身を生きるために、他者や社会の一切と距離を置く必要が私にはあったのだと感じます。

 何かのご縁でここまで読んでいただいた方とは、もしかすると私の体験に通じるものがあるのかな、と思いながら書いています。
 どうか、大したことない、と我慢する癖に気づいて、違和感がある自分の声を丁寧に拾っていくことで、あなたが「本質」を生きられますように。

長いですが、マルタ島のガイドブックを出版した会社員時代の仕事仲間との雑談も参考になれば、これ幸いです♪
人と話せるのが楽しすぎて、嬉ションしている犬みたいな喋り方ですけれども。。。

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