見出し画像

起業してからの後悔と反省:​僕が起業した理由〜大学2年生の思い出〜

起業してから3年が経った。起業してからの後悔と反省をここに記す。最近は立て続けに落ち込むことが重なる。大きく考えを改めさせられる自体だ。大変勉強になる。きつい。

なんだろうな。いろんなことがあったな。何が印象的だろうか。なんで起業したか。そこから書いたほうがいいのかな。

​僕が起業した理由〜大学2年生の思い出〜

起業した理由は様々ある。致し方なかったというのもあるかもしれない。一番は結婚したかったからだ。それが素直な思いだ。

後はそれしか選択肢がなかったことも言えるだろう。僕はとても転職が多い。非常に苦しい思い出がたくさんある。大したことないと思われるかもしれないが、いろんなことがあった。

新卒は建設機械のレンタルの会社に入社した。一番内定をもらった中で、大きかった会社だ。両親を安心させたかった。

就活にはとても苦労した。僕は2011年3月の卒業だ。東日本大震災もあり、卒業式はとても静かに行われた。大学2年生の時に当時付き合っていた彼女と別れて、大学に行きたくなくなった。後期はほとんど行かなくなった。

大学に行くと、夏休みを明けたら、新しい彼氏ができている彼女といつも会うからだ。とても辛かった。学校に行きたくなくなった。なんでこんな思いをしなきゃならないんだ、と思っていた。

そこから大学にも行かなくなり、今は高崎市議になった清水明夫さんの運営するシェアハウスに住むこととなった。当時はなんも考えてなかった。両親もとても心配した。でも、とにかく学校に行きたくなかった。怖かった。

シェアハウスに住み始めた自分は、友達といろんなアルバイトをした。特に印象的だったのは、某大手運輸会社の契約社員として働いたことだ。

毎日毎日働いた。あんなにぐるぐると走り回りながら、荷物を運んだのは、初めてだった。思い出すと、いろんな人がいたな、と思う。後は、運転手さんの大変さだ。休まる時間は無いように見えた。

一ヶ月働いて、実家に戻った。シェアハウスにいたは実際、2ヶ月くらいだろうか。年が明けて、テスト期間に入った。母の言葉を思い出す。

「テストくらい受けたらいいんじゃないの?」と。今もそう思う。母は正しい。しかし、全く受けなかった。そこで大半の単位を落とした。そこからとても苦しい日々が続いた。

初めて下級生と一緒に授業をたくさん受ける。同級生はいない。なんとも言えない気持ちだった。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ、くそ、見てろよ、やってやるんだ、なにクソ、という思いで、ひたすら本を読んでいた。本を読む習慣がついたのはあの頃だ。

そこからはとても辛い2年間だった。大学1年生が「オレンジデイズ」を夢見て、青春を謳歌しようとひたすら毎日を過ごしていたが、2年生になり、夏を明けてからはガラリと景色が変わった。