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Google mapsにレストラン情報をマッピングしながら考えたこと

最近、SNSなどで皆さんに教えてもらう美味しそうな店をGoogle Mapsでマーキングして、機会があれば訪れようと試みている。

今朝も、中学以来の友人が共有していた日本酒が美味しそうな店をGoogle Mapsに「行きたいお店」として登録しながら、果たして僕が今やっているマッピング行為は、プラットフォームビジネスにとってどういう意味を持っていて、それに対して、デジタル市場競争会議のワーキンググループメンバーとして、いま僕が他のメンバーや政府の人たちと一生懸命検討しているアジェンダと、どのようにつながってくるのかを、改めて考えてみた。

第一に、僕がやっているこのマッピング行為は、僕自身の頭脳のメモリを使うコスト(そして忘れてしまうことによる機会損失)を節約するために、メモリをGoogleにアウトソースしていることを意味しており、僕はその対価としてGoogleに僕自身の嗜好データを販売しているということになる。

僕自身としては、このような取引は、個々のアウトソーシング行為としては十分に取引に値すると思っている。そして、Googleもこれを集積することで得られるメリットがメモリのアウトソーシングを受けるコストよりも大きいと思っているわけで、両者の間では取引が合理的に(すなわちwin-winの形で)成立している。

個人の側から見えているGoogleとの1対1の取引としては、まさにこれでなんら問題ない。

なお、Googleは同じ取引をたくさんの個人Nと行っている。たくさんの顧客と同種の取引をすることでスケールメリットを事業者がとることは、BtoC取引にあってごく当たり前のことということになる。だからこれ自体も別にGoogleに異議があるわけではない。

次に、Googleはさらにその後ろに広告主を抱えていて、ここにたくさんの個人から獲得したデータを分析した結果を販売することになる。これについても、単に分析データをアノニマスな形で販売する分には、僕は別に構わないし、また合理的に考えれば、おそらく他のユーザもこれに納得しているのだろう。

ここからさらに一歩進んで、Googleは広告主から依頼を受けて、分析結果から得られた「広告主のプロダクトを購入しそうな人」というセグメントに対して、プロダクトの広告が届くようにアレンジするというサービスを販売している。このサービスについて、これが便利と思うユーザもいる反面で、これに反感を持つユーザもいる。

昨日10月21日に開催されたデジタル市場競争会議WGの資料によると、このサービスが不快であると考える人は、実に過半数に上るという。

過半数が不快であるということは、GAFAがいう「民主化」のロジックからすれば、そのようなサービスは民主的に拒否されているということにほかならない。いくらこれを便利に思う人がいるという事実があったとしても、多数の人がそうではないという以上、残念ながら変わらなければならないのはプラットフォーマーの側であり現在の広告モデルの方だということになる。

たしかに立憲民主主義のロジックからすると、必ずしも多数者の言うことが正しいわけではないという領域も存在しうることになっている。けれども、この問題はこうした少数の人権が保護されなければならないという立憲主義の話ではなく、純粋に商業すなわち経済的自由の話だ。

そうである以上、少数者を尊重せよという話は通らない。

プラットフォーマーの中には、検閲の禁止すなわち表現の自由を理由として近時のプラットフォーマーに対する風圧に抗する向きも見られる。けれどもいま社会が提起しているアジェンダは、表現の自由を制限せよというよりは、多数者が不快だと思っている広告モデルをどうにかせよということなのだと思う。要は、なにか主張したい人が、その主張を届けたい先に届けるために、プラットフォーマーが分析したセグメンテーションに基づく配信戦略にアクセスでき、これによってプラットフォーマー自身が利益を得るというこのモデルをどうにかせよということを言っているのだと思う。

スポンサーが出してくる表現について、その適切性を審査するというのは、広告審査のもとであらゆる既存のメディアが行ってきていたことであり、これに対して表現の自由保護なり検閲禁止なりといきり立つのがおかしなことであるのと同様、世間は正しいこと、アタリマエのことをプラットフォーマーに要求し始めているのだと思う。

フェイクニュースの問題やdisinformationの問題の解決も、実はこうしたことを解決する先に見えてくるのではないだろうか。

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