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神道について(1)〜本質は「おもてなし」

さて1つの目標であった神道に辿り着きました。
・神道と言うと本当に宗教とよんでいいものかどうか考えてしまいます。それは宗教の「定義」にもよるのですが、ここで小室直樹博士の言葉を引用すると、宗教の定義はこうなります。

「マックス・ヴェーバーはかくいった。宗教とは何か、それは『エトス(Ethos)』のことであると、エトスというのは簡単に訳すと『行動様式』。つまり、行動のパターンである。人間の行動を意識的及び無意識的に突き動かしているもの」(「日本人のための宗教原論」)

実は浅学な私はマックス・ヴェーバーの著作(もちろん、各種日本語の訳本ですが)から、このような定義は見いだせてはいませんが、非常に広義でわかりやすいと思っています。
話を戻しますと、この定義に従えば、神道も宗教の一種と理解できます。

■神道って何だ?

・「神道って何?」って聞かれて、ほとんどの人は頭でわかっていても、口では説明できないものだと思います。その原因は、「教祖」がいない、「経典」がない、「僧侶」がいない(神主は説教を垂れない)、なので「教説」もない、「救い」はあるようなないような、あるものと言えば神社と賽銭箱。賽銭も金額によって効き目が変わるらしいと思っている人が多い(何だかモーゼの神から怒られそう)。つまり、他の宗教一般と比べて何をどう説明すれば良いのかよくわからないのが主因でしょう。それでも、日本人を縛っている。初詣、お宮参り、七五三、結婚式、地鎮祭は言うに及ばずですが、農村・漁村・山村などでは神社があって、例えば龍神様が祀らているのですが、地元の方々は平素から大切にお守りされている姿をみます。神道というと、古事記・日本書紀の神々をまず考えてしまいますが、こういうお社に注目すると、いくつか見えてくることがあります。

・名称はともかく、各地の川沿いに龍神神社が多くありますが、龍神様は元は水流をつかさどる神様で水の流れ(川、滝、竜巻も?)からそのお姿を想像したのだと思われます。飢饉や洪水などは神の御怒りと考え、神がお怒りにならないようにお祀りをしているようです。ここでハテ?と思うのは、何故神様はお怒りになったのだろうか?ということです。無茶な開発をした祟りとかなら、まだ思い当たることもあるでしょうが、いつもそうではない。となると、「祀り方が悪かったからスネた」と考えるしかありません。つまり「もっとちゃんともてなせ!」と要求している。常に称賛されることを望むユダヤ教のヤハウェにも似ています。つまり、神様のご機嫌を損ねないように、普段から敬意を持ってお祀りすることが自然災害対策になるという構造です。これらの神様へは何かのご利益をお願いするというより、「怒らないでくださいネ」というお願いをすることのようです。

・神様は姿がありません。その存在は「何か」「誰か」に憑依することで認識できます。多くは自然のもので、特に畏怖やある種の敬意を感じさせる山や石など(本居宣長的には「可畏(かしこ)き者(=異能・異形・異様の者)」)に憑依したり、時には人にも憑依し、そうするとその人は超人的能力を発揮します。今でもそういう言い方をしますよね、「神が下りてきた」とか。また時には自然災害という形で現れることもあります。
逆に神様に来ていただきたいときは清浄な場所を用意します。定期的に来ていただきたい場所には社を、臨時的な場所でも神籬(ひもろぎ)を用意すれば良いわけです。
旅行に行く場合は「幣(ぬさ)」を持ち歩いて、土地土地の神様に捧げることも行っていたようですね。百人一首にもある「このたびは幣も取りあへず手向山紅葉のにしき神のまにまに」(菅原道真)という歌は美しくて有名ですね。これも言ってしまえばご機嫌取りです。

・菅原道真が出てきたところで、人が神になる形もあることに触れておきましょう。多くは前述の「可畏(かしこ)き者」あるいは「いじめられて死んだ者」が死後に神になるパターンです。たくさんいらっしゃいます。例えば、日本三大怨霊(菅原道真、崇徳天皇、平将門)、早良親王、応神天皇、安徳天皇、楠木正成、徳川家康、赤穂四十七士など、そして靖国神社の英霊もそうですね。カトリックでいう聖人って感じですが、元々からの神と同列に扱われていますので、一神教的な神vs人という対立構図は無さそうです。

・また、古事記によれば、崇神天皇の時代に人民が死に絶えてしまうほどの疫病が流行り、嘆き悲しむ天皇の夢の中に大物主神が現れ「この悪い病気を流行らせたのは私だ(オイオイ(^^;))。意富多多泥古(おほたたねこ)に命じて自分を祀らせれば国は元に戻る」と言ったとか。何で大物主神がなんでそんな病気をはやらせて人を死に追いやったのかはわかりませんが、察するに「もっと祀って欲しかった」ということになりますね。とんでもないヤツとも言えなくもないですが、ここに神様の本性が「見える」気がします。
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後日談としては、天皇は夢から覚めると、さっそく意富多多泥古を美努(みの)村(大阪府八尾市)で発見させ、天皇の下に連れて来させた。天皇は喜び、さっそく意富多多泥古を神主として御諸山(=三輪山)に意富美和之大神を祀った。そして、「伊迦賀色許男命(いかがしこをのみこと)」に祭祀用の器を80個作らせ、宇陀の「墨坂神(すみさかのかみ)」に赤色の楯矛を供えて、「大坂神(おほさかのかみ)」に黒色の楯矛を供えて、坂の上や河の瀬にいる神々にまで一柱も漏れなく幣帛を供えて祀ったおかげで国中は穏やかになったとか。この不思議な記述も神様の性格をこう考えれば腑に落ちる気がします。

・豊穣の祭祀も国単位であれば大嘗祭ということになり、地域単位では祈年祭や五穀豊穣のお祭りでしょう。こう考えると、神道は基本的に共同宗教ということになりますね。ないないづくしの共同宗教である神道とあるあるづくしの個人宗教である仏教はうまく組み合わさったということかも知れません。
・私はどうもこの辺りに神道の原点があるような気がしてなりません。いわば「神様はお客様」で、折口信夫流に言えば「まれびと」という感じです。普段は姿も見えず声も聞こえない神様は何かに憑依して、突然やってくる。それを丁重に「おもてなし」して無事お帰りただく。そしてたまには人間側から御礼や報告をする。豊穣であったり、出産であったり、快気であったり。豊穣の場合は「邪魔して戴かなかったのでこんなに作物が取れました。それをお供えして共有しましょう」ということだったり、出産の場合の隠れた意図は「(おもてなしをするので)この子に悪さしないでね」みたいなことでしょうね。「日本は神国」という言うと総理大臣でも首が飛ぶのですが、「神皇正統記」でいう「大日本者神國なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神國と云なり。」の意味は私は「神を祀ることで、安寧と繁栄が保たれている国」という程度だと思います。神皇正統記からは「神国だから崇高で気高く強いんだ!」などというおごりを全く感じません。むしろ神との緊張関係を抱えている不安定な国に見えます。こんな国は他にないですね。だから「異朝には其たぐひなし」という訳です。
・従って、現在でも最も重要な行事は祭祀であって、これは天皇陛下が行われます。これによって日本の国が保たれているという訳です。

ところでかつて全く教義がなかったのかいうと、そうでもなく伊勢神道、吉田神道、垂加神道などが登場しましたが、それらは仏教やらキリスト教やらを借用したでっち上げ感があって、結果的には、それほどはやらなかったように思います。これらについても後に触れたいとは思っています。