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ガチで死にかけたおっさんが長編小説書いて書籍化作家になったドキュメンタリー自己紹介1(超長い)


 ちょろっと短編を書くことはあるものの、長編は書こうとしてもすぐ挫折。4年前に「これは、傑作になるぞ!」と自信マンマンで書きかけた恋愛ミステリーも、放置したまま日々に埋もれていたおっさん教師です。

 生徒の前では、学生時代の栄光にすがって「昔は長編も書いたことあるんだぞ」なんてうそぶいていたら、ある日、不治の病に!……これ、マジで死ぬかも。

 仕事にかまけて、いろいろほったらかしてたおっさんの青春マインド、若返って爆発。気がついたら、10ヶ月で24万字の長編を書き上げていました。

 書き上がった渾身の一作「辰巳センセイの国語科授業」はネット小説大賞に入賞!宝島社様からの書籍化が決まりました。

 ネット小説の流行りにガン無視を決め込んで、書きたいものだけを徹底した高クオリティで書く!……その信条で突っ走ったおっさんの、闘病記&執筆奮闘記パート1。

 もの凄く長くて恐縮ですが、ふーん、とお手すきの際にでも読んで頂ければ幸いです。

1 泣いたおっさん


2019年11月27日
 この日をおっさんこと私、瀬川は一生忘れない……たぶん。20数年ぶりに長編小説を完結させた日。約24万字を仕上げた日。おっさんは、ぼろぼろ泣いていた。

 おっさんは、1年半前にえらい大病になってしまった。詳しくはおいおい書くが、大病は二つセットでやってきて、いきなりいのちが「あぶにゃー」になった。手を打った後、医者の言った結論だけまとめれば「どっちの病気も発作が起きればさくっと死ぬかもだから気をつけてね。進行性ではないから、節制すれば長生きできるかも」……うっわ微妙。

 で、おっさんは、残った時間(多いのか少ないのか……?)で何をしようかと考えた。

 仕事に復帰できるかもそのときは微妙だったし、もう、がんがん仕事人間な生活は無理だ。療養中はヒマだったので、いろいろ断捨離して、身辺整理した。ぽっくり逝ったとき、ゴミがたくさんでは残された人もたまらんだろし…駿河屋さんありがとう。
 ついでに、昔書いた小説(短編)とかの整理を兼ねて、なろうに旧作を上げた。

 ……たぶん、生きた足跡といえるものを誰かに見て欲しかったのだ。

 さらに整理していると、4年前にこれは凄いプロットだ!と言いながら、原稿用紙40枚ほどで放置していた「辰巳センセイ」という作品のファイルが出てきた。名作文学のストーリーと重なりながらミステリーが展開し、国語科教師の主人公が、言葉で事件を解決する……これを見たとき「こいつを、書き上げたい」とおっさんは感じた。

 おっさんは、そのとき、どれだけ自分が教師の仕事が好きだったか気付いた。もう生徒の前に立てないかも知れない。教えてやりたいことはいっぱいあったのに、もう、ここまでかも知れない。
 教え子から、スマホに何件も連絡が入っていた。「先生、早く帰ってきて授業やってください」「治ったら部活来てください」……それを見て本当は、こっそり泣いていた。返事はどう書いていいかわからなくて、一件も返してなかった。

 そんなときに見つけた「辰巳センセイ」のファイルは、おっさんにとって、先生を続けられる場所に見えたのだった。

 当初は、ちょっとひねった、先生ならではのミステリー。そして、国語教科書がキライな生徒に、楽しんで授業を受ける気にさせるための教育的?娯楽作品にしよう……そう思って、プロットを練っていたのに。

 書き始めたらどんどん深みにはまった。くそ熱い、熱苦しい、ガチ言葉、ガチ希望の小説になった。先生だからやっぱ説教くさい、ツマンネ……あいつらにそう言われたくない、と思って、とにかく上質なエンタメになるよう、とことん考えた。とことん工夫した。なんだか、授業準備をしてるときみたいな気分になった。

 言葉って、すげーんだぞ。だから、大事にしなきゃなんね。人を呪うのも、祝うのも言葉の力だ。希望に繋がるように、言葉を自在に使いこなせるようになれ……生徒にいつも言ってる言葉が、作品のテーマになった。ガシガシ書き進んだ。

 夢中で書いて書いて、あっという間の4万字で、最初のプロット「舞姫の時間」が書き上がった。原稿用紙にして、150枚。後半は書きながら泣いていた……良く泣くおっさんだが、歳とると大体こうなるんだ。すまない。

 「舞姫の時間」を書いているうちに、ヒロインが可愛くなってしまい、主人公とヒロインを幸せにしてやりたい!と思い始めてしまった。面倒見始めた教え子を卒業まで見守りたい……そんな感情が、転写されたのかもしれない。

 書くからには、ハンパなクオリティじゃいけねぇ……据わった目のおっさんは呟いた。

 どうせ、生涯最後の作品になるかもなんだ。俺に書ける最強の一本、最強のラストじゃなきゃ、あの世から書き直したくなっちまう……でも、焦るな。一章ずつ、丁寧に考えて、考えて、書き上げる……途中で倒れたときに、読んでくれた人を裏切らないために「その章まででもばっちり面白い」ヤツに仕上げるんだ……。

10ヶ月が経った。

本当に最終章まで書き上がった作品を読み返しながら、今、おっさんは思っている。


 本当に書けちまった……マジか。
 はは。俺、結構やるじゃん。


 2019年の春からは仕事にも復帰して、だいぶ周りに配慮してもらいつつも、教壇に立っている。
進路について語り、時間について語り、国語について、文学について、今日もおっさんは語っている。まだ、時間あるのかな。もう少し、作品書けるかな。

 なろうに出入りしていた10ヶ月で、沢山の人から応援してもらった。初めての長編なのに、感想は200件を超えて、ありがたすぎてどうやって感謝していいのやら。レビューもファンアートも一杯もらった。サイドストーリーまでいただいた。

 全部、おっさんへの心強い応援になって、難しい場面や章を書き切る力になってくれた。おっさんは、感謝でいっぱいになって、次の夢を見はじめた。

 死ぬ前に、どうにかして本にできねーかな、と。


2 もやもやディズィーズって


「瀬川サン、大変な病気されたそうですね。なんて病気ですか?」

「もやもや病です」

「……あ……そうですか……あの、お大事にしてくださいね!」

 おい君、今の微妙な表情はなんだ。

 ……わかるよ。君の顔には「あれ?なんか大変な病気だって聞いてたけど、もやもやする病?うつ病の一種みたいな?……ちょっとおもしろ系?」……そう書いてある。なんせ、おっさんも自身でそう思ったくらいだから仕方ない。身内の某なんて、病名聞いていきなり「おいしい病名だな」と言いやがったからな。

 街ブラバラエティみたいなコレ……残念ながら正式名称だ。
 2018年6月、おっさんが一発目に発症した大病である。

 この病気、別名を「ウィリス冠動脈閉塞症」と言う……カッコイイ。どうせなら、診断書こっちにしようぜ(※不謹慎ですが患者本人なので)。ところが、正式名称は「もやもや病」……英語でも「MoyamoyaーDisease(もやもやディズィーズ)」まんまか!


……(・ω・)

 簡単に説明する。

 通常脳みそには4本の大きな動脈が通っている。この血管中心に大量の血液を脳に送り、脳の養分と酸素をまかなう。

 で、この大事な血管が な い のが「もやもや病」だ。欧米人にはほぼ見られないこともあり、研究は日本で最も進んでいるれっきとした法指定の難病である。当然、脳みそは血液不足になる。で、それを察知した人体は、代わりに脳内に膨大な毛細血管網を作る。

 つまり、正常な血管がない脳を、どうにか動くように自分で魔改造した結果が「もやもや病」。画像を撮ると、ぶっとい血管が見当たらないかわりに、雲のような「もやもや」=大量の毛細血管が写る。それで、日本人が「もやもやが写る病気」と呼んでいるうちに国際的にふざけた病名で定着したらしい……(・ω・)
(日本だけは「ウィリス冠動脈閉塞症」を正式名に推していたそうだが、世界共通語に「Moyamoya」がなってしまってたと……やっちまった自覚はあったんだな)


 魔改造した脳ですがちゃんと動いてますた……ならめでたいのだが、そうもいかない。

 本来ぶっとい血管前提の脳を、毛細血管で動かしている。すみっこが詰まるリスク(つまり脳梗塞)は高い。おまけに、血圧は細い血管全体にかかるので、歳をとって血管がもろくなると破れて出血するリスク(つまり脳出血)も跳ね上がる。
 対策、というか補強手術はあるのだが、その評価もやっと近年固まってきた、というくらい研究途上の病気だ。根本的な治療法もない。患者数的には、日本全体で1万人そこそこしかいない、らしい。

 なんで「らしい」なのかというと、もやもや病かどうかは脳を検査しないとわからないから。さらに、この病気は高齢になってから発症した場合、その一発目が重い脳出血や脳梗塞になることが多い……つまり、発症=死、というケースも普通に起こるので、正確な患者数は把握のしようがない……とのこと。

 ちなみにおっさんの場合、動脈4本とも、ほぼキレイサッパリ、ない。
 医者「見事に、もやもやです」

 毛細血管、よく頑張った、的な。

 お医者さんの見立てでは、元々そういう特殊な脳みそで、過労やストレスで負荷がかかり、問題が表に早めに出てきたのだろう、ということでした。



3 トイレの前で、くにゃん

 前回も書いたが、おっさんの脳みそにはぶっとい動脈がない。地図でいえば、国道と高速道路が全部封鎖!路地だけで移動する企画番組みたいな脳である。しかし、おっさんはそんなこと知るよしもなく、働いていた……。

2018年、春

 おっさんの身体はヤバかった。過労&ストレスは1年以上、ずっとマックスでメーター振り切れ。

 最大の要因は、職場の人間関係。ただでさえ荒れて厳しい学校の激務に加え、大変な問題職員が職場を荒らしまくっていた。てめーよくもこのくそきちが(2000字削除)。心身を病んで職場を去る人が続出して、その分のフォローが周囲に降りかかっていた。
「次倒れるとしたら、瀬川先生か○○先生ですよ。本当に無理しないで」……何度も周りから言われた。ついに二択か!大詰めである。

 軽度のうつ症に入りかけている自覚があったし、忙しすぎて記憶がオーバーフロー。出たばかりの会議や、やったばかりの授業が思い出せない日もあって、うすら寒くなった。

 数日に一回、右足が麻痺するようになった。あれ?と違和感を感じると、右足から感覚が消えて動かせなくなる。立ってもいられない。数分待つと治る。
 あとでお医者さんから聞いたのだが、こういうのを「一過性の虚血発作」というそうだ。なんらかのきっかけ……すみっこの血管に微細なゴミが詰まったり、血行が悪くなると、その脳がコントロールしている機能が麻痺する。ほんの短時間で血行は回復し、後遺症もないから一過性……詰まりが大きかったり、血行悪化が深刻だと自然に解消しなくなり、脳細胞が死んで大ダメージを受ける。これを脳梗塞という。

 職場でもなってしまい、チャイム鳴ってるのに、すとん、と椅子に座って動かなくなっているおっさん……今思うと、もういろいろアカンかった(・ω・)

 昔腰を痛めたとき、足にしびれが出たので今回も「腰、相当悪いのかなぁ」と思っていた。というより、思おうとしていた。

 足の症状が出て一ヶ月。2018年6月、自宅のトイレで立とうとした瞬間、ついに右手右足に酷い麻痺がきた。全く力が入らず、立とうとし……たけど、くにゃん、とそのまま崩れ落ちた。トイレ前で、パンツをどうあげるかが、おっさん当面の課題……。

 「やっべぇなんだこれ」口を動かして、発声できることを確認。人間、本当にヤバいと冷静になるもんだ。左手で服を直したが、スマホは居間。5分ほど動けずへたりこんだまま、頭の中の医学知識で考える。

 「……これ、どう考えても左脳だよな……まじかぁ……」

 はっきり脳疾患と自覚してからは、ひたすら怖かった。運動機能は10分ほどで回復したが、救急で病院を受診した。深夜だったが、MRIやらなにやらの機械をその場で動かしてくれて、ものものしい検査が続く。

 看護師さん「今、専門の先生こちらに向かってますので」

 ふぁ?

 今午前2時40分なんだけど……明日の朝じゃなくて?

 「いえ、ちょっと、画像が……直接見ると先生おっしゃってまして……」看護師さんの歯切れが悪い。どきどきしてくる。いい話なら、深夜3時にお医者様は出勤してこないだろーw

 お医者さん、本当にやってきた。仕事デキルマンオーラをまとったアラフォーのイケメン。ほどよくヤサグレた雰囲気。後で聞いたら、めちゃ腕のいい外科の先生らしかった。

 検査で撮った画像を画面に映しながら、先生がすばりと言った。

 「典型的な、もやもや病です……すぐ手術したほうがいい」



4 vsもやもや 開幕

 深夜3時に「もやもやです」宣告を受けたおっさん。

 お医者さんは、画像の状態を看護師から聞き、すぐに確認したくて来て下さったとのことだった。ありがたやありがたや。

 救急車からで偶然受け入れてくれた病院だが、後から聞いたところ、もやもや病では全国トップクラスの実績だった。深夜なのに検査機器フル稼働ですぐ診断してくれたのも、もやもや診断に慣れていたこの病院ならではだったらしい。

 画像診断の結果、おっさんの頭には主要な動脈4本ほぼなし。脳を補強する定番の手術をすぐにでもした方がいい、と言われた。


おお、希望があるのか!ヽ(・ω・)ノ……先生が手術の概要を説明してくれた。


<レシピ もやもや脳みその血管補強法>

1 こめかみの上、10センチあたり。頭蓋骨にたまご大の穴をあける。

2 こめかみに通っている動脈(指でおさえるとぴくぴくする)をひっぺがす。

3 頭蓋骨に開けた穴から脳に動脈の先っちょを突っ込み、比較的太めの血管と接続する。

(・ω・)/要は「脳に動脈ないから、こめかみのを突っ込もうぜ作戦」

 ……うは。

 大胆にもほどがありませんか?(・ω・)これがとても有効だというのだから、びっくりである。

 当然の疑問として、じゃあ、ガイコツに大穴あいたまま?と訊いたら、穴の部分の骨は綺麗にくりぬいて、チタンの固定金具付けてそのままフタとしてパチッとはめ込む……という。

 10万年後に発掘されたとき、頭の上に綺麗にまん丸の穴が二つ開いている(ちゃんとフタも付いている)人体として発掘されると思うとどきどきである。この蓋の隅に隙間があって、クーラーの室外機のパイプのように、頭の中と外を動脈が横断するwうひ。

 もやもや病には二種類の発現の仕方があり、一つは私のような「虚血」、つまり血が行き渡らなくて麻痺が出るパターン。もう一つは高齢で出やすい「出血」、細い血管のどこかが破れるパターン。

 この手術は血流をどかんと増やすので「虚血」には以前から有効とされたものの「出血」に有効な手段は長年議論されていたのだとか。ところが、長期の追跡調査が最近完了し、この手術で血行が安定すると、人体の神秘!で身体は不要になった毛細血管を消していくのだという。結果として、虚血も出血もちゃんとリスクが下がるのだと。

 人体も凄いが、この手術をやろうという発想が……(・ω・)

「瀬川サンの場合、発作の周期が短くなり、症状は重くなってます。一過性で済んでいるうちに手術できるのは本当に幸運です。多分、過労とストレスでしょうが、この年齢で発症したのも、実は幸運でした。もっと高齢になってからだと、血管がもろくて手術できないケースが多いので」

……本当、人生万事塞翁が馬。何が幸いするかわからない。

 手術は100%成功するわけではない。相手は脳みそだからトラブルは命に直結する。手術中のリスクや、その後まで含めると、「10%まではいかないにせよ、何%かは……」NGなことの起きる可能性があるらしい……おまけに、左右両方で手術となれば、リスクは倍。

「麻痺の出ている左脳だけ手術を急いでやって、右脳はしばらく間を開けて様子を見ることもできます。どうしますか?」

 お医者さんにはそう言われた。やるかどうかは自分で決めなくてはいけない。

 一度手術するとなれば、3ヶ月は仕事から離れることになる。2回に分けて3ヶ月単位での入院では、担任の仕事は難しくなる……立て続けに左右と手術をすれば、6ヶ月程度で復帰できる。年末ぎりぎりまで治療にあてて、新年からは担任業務に戻れる……。

「左右どちらもで。最短のスケジュールでお願いできますか」

 午前4時、即断していた。


5 検査、お金、覚悟。そして当日。

 手術やるぜ!……まあ、本人は麻酔で寝てるだけなんだけどね。

 決断したおっさんだったが、じゃあやろう、今やろう、というわけにもいかない。必要な検査がいくつもあって、それを詰め詰めのスケジュールで、10日ちょっとに凝縮した。
 日に日に重くなっていた虚血発作の件もあるから、遊んでる時間はない。

イケメン先生「即禁煙してください」……キッパリ

 血管を収縮させる喫煙をやめることは絶対条件という。学生の頃から吸ってた煙草をこの日、すっぱりやめた。禁煙に失敗した場合は、手術延期もあります、と釘を刺されたが、面白いくらいにスッパリ……命がかかってる、という自覚は偉大(・ω・)

 検査を立て続けにこなした。脳内の血流を調べる検査はしんどかった。股の血管から管を通し、頭の近くまで入れていく。そこから薬品を脳に流しながら記録をとる。血管の太い細いだけではなく、中の流れをチェックするためだ。
 何が辛いって、一度検査を始めると、足の血管に太い管を挿しているだけに、半日以上全く動けないことである。検査前にトイレに行っておいても、流石に6時間以上、とか無理w

「両側頭部の血流、相当悪いです。麻痺の原因もそのあたりでしょう。左右ともに手術で正解ですよ」

 で、検査を終えたら、ちょっと間をとって、もう入院、さっそく左脳の手術……となるのだが、一つ問題が起きた。

 ◇

 お金に関わる「難病認定」の手続きである。

 法律が指定する難病の場合、役所に届け出ると専用の「特定疾病医療証」が発行される。これは、病気のデータを研究に生かしてよい、という条件で、難病に関する医療費を国に負担してもらえるありがたいものだ。発行の申請には医師が書いた難病専用の診断書(書式見た限り、めちゃめちゃ面倒くさい)と、その診断に用いた画像データなどの証拠が必須。

で、これの何が問題かというと、

1 診断に必要なデータと書類をお医者さんが整備してくれないと申請できない。
2 無料になるのは、申請日以後の医療費だけである。遡って無料は一切ない!

 検査から手術までにそれなりに時間的余裕があるなら良いのだが、おっさんの場合はなにせ最短スケジュールである。お医者さんが書類を揃えるのが間に合わなくて、手術入院の前々日時点で、書類が揃わなかった。

 そして、手術の入院前日、日用品などを買い物していた午後、突然の電話。

「○○病院事務の××です。瀬川サン、いまヒマですか」

……事務員さんからデートのお誘いかしら?(・ω・)

「保健所の窓口に直接こられますか?夕方5時までに!」

……ずいぶん風変わりなデートスポットね(・ω・)……じゃなくて。

 事務の××さんが、忙しいイケメン先生とっつかまえて書類を仕上げさせ、わざわざ保健所まで持ってきてくれたのだった!

 おっさんは「どうせ、申請すればさかのぼって負担してもらえるんでしょー?」とその重要性をわかってなかったのだが、あのまま手術入院してたら……。

 手術その他でざっくり費用は約150万円かかってました!wうひい(・ω・)

 立て続けの検査だけで、すでに20万円くらいかかっていたが、それについては申請日前なので自己負担になった……役所に訊いたら「厚生労働省の方針なんで、そこは仕方ないんですよ」と慰められた。


<教訓>
 みんな、もし自分やまわりが難病になったら、何はともあれ役所に突撃して申請だ! 自分で行く暇ないなら、委任状書いてでも、誰かに頼むんだ。超大切だぞ(・ω・)

 ◇

2018年7月
 いよいよ、手術当日。

 数日前、妻にどうしたらいいの?と訊かれた。
「病院には来ないで。いつもみたいに仕事に行って」と厳命した。

 数時間かかる手術と聞いてた。
 その間中、必ず妻は思い詰めた顔で待ってしまう……小じわが増えるだけでメリットない(・ω・)

 おまけに途中で容態がまずいことに……なんてなったら取り乱すに決まっている。だから、万が一の可能性も考えて、病院に来たらすべて終わってた--成功であれ失敗であれ……くらいでいい。

 手術の前日入院をして、夜寝る前にスマホに遺書を打ち込んだ。
 10%でも、コインがウラにならないとは限らない。

 妻に、これまでの感謝と、万が一何かあっても誰かを恨んだりすることだけはしないように、と書いた。手術だって人間がやることだ。どれほどの名医だって、失敗する日もきっとある。スペシャリストが本気で取り組んでくれた結果なら、そこまでが天命と思えばいい……誰かを恨むなんてくだらないことに、妻の人生を使って欲しくない。

 そしたら、書きたいことはおおむねなくなってしまった。我ながら、満足いってたんだなぁ、と思った。

 手術は朝一。説明を受けながら覚悟を決めた。妻に来るな、と言ったから立ち会いはいないよ、と言ったら、看護師さんにひどく驚かれた。

「……ふつう来ますよ」えーそうなん?(・ω・)

 あとは無事目覚められることを祈るだけ……そう思いながら、麻酔のマスクをかけられるのを待った。ちょっと怖かったので、平常心平常心と心で唱えた。


 マスクがかかって、一瞬で意識が飛んだ。



6 包帯まみれのガッツ


ぺしぺし

ぺしぺし

ほっぺたの感触が、最初だった。

「瀬川サン、瀬川サン、成功ですよ」

うっすらと目を開く。頭を30センチも切り開いて、頭蓋骨に穴を開けた手術だ。頭の上は包帯でぐるぐる巻き。腕もろくに動かせないし、ズキズキと痛みも出始めている。


でも、生き残ったぁ!!!!


 叫び出したいほどのテンション。

 ほとんど動かせない身体だったが、拳をそっと持ち上げて、小さくガッツポーズをした。鼻から胃袋まで通された胃ろうのパイプ?は不快だったし、痛みも凄かったが……生き残ったんだ、生き残ったんだ。全身からオーラがわきだして、スーパーサイヤ人になれそうな気分だった。

 そのまま集中治療室に8時間も放置され、痛みに意識が混濁してきた。胃ろうが不快すぎて、眠ることもできない。手術の際にはこのパイプは必須らしいが、もし身体が動かなくなって、このパイプを繋いで延命……なんてことだけは絶対にやめてくれ、と今のうちに言っておく(・ω・)

 病棟に戻された……で、そこから4日ほど、記憶がろくにない。

 目の奥から脳まで達する激痛と、過覚醒したような、コントロールできない脳。手術の二日後、40度まで熱が上がって先生方が駆けつけてきたりもした。

 何度か起きた過覚醒みたいな状態は、ただただ凄かった。

 脳内で考え事やイメージをすると、それが暴走して、終わらなくなった。誰か女の子のことを考える。一人の姿を想像して、それを消して考えをやめ……られない。消した瞬間、勝手につぎの女の子の映像、消しても次、次、次、と一度考え始めた内容や、脳内で映像化したビジュアルが止まらない。

 覚めようと思っても終われない夢のエンドレスなループの津波。思考が重なり、速くなり、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、的ななにか……いや、これヤバいいいいいいぃぃぃぃ。

 きっと、一度に大量に流れるようになった血液によって、脳が異常な活性化をしたのだと思う。あぶない薬をやったときって、こんなんなるんか?(・ω・)

 イケメンドクターに事前に言われていたのだが、手術そのもののリスクに劣らず、危険なのが手術直後の血流変化によるトラブルという話だった。

 からからの大地に、大量の洪水を起こすような手術なのだ。場合によっては手術後の不安定期に脳出血を起こすこともあるという。血圧など厳しく監視の上、絶対安静を命じられた。


 ◇


 激痛と覚醒の4,5日が過ぎ……そこからは急速に回復していった。

 身体がぐんぐんと元気になり、日中は他の患者さんとおしゃべりをしたり、読書をしたりでゆったり過ごした。
 大きな傷跡が残るかな、と思っていたし、いざとなればスキンヘッドを満喫するつもりだったのだが、結果としては太さ3ミリほど、長さ20センチほどの筋状の傷が左右に一本ずつ残っただけだった。ぱっと見、バリカンでそって筋付けました、くらいの印象だ。

 退院後、どれくらい髪を短くすると目立つか、をバリカンで長さを変えつつ実験してみたが、1センチ髪の長さがあれば、ほぼ見えなくなる、ということがわかった。これなら女性の方も気にならないだろう、と思う。

 手術から1ヶ月弱……7月末。無事、退院。

 家で静養して回復状態を確かめつつ、3ヶ月後に右側の手術をした。

 2回目のためなのかはわからないが、手術から驚くほどスムーズに回復し、左側と比べると痛みも半分くらいに感じた。これも身体の慣れなのだとしたら、人体ってほとほと凄いと思う。

 11月の上旬、右側手術後の静養も終わり、ついに二度目の退院。もやもや病に対してできることは、全部終わった。12月一杯まで休みをとり、1月から仕事に戻る、という予定にした。

「無理はもうしないように。でも、ちゃんと働けるはずですよ。お元気で」

 ……健常者の方に比べれば、色々不安定なのは間違いないが、それでも同じ病気になった人の中では、極めて恵まれた状態での退院だった。後遺症もないし、虚血発作もこの3ヶ月は起きていない。

 本当にありがたい……身体を今後は大切にしよう、と思った。


<第一部 もやもや編 終>


 ◇

ズーンズーンズーンズーンズズーンズンズズーン……♪不穏なBGM

……ふしゅー

「もやもやがやられたようだな」

「ふっ。やつはわれわれの中でも最弱」

「やつは具体的に対処されるからな……われらの面汚しよ」

「くっくっく。次は私がいくとしよう。おっさんよ!待っているがいい。真の恐怖を教えてやろうぞ……くくくくく……ふぁはははは!」

つづく!



7 閑話 メイキングオブ辰巳センセイ


 一つ目(!)の病気話が終わったところで、ちょっと気分転換。


※結構ネタバレ入ります。拙作「辰巳センセイ 1章 舞姫の時間」をお読みいただいた後の方が、より楽しめると思います)

---6年前---

 辰巳センセイ舞姫編のアイデアのはじまりは、舞姫の授業をやったときだった。授業を準備する関係上、舞姫は何度も読み込んでいたが、おっさんの率直な印象は「ああこれ、森鴎外のラブレターなのね」。

 エリスにはリアルでモデルがいたらしい、と当時から言われていた。舞姫は、鴎外が幸せにできなかった彼女に「君はこんなに素敵で、僕はこんなに素敵な恋をした」というメッセージを込めたもの、としか思えなかった。
 さらに鴎外は「君は本気で愛してくれた。ダメだったのは僕だ」……作品にそんな自責を込めているように読める。舞姫を書き切ることで、自分の恋に締めくくりをしたかったのだろうと。

 作品内で、過剰なほどにエリスを美しく、無垢で穢れ無き存在として描いているのは、その思いがあったゆえ、と考えればしっくりくる。反対に、主人公の豊太郎は優柔不断で、気付くべき点に気付けない超鈍感男……この明白すぎるコントラストこそ、幸せにできなかった彼女への愛の賛歌であり、贖罪の懺悔であり、思い出の刻印なのだ……と。

……まあそう読むと、後半で「私の豊太郎さま!」って溺れるように依存してくるエリスからの手紙について、出張中に「毎日来るから“我はえ忘れざりき”(忘れることができなかった)」と書いてしまったりしてるところに、ちらり、と本音が見えるというかw……愛の重さについて「ふぅ」とため息をつきたくなった男の本音ぽくて面白かったりもするのだけど(・ω・)

 さて、こうしておおむね鴎外、豊太郎に共感しつつ読みすすめ、さあ授業、と思っていたのだが、同僚の女性の先生や、既に舞姫を学習していた女子生徒の評価がずいぶん酷くてびっくりしてしまった。

「あんな酷いことをしておいて、それを小説にしてばらまいた糞男ですね」それくらいの評価の先輩の先生もいた(先生、男に恨みでもあるんですか?と思ったが怖かったので黙っておいた)、「豊太郎っていうクズの話ですよね」と一刀バッサリの女生徒もいた……なんというか、女の敵=豊太郎=森鴎外みたいになっているなぁ、それって淋しい読み方だなぁ、と思ったのだった。

 そうこうしているタイミングで、新しい資料が見つかり、エリスのモデルになった女性、エリーゼの実在がほぼ確認された、という報道があった。

 おっさん教師は思った。

 無垢なドイツ娘を孕ませて捨てたファッキン男の物語……と思わせるような授業でいいのか?と。確かに、事実だけ見れば、それはそうでもある。でも、男女の関係なんて、当人以外が善悪やらを語っても大抵は見当違いになるものだ。

 それよりも、作品で明らかにダダ漏れになっているエリスラブ!の思いと、現実に長年付き合いを続けたリアル鴎外&エリーゼの在り方こそ視野に入れるべきなのでは。場面によっては不自然なくらいに書かれたエリスの美しさ、純真さこそ、鴎外が残したかった彼女=心の中に持ち続けた、一番綺麗な彼女だったはずだ。


 そして、聡明で、読み書きをこなしたエリーゼ(100年以上前のドイツである。教育水準を考えるべし)。彼女もきっと、舞姫の内容を読むか、鴎外から聞くなりして把握していたに違いない。鴎外は彼女に「愛しあったあのときのことを小説にした」と告げたはずだ。

 向き合って抱き合えなかった二人。
 でも心は長い時間通じあっていた。思いは結晶になって100年残る文学を生んだ。

 それを伝えられるドラマが、国語教師の自分なら描けるんじゃないか?ついでに他の人が書こうとしない、という点で、オンリーワンな作品が仕上がるのではないか?

 高校生でも読みやすい、授業が楽しくなって、成績がちょっと上がるお話。哀しい恋をする女の子の心を、100年前の鴎外とエリーゼが解いてくれる……上品で優しい、希望の謎解き。

 解き明かすのは、国語の先生。だから解決に暴力はいらない。
 言葉で説明して解き明かすから「国語科」

 ……こうして「辰巳センセイの国語科授業 舞姫編」のプロットがまとまった。



8 カンレンシュクセイ、襲来


 2018年11月下旬。
 もやもや病の二度目の退院から二週間後。

 おっさんは、すこしゆっくり気味に目覚めて、水を飲みにリビングにきた。

 ちょっと……寒いな。

 家の中には自分しかいない。
 11月も下旬になる。空気は冷えていた。

 きゅうぅぅ……

 --胸が、え?……苦し、い……なんだ、これ


 胸が急激に締め付けられる感触。立っていられなくなって、ごろりと転がった。

 きゅうううううううううううう……

 苦しさが増す。手で胸を押さえたまま、床に伸びた。
 天井を見る。


 なんだ?、なんだ?、これ、なんだ……?新手のスタンド攻撃か?


 何が起きたのか全くわからない。ただ、なにかヤバいことだ、というのはわかった。きゅうう、は、ぐうううううに変わり、胸は大きな拳でわしづかみにされているようだ。胸を中心に背中、歯茎、顔面、肩……痛みと自分のものではないかのような感覚、脱力感、気持ち悪さが広がっていく。

 ------うあああああああ…………はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。

 3分ほど経ったところで、締め付ける感じが緩みはじめた。そのままさらに3分ほどで胸の苦しみは消えた。

 身体を起こして、何があったのか……を考えないようにしている自分がいた。

 脳……いや、違うよな。なんでだよ。嘘だろ?
 手術2回もやって、やっと退院して、まだ2週間なのに……

 いや、きっとこれはなんかの間違いだ。
 きっと、今回だけ、のなんか特別なやつだったんだ。脳の治りかけだし。
 人体ってのはいろいろあるさ。

 おっさんは怖くて、自分から正常性バイアスに逃げ込んだ。
 そう、これは一回だけの何かの間違い。もうきっと起きない……。

 二日後。ほぼ同じ時間。同じリビング。


 苦しさは前回の比ではなかった。

 締め付ける、どころではない。
 心臓を縛り上げられてるような圧倒的な苦しさ。


 床に転がり、胸を押さえる。
 破滅的、とでもいえばいいのか。
 上半身全部に広がる激痛、脱力、気持ち悪さ……
 胸の真ん中を、巨大なピンで留められた昆虫標本のようだ。全く動けない。
 奥歯が浮いた感じになり、気持ち悪さに襲われる。
 最悪の乗り物酔いのような、嘔吐したくなるような、身体の部品が自分の身体から抜け落ちていくような。

 すべてが渾然として、脳の処理が追いつかない。

 上半身全部が苦しくて、動く余裕など全くなく、身体が縮こまったまま、ごろりと転がっている。顔色や口はムンクの「叫び」のようになっていただろう。目はあまりの苦しさにしかめっぱなし。手も伸ばせない。腰高のカウンターに置いたスマホを掴む余裕がない。

 苦痛は5分を超えても引いていく感じがない。
 やばいやばいやばいやばいやばい……助けてやばい……

 針の振り切れた苦しみの中で、生き延びようと頭だけが働く。

 今、家の中には自分しかいない。
 現時刻から考えて誰かが帰ってくるまで6時間。
 このまま苦しんで、気絶したら、たぶん俺が発見されるのはずっと後。つまり助からない。どうにかして、スマホを掴む。救急を呼び、住所を言う。そこまでが最低限。
 でも、痛くて苦しくて、締め付けられて3メートル向こうのスマホに届かない……


 たっぷり10分以上……気が遠くなりかけてきたとき、痛みが少し緩んできたことに気付いた。上半身だけを起こし、床をはいずってスマホを掴み、救急通報し、胸が苦しい、助けて欲しい、と言った。

 ◇

 発作から20分少々経った頃。
 救急隊員のストレッチャーに乗せられ、おっさんは病院へ運ばれていった。そのときには、ほぼ胸の苦しみは消えていた。

 2週間ぶり、おなじみの病院。
 一通りの検査をした。
 しかし、専門のお医者さんは留守だといわれた。異常も見当たらない、と。元気そうだし、血液検査の結果も出るから、また明日来なさい、と言われた。

 翌日、病院に着いて早々、循環器内科のお医者さんが慌てた様子で登場。

「カンレンシュクセイキョウシンショウのおそれがあります。生命に関わります」

……なんだよ、それ。
勘弁してくれよもう(・ω・)

心が折れそうになった。涙が出そうだった。



9 セガワ、心臓止まるってよ

<前回のあらすじ>
 謎のスタンド攻撃「シアーハートアタック(ガチ心臓発作)」の攻撃を辛くも切り抜けたおっさんは、一夜明けて早々に病院へ向かった。循環器内科の専門の先生が深刻な顔で登場し、おっさんを絶望の淵へたたき込むのであった……。


 「冠攣縮性狭心症の可能性が大きいです。今すぐ入院してください!」

……はぁ?

 じゃ、なんで昨日私をスタスタ歩いて帰したんで?
 つーか、今朝もここまでスタスタ来ちゃいましたが。

 「血液検査の結果が、今朝出たんです。心臓の組織が壊れています。昨日、相当深刻な発作が起きていた証拠です」

……昨日、死ぬほどヤバかった言うたやん……と思ったが、救急車で病院に着いた時点ではちょっとドキドキしてるおっさんになってしまっていた。検査で異常も出なかったので、病院の方々に深刻に受け取れ、というのは無理があったのもわかる。

 でも、朝一で出向いたら、いきなりとっつかまって入院って……
 せめて、一度家に帰りたいおっさんと、そのまま入院させようとする先生のよくわからない駆け引きが開幕していた。

おっさん「いや、入院はわかりましたけど、そこまで深刻なら今朝連絡とかして、事前に教えてくださいよ。こっちだって準備してきますから」

医者「若い人の突然死に多い病気なんですよ。3日前も、昨日も発作起こしているじゃないですか。今だって突然発作を起こす危険があるんです」

おっさん「さっきくださったニトロはもってますし、飲み方も習いました。往復はタクシーで安静にします。せめて荷物をまとめてくる時間だけください」

 ニトロは、狭心症の発作が起きたとき、手っ取り早く発作を解除するのにとても有効なのである。狭心症患者の携帯薬といえばニトロ、みたいな。
 結局、その場でニトロを一錠使用して発作を防止すること、往復タクシーですぐに戻ること、万が一の時に病院の責任は問わないという書類にサインすることを求められた。

 自宅にほんのちょっとだけ帰る。また危険な病気の入院だ。帰ってこれるのかな、と泣きそうになる。
 1週間以上は入院することになるかも、と言われたので、SWITCHにタブレット、見ていないDVDにミニプレイヤーを鞄に詰め込んだ。それ以外の荷造りについては、幸か不幸かもうすっかり慣れているので一瞬で終わらせて(……先々週まで入れてた荷物を入れ直しただけだ)病院へ戻った。

 狭心症は、冠動脈…心臓を動かすためにガッチリ取り巻いている大動脈…のどこかが詰まって、心臓が血液不足になる病気だ。常に動いていなければならない心臓への血液供給がストップすれば、当然人は死ぬ。死因は心不全、ということになるだろう。

 一般的な狭心症は、動脈硬化によって血管の内側が細くなり、そこへ運動などの負担がかかることで発作を起こす。動脈硬化が重くなると発症するので、逆に言えば血管を検査すれば詰まりかかっているのが一目瞭然。すぐ診断ができる。

 しかし、今回予測されるのは『冠攣縮性』狭心症。別名を、異型狭心症とか、安静狭心症などとも言う。狭心症の半分弱くらいは、こっちらしい。
 このタイプは平常時に症状がない。血管の画像を撮っても、健康な状態にしか写らない。おっさんの心臓も、平常時は人一倍、元気で健康。動脈硬化は全く見られない、とのことだった。
 ところが、健康に見える血管が突然「痙攣」を起こすのである。
 主に自律神経が不安定であることが引き金になる、と言われるが、何が原因になるかは厳密にはわからない。
 血管が突然痙攣を起こすと、血管はぎゅっと絞ったような「スパスム」……ソーセージのようなくびれ……を作る。血流はその絞りにせき止められて、狭心症発作になる。痙攣が終われば、血管は平常の太さに戻ってしまうので、血流が止まって壊れた心臓組織の死んだ細胞くらいしか、発作の証拠は残らない。

 「まず、冠攣縮性狭心症である、という診断をはっきり確定させないといけません。そのためにも入院が必要なんです」

 神出鬼没の「冠攣縮」をとっつかまえないと、相手の正体がはっきりさせられない。診断書も書けないと……なるほど、砂竜のハンティングみたいだ。音爆弾でおびきよせる、みたいな?


…いやねぇ。まさか本当に狭心症を「おびきよせる」とか思わないよね(・ω・)



10 カンレンシュクロプスを捕獲せよ!レア度★9


「瀬川サン、まず冠攣縮性狭心症の診断を確定させないといけないんです。そのためには、発作を起こしている状態での診断が必要です。本当にその病気なのか、という確証なしでの治療はできません」
「……それはそうですね」
「発作をつかまえる一つ目の方法は、心電図を常に付けてもらって、発作が起きたら、今だ!と診断する方法です」

……(・ω・)えー


 なんか、すごくダメな予感がします。

「それ、次いつ発作が起きるとかわかるんですか?」

「起きやすい時間帯……自律神経が不安定になる夜から朝にかけて、というのはありますが、起きるかどうかは誰にもわかりません。今この場で起きるかも知れませんし、明日起きるかも、一年後かもしれません」

「なるほど。恐ろしく運まかせですね……」

 常に小型の無線型心電図を付けることになった。病室付近にいる限り、遠隔でおっさんの心臓のデータがナースステーションに送信され続ける。

「くれぐれも、勝手に病棟から離れないでください。信号が届かなくなるので」

……おっさんの落ち着きのなさが、もしや脳神経外科からチクられたか?
 たしかに病棟内でできた仲良しさんと、消灯後までファイナルファイトやって叱られたけど……ベッドのまわりに勝手にマルチタップ繋いでタブレットとSwitchとスマホとDVD使えるようにしたけど……(・ω・)

「……階下の自販機まで行っていいすかね」
「……そのへんがぎりぎりですね。あの辺りはどうにか届きます」
「じゃあ、病棟前のローソンは」
「無理です。勝手に行っちゃダメですからね」

 釘を刺されてしまったので、仕方ない。
 言いつけ通り病棟付近でおとなしくしていることにする。

 しかし、そのまま発作が診察できるまでずーっと入院、というわけにもいかないよね、と思っていると、先生がプランBの話を始めた……これが、奥の手なのだった。

「心電図を付けたまま、数日過ごしてもらうのですが、その間に発作が診断できればラッキーです。あと、発作を起きやすくするために、今日から発作を抑える薬をすべて止めて、身体から薬の成分を抜きます」

……なんか、怖い展開になってきた気がするよ?(・ω・)

「薬の成分がすっかり抜けるのに3日はかかります。余裕をみて5日後、それまで発作が起きていないようなら、誘発検査をします。そこで発作が起きれば、診断が確定しますから」


……ゆうはつけんさ?

どうしてかな?おっさん、なんかとってもとっても不穏な言葉を聞いた気がしたよ?(・ω・)


「足から心臓のところまで管を入れて、発作を誘発する薬、アセチルコリンを流します。冠攣縮を起こす状態の血管なら、それでほぼ確実に発作が起きますから」


「ちょ、ちょ、ちょ……めちゃめちゃ怖いんですが。あの発作を人工的に起こすってことですか。せめて麻酔で寝てる間とかに、ちゃっちゃっとやってもらったりとかできないんですか……」


おっさん、いきなり涙目だよ?


「そうもいかないんです。発作が起きてるときに、この前の発作と同じ感じか瀬川サンに聞いて確認しないといけません。意識は保っててもらわないと」


苦しい?苦しい?イマどんな気持ち?どんな気持ち?ってクマーがおっさんの周りで踊り始めたよ…


「ちゃんと観察してますし、危険なときはすぐにニトロを入れて発作を止めますから……」


……うわぁぁぁぁぁぁぁ(;´Д`)


 ◇

 薬を止められ、ただご飯を食べ、病棟から離れないようにベッドでおとなしく過ごして日々が過ぎていく……それだけでもずいぶんなストレスだ。

 ぶっちゃけ「手術で一発勝負」な空気の流れていた脳神経外科は、病棟のベッド数に余裕もあったし、総じて雰囲気が明るかった。
 それが、循環器内科は……ベッドの数が明らかに多すぎて、部屋の狭苦しさがハンパない。おっさんの寝ているところからは、窓さえ見えない。

 その上、心臓疾患で長年ベッドから動けない、という方が多い。なので、とにかく静かで、まったり、というか、ぐったり……というか。独特のダウナーな雰囲気。長期間ここで入院は、あんまりしたくないなぁ、と思ってしまった。

 早く発作起きて、誘発検査なくならないかなぁ、と思う自分と、あの発作が突然くるのはやっぱり怖いなぁ、とビビる自分が同居していた。

 5日目が近づくにつれ検査がどんどん怖くなってきた。
 検査の前日、以前同じ職場で組んだ女性の先生のところへ電話した。同じ部署で何年も働いた、一番息の合った先生だ。

 電話口で、病状を説明した。
 もやもやのことも伝えてた先生だったので「妻にこれ以上心労かけたくなくて、頼ってしまってごめん」と正直に言った。明日の検査が怖くて眠れないんだ、と口に出したら、少しだけ気持ちが楽になった。

「誘発……怖い検査だね。無事に終わるよう、若いのにも祈らせとくね」
「……ありがとう。みんなによろしく伝えといて」
 30分ほど愚痴を聞いてもらって、電話を切った。

 その夜もやはり発作は起きなかった。

 ……誘発検査の朝が来てしまった。


11 世界でいっとースリルな検査


 2018年11月末 誘発検査当日。

 おっさんは沢山モニタやら、怪しげな機械やらのある、ものものしい検査室にいた。

 既に手術着?のようなものに着替えている。足の付け根のあたりから、ブスリと管を差し込まれた。軽く麻酔はかかっているようだが、痛みは感じる。

 しかし、おっさんとしては誘発検査へのプレッシャーが大きすぎて、そんな痛みはどうでもいいのだった。さっさとやって、さっさと帰ろうモードである。

 先生や看護師さんに、検査技師らしい人……5人くらいが、おっさんを取り巻いている。
「いま、管、通してますから、安静にしていてください」
 腰のあたりで管やら機械やらを操作している技師らしい人が言った。

 ちょっとずつ、何十センチもの管が血管の中を通り、心臓のすぐ脇まで達する。違和感はないのだが、今このへんですよ、と言われるとぞくぞくしてくる。
 いいよ……教えなくて。怖いから(・ω・)


 検査の手順は事前に簡単に説明された。
 心臓の右側と、左側。それぞれの動脈ごとに、つまり二回に分けて検査をしていくという。まずは右の動脈にアセチルコリンを流して、痙攣を見る。次に、左の動脈に流す…という順番だそうだ。二回もか……。

「そろそろ管が心臓のところまできます」

 おっさん緊張ピークである。ああ、もうすぐ恐怖の薬液が……

 胸がどきどきしてきた。
 ……あれ?なんか胸が苦しい気がする。
 もう検査始めちゃったのか……不意打ち?(・ω・)

 先生や看護師さんは黙ったまま。
 不安になってきた。なんでこういう土壇場で黙るんすか?

「なんか、ちょっと苦しい感じがします。もう始めてるんですよね?」

 返事がない……。

 看護師さんが沈黙を破って言った。
「……瀬川さん、これから左側に薬入れます……………………どうですか?苦しい感じありますか」

 ……左側?あれ?右側先にやるって言ってなかったっけ?

「いや……さっきからちょっと苦しい感じあって……今も、ちょっと。この前の発作が10だとすると、2とか3くらいの軽い感じですが……」

「……はい、痙攣を解くお薬入れました。診断できました。もう大丈夫ですよ」

…早っ!いきなり終わった(゚Д゚)

 なんか、おっさんと話がかみ合ってなかった気がするんだけど…いつのまに右側の検査終わってた?

 いくつも???な感じになりながら、検査を終えて病室に戻された。

 おまけに、あんなに怖かった発作の苦しさは、想定していたレベルの3分の1くらいで、正直拍子抜けした。
 これでほんとにオシマイ?後から追加検査とかやらないからね!……などと考えながらベッドで寝ていた。止血のこともあるから、動き回るわけにもいかない。


 ◇


 何時間か経って、先生に「検査の結果を話したい」と呼ばれた。
 「奥様もお呼びして、いらしていただきました」…なんで、かみさん呼ぶの?(・ω・)

 狭い応接室みたいな部屋で、かみさんが隣に座っている。循環器内科の女医の先生が、ノートPCの画面を開いて置いた。

「検査の結果、血管の痙攣……スパスムがはっきり起きました。冠攣縮性狭心症です」


 ……病名はちゃんと確定したんだ……ひとまずよかった、んじゃないの?


「しかも、マルチスパスム(多発型)です。左側だけで3カ所が確認されました。右側も起こしています。劇的な症例です」

「右側……管を入れてすぐ、ばくばくしたとき、あれ痙攣だったんですか」

「……右側は薬を流していません。瀬川サンの血管はとてもデリケートで、管が入ったショックだけで痙攣が起きてしまいました。それだけ痙攣を起こしやすい状態だ、ということです」

…まじすか。

「なので、薬液は左側だけ流しました。これが動画です」

 おっさんの元気な心臓が大きく動いている。まだ正常な状態。白黒だけど、血管もくっきり見える。どっくん、どっくん、と全体が大きく、小さく、大きく、を繰り返している。

「薬液が入ります」

 ぎゅぎゅぎゅ!

 心臓のまわりの太い血管が3カ所でソーセージのようにくびれた。これが「マルチスパスム」だ。3カ所でくびれたおかげで、血管は画面で確認しにくいくらいまで一瞬で細くなってしまった。心臓全体がきゅっと縮こまっている。動きは、さきほどと比べるまでもない。ぷくん、ぷくんと微妙に膨れたり、ヘコんだりしているだけになってしまった。

 自分の心臓……ほとんど、止まってるよねこれ。寒気がしてくる。

「教科書の資料に載るくらい劇的な、多発型の痙攣発作です。命の危険がある、ということで、すぐにニトロを流して止めました」

 ……あんな苦しさゲージ2とか3の検査で、この動画……先日の発作のとき、きっと心臓はほぼ停止レベルに縮こまった。あの世の一丁目あたりまで踏み込んでいた。

「瀬川サンの発作は、とても危険です。発作が来れば命が危険というレベルだと自覚してください。これからは、投薬によって二度と発作を起こさせない方向で調整をしていくことになります」

 ずっと、薬が友達(・ω・)
 もう自然状態では生存できないのか……そう思うと不思議な寂しさがある。

「症状の出方によって薬を減らしたりはありますが、基本的にずっと飲み続けると思ってください。飲み忘れると、それだけで危険です」

……ああ、だからかみさん、呼ばれのか(。・ω・。)
 ちゃんと伝えて、おっさんのケアに協力するよう理解させるために。

 ごめん。ほんとに心配ばかりかける。


12 食べたいものを食べに行けるってね


 誘発検査を受け、投薬しながらしばし様子見をして、12月に入る頃おっさんは退院した。

 ここからは自宅で静養だ。街はクリスマスのディスプレイが始まっていて、本当に6月からの半年間、病気のことばかりだったなぁ、と振り返った。
 久しぶりのおうちご飯に、なじみのラーメン屋に、洋食にパスタにハンバーガー、ついでにカップヌードルにカップやきそば……おっさんは、シャバの食べ物を満喫した。病院内にも喫茶店と食堂は一応あったが、さすがに飽きた。

 大したものじゃなくても、いつもの味を好きに食べられるって、幸せだったんだ。何でもないようなことが幸せだった、と思う、のは、失ってからなんだね(・ω・)

 幸い、誘発検査の後、退院まで発作は起きなかった。毎日飲む薬は、とりあえずで7種類、計10粒!も渡された。朝7粒で、夜に3粒だ。毎日こんなに……とは思ったが、信じて飲むしかない。
 紙のくすり袋が大変な量になって、とても管理しきれないので、アマゾンで一週間分整理しておける大型の薬ケースを買ってきた。はっきり言って、一週間分こいつを整理してセットするのは相当ややこしい&めんどくさい。おっさん、ボケてきたらこれ間違えるんじゃねーの、と思う。世の中のお年寄りの方、凄いな。


 ◇


 お医者さんの勧めもあって、静養のため3月まで休みを延長した。職場には降格を申し出て仕事の負担を減らした。さらに発作のリスクを考えて、自宅に近い+エレベーターのある職場へ転勤させてもらうよう希望を出した。

 職場への復帰を思うと、それでも不安が大きくなる。

 発作の怖さはつきまとう。授業は結構体力を使う。
 自分の身体がちゃんと保つかどうか……スイッチのフィットボクシングで体力作りをしつつ、教材を読んだり、家の掃除をしたり。ついでに散歩で身体を動かすついでに、地元グルメマップを作れそうな勢いで食べ歩きした。
 現場に戻って生徒と授業ができることを楽しみに思う自分はいるのだが、同時にちゃんと働けるかなと不安になる自分もいて、アンビバレントなおっさんだった。


 ◇


 2019年に入った頃、せっかくの経験だし、時間もあるのだから、ブログに病気の記録でも書いておこうか、と考えた。久しぶりの執筆。ほんの少ーし書きかけたが、なんか違う、と思ってやめてしまった。
(そのときに書きかけたテキストも、ここに含んでいたりします)

 どうせ書きものするなら、もっとなんというか、誰かのために、ちゃんと楽しめるものを……そう思った。物書きの元プロとしての意地みたいなものが、自分の中で騒ぎはじめた。

 そしておっさんは、なんとなくネットで検索して「小説家になろう」と出会った。

 最初は過去作の整理をした。何本か昔の短編を上げて、書きかけのショートSFも仕上げてアップした。ついに、4年前から書きかけのままだった「辰巳センセイ」に手を出すことにした。

 ライターとして社会を見てきたこと、教師として生徒との経験を積んできたこと。全部の経験と出会いに感謝して、生かして……2019年2月、おっさんは「辰巳センセイの国語科授業」の執筆を再開した。



13 おっさんは迷わず肉を選ぶ


 なんだこのタイトル……とお思いの方、すまない。
 歌詞をそのまま書くと某団体さん的にヤバいらしいので、要旨だけタイトルにしてみた。クレイジーケンバンドの「男の滑走路」を知ってる人は思い出しながら読んでいただきたい(・ω・)

 この歌の中で、機内食で「肉か魚か」メニューを訊かれるくだりがある。そこで、いつ倒れても悔やみたくない!という理由で「迷うことなく」肉を選ぶ、という。アホいw

 何年も前、初めて聴いたとき、なんて素晴らしいナンセンス、と好きになったこの歌が、いつのまにか自分のライフスタイルになっていたのに気付いて、おっさんは苦笑している。


 ◇


 おっさんは、病気を二つやってから痛烈に思うようになった。死は、傍に当たり前にあるのだと。ただ、勝手に遠くのことだと思い込んでいただけだと。

 そして、それゆえに--全ての出会いは、一期一会なのだと。

 家族や親類、久しぶりに会えた友人、一緒に働く教員、ネットで知り合った書き手仲間……人間関係はもちろん、やろうかな?と興味をもった趣味、観ようかな?と思った映画、本屋で気になった本、目の前で開いているレストランのメニュー……全て今、この瞬間、繋がっているだけで、これが最後の機会なのかもしれない。

 今夜にも発作で倒れて、このレストランには二度と来られないかも知れない……ちょっと極端だが、おっさんは常にそう感じながら生活をするようになった。

 すると、何かの選択で迷う、ということがなくなった。自分の心に「どうしたい?」と問うだけで、ほとんどの答えは出る。

 レストランでは、食べたい、と思ったものを迷わず選ぶ。栄養バランスいまいちかなとか、ちょっと贅沢かな、とか思っても、我慢してストレスになるだけ損だと割り切るw
 以前は恐る恐る注文していたウェンディーズの「チリチーズポテト」(ウマい)を遠慮なく注文して、ビールのつまみにする。不健康だって……?
太ったら必要なだけ運動と節制で絞ればいいじゃないか(・ω・)

 興味をもったら趣味も遊びも試してみる。会いたい、と思った人には迷わずアポをとる。逡巡するだけ時間がもったいない。傍から見たら、輪をかけてわがままになった、と見えてるかもしれない。

 そして、出会った全ての人に、少しでも幸せになってほしい、とも思う。おっさんが今まで幸せに生きてこられた、ということは、それだけ沢山の人に支えてもらってきたということだ。ちょっとでも返したい。


 ◇


 退院してしばらく。
 手術後の経過を確認するため、脳外科の先生に診てもらったとき。

 せっかくもやもやの手術が上手くいったのに、退院して2週間で心臓発作……つくづく心折れそうでしたよ、と愚痴った。

 「もやもや病の患者さん、割と瀬川サンみたいに血管の疾患が併発することが多い印象です。体質的なもの、といいますか……どちらも血管の問題ですし」

 なるほど、とは思ったが、こんなにデンジャラスなセットはさすがに……脳卒中と脳梗塞と心不全で倒れる可能性が高いスペシャルなおっさんボディ。昔世話になった職場の上司曰く「これに癌がついたら大三元だな」(・ω・)むきー。

「でも」とイケメンドクターが続けた。

「見方を変えれば、手術をした後だったから、意識を失わず助かった、と言えるかも知れません。心臓からの血流が止まって、まず脳への血液不足で失神、そのまま……というのは典型的なパターンです。瀬川サンの手術前の血流は相当悪かったですから……」

 そう。おっさんは左右の脳の手術をして、退院して直後に心臓発作を起こした。死ぬ手前の重篤な発作だったのに、最後までおっさんの意識ははっきりしていて、地獄の苦しみを味わい続けた。でも、見方を変えれば、そのタイミングの発作だったから、通報もできたのだ。

 ……狭心症が発作を起こすのを、手術が終わるまで待ってくれてた、みたいな?

 あんまり宗教じみたことをいうのもナンだが。
 それでも、なんだかメッセージ性を感じてしまうおっさんだった(・ω・)

 後遺症の残らない虚血発作で気付かせてくれて、救急車が選んでくれた病院が国内屈指のもやもや病の権威で、慣れてる技師さんや看護師さんのおかげでドクターすぐ来てくれて、午前3時に診断して最短で手術の手はずを整えてくれて、手術は左右とも後遺症なく成功して、脳の血行が良くなってから心臓発作が起きて救急車も呼べて……。

 見えない力で、生き残りルートを正確に導いてくれた誰かがいたような、そんな気持ちになる。

 大切に、悔いのないように、わがままに、前向きに、全力で、楽しく。

 そんな生き方をしようと思う。



14 退院して一年……勝った。第一部、完!


 2019年12月。退院して一年ちょっと。
 仕事に復帰して、8ヶ月あまり。

 新しい学校ではとても温かく迎えてもらえて、ありがたかった。
 病気のこともある程度配慮してくれて、どうにか仕事を続けられている。

 医者からの指導で、ほぼお酒は飲まなくなった。煙草ももやもやの診断を受けた日以来、一本も吸っていない。副流煙もとても影響が大きい、ということで、煙のこもった場所には足を運ばなくなった。
 残業も大幅に減らした。過労とストレスは直撃で危険度を上げるとのことで、今はかなり身体に気を遣った働き方をしている。

 おかげで、夜の時間に小説を書いたり、ゆったり過ごす機会も増えた。

 ただ、身体のことは、やはり前と同じようにいかない。
 疲れやすくなって、無理はきかなくなった。

 秋口からの半年で4回ほど、心臓の発作がきた。ニトロのお世話になって事なきを得たが、それでも、やっぱり恐怖が先に立つ。

……胸に違和感が走り、苦しさを感じる。きゅきゅーっと苦しみが増す。
 慌てず、ニトロを口に含む。本来、一分ほどで解除されるのだが、あれ?効きが悪いかな、と思ったら最大三粒まで連続服用できる。
 二粒目を呑むとき、三粒目を……となるに従い、恐怖はずんずんと増す。これで、解除されなかったらどうしよう……と頭によぎるからだ(・ω・)うぅ。

 一番大きく発作がでた10月の下旬、三粒呑んだ。
 自宅でしばらく横になって……どきどきがなくなって落ち着くのに2~30分かかった。元気じゃね?と油断して仕事で無理したり、急に寒くなった日に朝早く出かけたり……いろんなきっかけで、発作がガツンとやってくる。

 「おまえ、調子のんなや」と叱られて、心を折られた気持ちになる。
 しおしお休憩モードで、またおっさんはおとなしくなるのだった(・ω・)

……でもさ。

 思い通りにならなくても、自分の身体だ。
 どうにかして、付き合ってくしかない。生きてるだけで、まるもうけ。勝利。そう笑えるくらい、充実させてやろうじゃん。

 幸い、何度か発作をくぐったことで「やばい」と自分でわかるようになってきた。やばいかな、の段階でちゃんと休む。これまでみたいに馬力と若さで乗り切るのは厳禁。
 ゆったり、おっさんがじーさんにクラスチェンジできるくらいまで、生き延びられればいいなぁ、と思う。


第1部 闘病編 おしまい


※超長い体験記にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。近々第2部執筆~書籍化編もアップする予定です。是非またお立ち寄りいただければ幸いです。

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