見出し画像

引き寄せの法則なんてない!?

「引き寄せの法則」については、他の記事でも書いているのですが、ここに来て自分の中で結論のようなものがあるので、記事にしようと思います。

■引き寄せの法則の嘘

そもそも引き寄せに「法則」と銘打つのが疑問です。
物理学などで使われる法則という言葉は絶対的です
100%導かれるから法則と呼べるわけです。

しかし、「引き寄せ」には絶対的なものはありません。
法則とは100%でなければなりません。
ところが、「引き寄せの法則」論者は、人間に起こるすべてのことは、自分の思考の結果起こっていると断言しています。

おかしいじゃないですか。

世の中で起こっていることがすべて引き寄せのせいと言うのですか?
地震、津波、火事、強盗、殺人、これらすべては、自分が望んだことだとでも言うのですか?

これに対して、「引き寄せの法則」論者は、こう言います。
「神が行う天変地異などは例外だ」と。

いやいや、違うでしょ。
天変地異に遭遇するかどうかは、引き寄せじゃないのですか?

そもそも、「法則」に例外などないはずです。
最近ニュースで殺人事件をよく目にしますが、これも引き寄せなんですか?
自己責任なのですか?

小さな子供までもが殺されたりします。
虐待死する子供は、それを引き寄せたのですか?
おかしいですよね?

これは引き寄せで、
それは引き寄せじゃない

はい、ここで法則崩壊です。
法則がないということは、必然的に引き寄せ自体存在しないということになります。

■引き寄せと必然を混同しないこと

引き寄せの法則で有名な本の中にこういう一文がありました。

否定的な要素がある関係から立ち去ろうとすれば、立ち去ることが連鎖となり立ち去り続ける。
否定的な観点から行動を起こすと自分を引きずることになるからだ。
ネガティブな感情で行動すると、同じ状態をもっと引き寄せてしまう。

確かに、わたしにもこういう経験があるので、起こる現実は理解はできます。
ただし、これなどは引き寄せでも何でもありません。
ただの必然です。

そもそも、引き寄せという言葉には、魔法の様な蜜の味がします。
現実的ではありません。

例えば、会社内で文句ばかり言って、自分を変えようとしない人間は、何処の会社に行っても同じことを繰り返すのは必然です。
相手があってこその世界なのだから、そうなるのは当り前です。

会社は、否定的で文句の多い人間を好まないし、同僚もつき合おうとはしないだろうと思います。それが、人間社会というものです。
人としての問題。倫理観というものですね。

ちなみに、わたしは営業経験者なのですが、転職して新規開拓営業の厳しい会社で12年間営業をやり、管理職も務めました。

何十人もの新人を見てきました。(出入りの多い世界なので)
採用も担当していたので、入って来た時の印象から、その後の活躍ぶりを見ていて思うところがあります。

笑顔のない否定的な人間は、売れないし辞めていくということ。

笑顔のない人間は、営業先で作り笑顔をします。
目が笑っていません。なので相手を緊張させます。
なので、流れが悪くなり上手く行きません。
必然的に売れない営業マンとなります。

もともと否定的な人間なので、自分のことはさておき、今度はお客さまや会社に対して批判的になります。
そうすると、ますます居場所がなくなり、ついには辞めなくてはならないように追い込まれてしまいます。

これは、「引き寄せ」ではありません。
現実社会での必然なのです。
人の感情が動いているだけです。
化学反応のようなものです。
何かの薬品に、他の薬品を混ぜると変化を起こす必然というものです。

しかし、普段とても嫌な奴なのに、なぜか売り上げを上げる営業マンがいます。彼は、自分自身の内面の悪さをひた隠して、話術で巧みに相手を誘導していきます。

これも必然です。
会社を批判して辞めて行った人間は、話術を磨こうとか、見た目を改善しようという努力をしなかった、ということです。

■占いは運命論?

わたしは、運命というものは、あると思っています。
ただし、人生で起こるすべてのことが運命なのかどうかは疑問です。

先ほど言った、地震、津波、火事、強盗、殺人、これらは運命としか言いようがありません。
望んでそうなったわけではないですから。
ある日突然命を絶たれてしまう引き寄せなんてあるわけないですから。

テレビなどでよく占い師さんが、将来を占い「気をつけなさい」と忠告していますね。
でも、おかしくないですか?

占いは、未来が決まっているから占えるはずです。
だとしたら、決まっているものを変えれるはずがありません。

もし、忠告に従って変えれたとしたら、そもそも占えるはずがないのですから。そんな簡単に変えれるものなら、そもそも占えません。

つまり、占い師は運命論者であり、それを信じる人も無意識とはいえ運命論者ということになります。

運命というものは、存在しています。
誰もが目にしているはずです。

しかし、人生というこの現実社会では、人間は自分自身の選択によって自分の道を歩んでいくことが可能です。
選択の自由というものがあるわけです。
しかし、すべて自分の思い通りの結果を望めるわけではありません。

そこで、わたし達人間は起こった現実をどう受け止めて、どう行動して行くかという選択の自由があります。
その起こった出来事で、自分を磨くことも自由ですし、自暴自棄になる選択も自由です。

だから、何でも引き寄せにこじつけてしまうと、「引き寄せ難民」になりかねません。
結果、自分を責めてしまったり、ひどく落胆することになるわけです。

引き寄せと運命を混同してはいけません。
何もかも自分が発信した結果だと思い込むのはやめましょう。

わたし達の人生には、「運命」と「選択という自由」が共存するわけです。
もしかしたら、自分が下した選択も運命の範ちゅうなのかもしれないと推測することもできます。
そうだとしたら、すべてが運命ということになりますが…。
それは、神のみぞ知るということですね。

■まとめ

運命論のお話をすると、
「それじゃ夢も希望もないじゃないか、何のために生まれて来たのか…」
と思われるでしょうね。

それは、わたしもそう思います。

しかし、現実に夢と希望を実現している人もたくさんいます。
それとは逆に、挫折している人もたくさんいますね。

引き寄せを信望する人達は、夢と希望のある未来を信じたいということなんだろうと思います。誰だって幸せな未来を信じたいはずですから。

でも、夢や希望をつかみ損ねて挫折した人の人生に価値はないのでしょうか?つかみ取ることだけが正しい事なのでしょうか。

進んで不幸を選びたいとは誰も思わないでしょうが、苦しんだからこそ、つかみ取れる何かも必ずあるはずです。

上り坂
下り坂
ま坂

わたしにも、まさかと思うような大きな出来事がありました。
その時は、とても苦しみましたし、今思い出してもほんとに辛かったです。

結局、もがいてもがいて、それでも生きて、何かを感じて、喜んだり、苦しんだりしていくことが生まれて来た理由であり、この現実世界で生きる価値というものなのかなと思います。

その中で、人間には感謝をするという能力が備わっているということを忘れないようにしたいものです。

足りないものを望む前に、今あるものに感謝する人にこそ、もしかしたら引き寄せというものが働くのかもしれないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?