見出し画像

【21】清酒醸造の微生物(2) -麴菌①-

【14】~【20】と7回にわたって長々と酵母の話を進めましたので、清酒醸造における重要な微生物のもう一方の主役、こうじについて紹介したいと思います。基礎的な話を①で、その他研究に関わる部分を②で書いていく予定です。

酵母が比較的ダイレクトに香味といった酒質に影響する一方、麴菌はその前段階であるコメの溶解に大きく関与しています。香味に直接影響する要素もあるのですが、米麴をどのように造るかが酒屋の技術であって、種麴たねこうじは種麴屋の専門領域として扱われていた背景もありまして、酵母ほど様々な取組とバリエーションが表に見えていない印象があります(もちろん種麴屋の中では多数の菌株とデータが蓄積されているのですが)。
近年では地域の特性を出そうということで、複数の公設研究機関でオリジナル麴菌の開発も行われるようになってきましたが、生体構造も酵母に比べると複雑であり、取組としてはまだ珍しい部類に入るかと思われます。

後述のように、清酒に限らずさまざまな発酵食品で用いられる麴菌ですが、基本的には清酒醸造に関するトピックスを取り上げようかと思います。

麴とは

はじめに「麴」とは、「米・豆・麦などの穀物に麴菌というカビを繁殖させたもの」で、「アジアの醸造文化の根底を成すもの」とされます。日本では「ばらこうじ」、大陸では「きょく(曲)」と呼ばれる「もちこうじ」の形態が主で、それぞれ使用する菌も異なっています。
日本の醸造産業で用いられる麴菌には主に黄麴きこうじ菌、黒麴くろこうじ菌、白麴しろこうじとありますが、これらは全てAspergillusアスペルギルスに含まれ、作る胞子(実際には「分生子」で厳密には異なりますが、以後の説明において胞子という単語を使用します)の色の違いから分類されているものです。
なお、「こうじ」という漢字には「糀」というものもあります。日本で作られた国字で、にコウジカビが「が咲くように生える様子」から生まれた漢字です。したがって米麴に使うことが多く、それ以外の場合には用いられません。

余談ですが、鰹節の製造に用いられるのもカビで、同じAspergillus属のAspergillus glaucusアスペルギルス グラウクスといいます。

黄麴菌

ニホンコウジカビAspergillus oryzaeアスペルギルス オリゼーの他、ショウユコウジカビAspergillus sojaeアスペルギルス ソーヤ、タマリコウジカビAspergillus tamariiアスペルギルス タマリなどがいます。A. oryzaeは清酒に留まらず焼酎、醤油、味噌など幅広く使われていますが、A. sojaeは大豆タンパク質の分解能が高く、醤油・味噌など大豆を利用した発酵食品に多く使われ、A. tamariiはたまり醤油に使われる菌です。
黄色い胞子といいながら実際には白っぽいものや緑色を示すものまでありますが、米麴を造る段階では胞子ができるほど繁殖させないので、白っぽいイメージがあるかと思います。
A. oryzaeの発見の経緯については、先の投稿【12】にて記載しておりますので、そちらをご覧ください。

黒麴菌

泡盛の製造に用いられてきた黒麴菌アワモリコウジカビですが、かつてはAspergillus awamoriアスペルギルス アワモリという分類になっていました。しかし、その中にはクロコウジカビAspergillus nigerアスペルギルス ニガーに属する、泡盛とはゆかりのない菌種が混在していたことがわかり、分類を進めた結果、A. awamoriという分類は廃止、混在していたA. nigerなどを除いた菌種をAspergillus luchuensisアスペルギルス リューチューエンシスとし、これが国際的に認められるようになりました。

 黒麴菌は1901年に乾環いぬい たまき氏により泡盛から分離され、一度A. luchuensisとして命名されていますが、1913年に中澤亮治氏が分離した黒麴菌は先端の形状が一部異なっていたことから、A. luchuensisとは別種のA. awamoriとして報告され、国内ではこの学名が広く使われてきました。一方、海外では黒麴菌はA. niger(クロカビ)の一種であると考えられるなど分類や学名に混乱がありました。
 そこで、当研究所保存の黒麴菌株やA niger、醸造現場由来黒麴菌株、白麴菌株などについて遺伝子解析を行ったところ、これまで形態等によって付けられていた分類名とは関係なく、A. luchuensis(白色も含む)、A. tubingensis、 A. niger)の3つに大別できることがわかりました。

酒類総合研究所広報誌NRIB 32号 <特集>黒麴菌ゲノム解析からわかること より 

黒麴菌A. luchuensisは、その名の通り黒い胞子を形成します。そして黄麴菌A. oryzaeとの違いが下記のように現れるのです。

黒麹菌の特徴
アジアではクモノスカビやケカビ、日本では古くから黄麹菌が酒造りに使われてきたのに、なぜ、沖縄だけが黒麹菌なのでしょうか。
それは亜熱帯海洋性気候と呼ばれる温暖で多湿な沖縄の気候風土に大きく関係しています。
黒麹菌は酒の製造過程でクエン酸を大量に生成するため、ほかの麹菌に比べてもろみ(米麹に水と酵母を加えてアルコール発酵させる段階)の酸度を高くすることができ、雑菌による腐敗を抑えることができるという大きな特徴があります。
温暖多湿の沖縄は、さまざまな菌にとっても繁殖しやすい環境でもあります。酸度の弱いもろみだと、空気中に浮遊する腐敗菌に負けて、もろみが腐ってしまう危険性も高いのです。
このような風土である沖縄で酒を造る際に、黒麹菌が最も適していることを沖縄の先人たちは長い経験の中で習得していったに違いありません。
この黒麹菌の強さは、黄麹菌を使って造られる日本酒の製造工程と比較すればより明らかです。
黄麹菌を使った酒造りでは乳酸菌が生成されますが、酸度が低いため、ときには乳酸菌を添加して雑菌の繁殖を防ぎます。しかし、黒麹菌の出してくれるクエン酸には及ばないので、日本酒造りは雑菌の少ない冬の時期に、それも作業場には基本的に関係者以外入れず、徹底した雑菌対策を施したうえで行われています。
醸造酒と蒸留酒という大きな違いはありますが、それでも泡盛の酒造所で見る酒造りとはかなり雰囲気が違うものです。泡盛を年中造ることができるのはやはり黒麹菌の力によるところも大きいと言えるのではないでしょうか。

琉球泡盛(沖縄県酒造組合)WEBサイト > 泡盛とは > 黒麹の源流 > 黒麹菌の特徴 より

1914年(大正3年)、大蔵省醸造試験所の技師・善田猶蔵が、泡盛黒麴菌はクエン酸を造り、生産性、酒質良好なため、黄麴菌の代わりに使用することを焼酎製造者に推奨しており、黒麴菌は泡盛に留まらず焼酎造りへも普及していきました。現在では、クエン酸の風味を生かした高酸度の清酒造りに用いられることもあります。

白麴菌

黒麴菌のうち、胞子形成の際に黒色ではなく褐色の胞子を作るようになったアルビノ変異株とされています(白麴と言いながら白い胞子をつくるわけではありません)。
1924年に、河内源一郎かわち げんいちろうが培養していた黒麴菌の中から突然変異した菌を発見しましたので、Aspergillus luchuensis mut. Kawachiiアスペルギルス リューチューエンシス ミュット カワチという名前になりました(Aspergillus kawachiiと記載されているものもありますが、A. luchuensisの変異株として扱います)。
白麴菌は醸造工程で作業服への汚れの付着が少ない使い勝手の良い菌として、1950年代に九州地方に広まり、焼酎メーカーの多くが利用するようになりました。先述の黒麴菌同様、特色ある清酒醸造にも用いられるようにもなっています。

A. oryzaeのアルビノ変異株もありまして、こちらはもっと白くなります。使用する米麴の色を気にする甘酒や塩麴などで用いられる菌株ですが、分類上は「黄麴菌」です。ただ業界によってはそれを「白麴」と呼ぶところもあるらしく、話の齟齬そごが起こることもあるそうです。

紅麴菌

紅麴べにこうじ菌ベニコウジカビはAspergillus属ではなく、Monascusモナスカス属に分類されるカビの一種で、M. pilosusピローサス(日本)、 M. purpureusピュープレウス(中国)、M. ruberルバー(台湾)などが用いられています。
赤色の天然色素の原料として用いられてきましたが、GABAの含有やコレステロール抑制効果なども認められ、健康食品としても扱われています。
清酒においては、麴米の一部に紅麴を用い、紅麴菌が生成する紅色色素を利用した赤色の清酒が商品化されています。

日本で用いられる麴菌(黄・黒・白)とは属から異なる種になるのですが、デンプン質にカビを生やしたものを「きょく(曲)」とした大陸の影響で同じ「麴菌」という表現になっています。

カビ毒と麴菌の問題

上述の通り、黄麴菌A. oryzaeはカビの一種でして、自然界に良く似たカビの菌種が存在しており、一般にAspergillus属糸状菌として分類されています。
黒麴菌や白麴菌、他にも様々なAspergillus属が、日本をはじめとする東アジアの食品発酵産業で用いられています。また近年では有用酵素生産の宿主としても注目されています。
しかし全てのAspergillus属が人類に有益なわけではなく、危害を与えうる厄介な連中もいるのです。以下に示す事件は最もその規模が大きいものでした。

”Turkey X” -Aflatoxin-

1960年、イギリスで輸入飼料を食べた七面鳥が10万羽以上死ぬという事件が起こりました。原因がわかるまでは「七面鳥X病(Turkey X)」としてセンセーショナルな名前が付きましたが、原因はAspergillus flavusアスペルギルス フラバスによるカビ毒(マイコトキシン)でした。この物質は、最初に発見された産生菌の名前からAflatoxinアフラトキシンと名付けられました(A. fla+toxin(毒))。
アフラトキシンはB1, B2, G1, G2など10数種の関連物質の総称で、強い発ガン性物質であることがわかっており、実際にこのカビ毒によりヒトが亡くなった事例も海外では報告されています。

A. flavusの他、A. parasiticusパラシティカスなどが産生菌として知られていますが、これらの”穀物汚染菌”と同じAspergillus属であり近縁種である「カビ」(A. oryzaeやA. sojae)を使っている日本の醸造産業は大丈夫なのかと、この事件の後には大きな騒ぎになりました。
麴菌は長く使われてきた菌で、カビ毒を作らないことは経験的にはわかっていました。しかしこの問題に対しては、1960年代から1970年代にかけて産学官協同して膨大な研究を行い、これら麴菌がいかなる環境においてもカビ毒を産生しないことを示すことが出来ましたが、主に海外からの風評被害に対して、それを撤回するために大変な労力を要したことが想像できます。

2000年代に入り、麴菌のゲノム解析など分子生物学的な研究が進むと、A. oryzaeやA. sojaeの中にもアフラトキシンを生成する遺伝子配列と類似した配列(クラスター)が存在することがわかりました。しかしA. oryzaeにおいてはアフラトキシン生産の転写制御因子であるaflRおよびaflJ遺伝子が存在しないか、または変異により、転写およびタンパク質機能レベルで2重にアフラトキシンを生成できなくなっていることがわかりました。これによって、物質レベルで証明されていたアフラトキシン非生成について、分子レベルにおいても証明されました。

A. sojaeについても、同様に分子レベルでアフラトキシン非生成が示されています。キッコーマンWEBサイトで紹介されている記事のリンクを紹介しておきます。

A. oryzae群においては、カビ毒(22種類)について、醸造条件を含む11の培養条件で生産されない(検出限界以下である)ことが2020年~の独立行政法人酒類総合研究所の試験において確認されています。

↑上記リンク先より以下の報文(英文;和文要約あり)にて報告されています。
農林水産省が定める優先的にリスク管理を行うべきカビ毒のリストに基づいたAspergillus oryzae種の安全性評価(第192号 2020年)
農林水産省のその他カビ毒リストに基づいたAspergillus oryzae種の安全性評価(第193号 2021年)

そして現在、A. oryzaeはアメリカ合衆国FDA(Food and Drug Administration:食品医薬品局)よりGRAS(Generally Recognized As Safe)としても認定された安全で有用な微生物となっています。

その他麴菌が生成するカビ毒

A. nigerの中には、オクラトキシンフモニシンといったカビ毒を生成するものがいることがわかり、黒麴菌A. luchuensis(とその変異株である白麴菌)においての安全性を確認する試験が行われました。結果としては、遺伝子型が異なっており、それらのカビ毒を生成しないことが証明されました。
旧分類のA. awamoriではA. nigerに分類されるクロカビも含まれていたために、カビ毒生産菌がいるのではないかという話になったのですが、A. luchuensisとA. nigerにはっきりと分かれたため、実用黒麴菌においては安全であると示されています。

黒麹菌の安全性
―以前海外では、A. nigerと同じように黒麹菌もカビ毒を生産すると言われたことがありました。実際のところ、菌の安全性はどうなのでしょうか。
 結論から言うと、黒麹菌は安全です。
 先ほど少し触れましたが、海外では黒麹菌はA. nigerの一種と考えられており、また、A. nigerは 2種類のカビ毒(オクラトキシンA、フモニシンB)を生産することが知られていることから、黒麹菌の安全性には問題があるのではないかと問われていた時期もありました。
 さらに、ゲノム解析(生物の持つ全遺伝子の総合的な解析)の結果からもA. nigerはこれらのカビ毒を生産するための遺伝子のかたまり(クラスタ)を持っていることが報告されており、黒麹菌の安全性を確認するためには、これらクラスタの有無が重要なポイントとなりました。
 黒麹菌ゲノムの塩基配列の解読は「黒麹菌ゲノム解析コンソーシアム」などが共同で行い、すでに2008年8月に終了しています。そこで、黒麹菌でもこれら2種類のカビ毒を生産するためのクラスタを持っているかどうかについて、黒麹菌ゲノムの塩基配列を網羅的に検索した結果、オクラトキシンAについては遺伝子が全く存在していないこと、フモニシンB2についても生合成に必要と予想されている12遺伝子のうち、配列の似た遺伝子が2つだけ存在していましたが、その他の遺伝子は全く存在しておらず、クラスタを持たないことが明らかとなりました。
 また、このゲノム構造は、これまで解析した数十株の黒麹菌全てで保存されており、黒麹菌はゲノムレベルでカビ毒オクラトキシンAとフモニシンB2を生産しないことが示され、安全性が証明されました。

酒類総合研究所広報誌NRIB 32号 <特集>黒麴菌ゲノム解析からわかること より

紅麴菌Monascus属においては、腎機能へダメージを与えるシトリニンを生成するものがいますが、日本で使われているベニコウジカビM. pilosusについては、こちらもやはり遺伝子的に生成能を失っていることが明らかにされています。

紅麹米は古くから食品用途として世界中で食されており、モナコリンKやアザフィロン色素などヒトの健康に良い効果をもたらす化合物も生産するが、カビ毒シトリニンのようなヒトの健康に害を生じる懸念のある化合物も生産する。微生物は、培養条件が変わると二次代謝の生産性が大きく変化することから、培養条件のコントロールだけでは安全性に課題が残る。食品原料として管理体制を厳格に行っていても、遺伝子レベルでカビ毒合成遺伝子を持たない菌株を使用しない限り、カビ毒汚染のリスクは拭えないと考えられる。近年、次世代シークエンサーや代謝物の分析手法の飛躍的な進歩により、ゲノムレベルや代謝物レベルでの評価が容易になった。そのため、紅麹菌の全ゲノム解析も多数報告されている。そのうちのM. pilosusはシトリニンの生産能を失っていることが複数の菌株の全ゲノム解析で報告されている。したがって、食品として利用するための紅麹菌種として安全性が最も高いのはM. pilosusであると考えられる。

食品に利用される紅麹菌のカビ毒シトリニンに関する研究」(比嘉悠貴 他, マイコトキシン, 72, (2), 97-101(2022))より

麴菌の「家畜化」

ここまで記載したように、麴菌の近縁種にはカビ毒を生成する”親戚”がおりまして、近年では、元々カビ毒を生成した種から「家畜化」によって分化して、ヒトにとって有益な菌が独立したという説があります。
A. oryzaeはA. flavusが「家畜化」によって無毒化して生まれたのではないか、という説が唱えられていましたが、東京工業大学の研究では、種の分化は祖先株における有性生殖によって生じたもので、人による育種ではそこまでの系統変化は生じていないと考えられる、ということです。

研究成果
今回の研究ではA. oryzaeの単離株82株を日本全国5社の種麹屋から収集し、全ゲノム解読を行った。近縁種の既知のゲノムを含めた比較解析の結果、産業用株は系統樹上でゲノム構造の異なるいくつかのクレードを形成することが明らかとなった。
それぞれのクレードは産業用途(醤油用または酒・味噌用)で分類され、採取元では分類されなかった。また、系統樹上の位置関係とMAT型の関係に不整合が見られたことから、これらのクレードの分化は、ある一つの祖先株の変異の蓄積によるものではなく、有性生殖によるものであることが明らかとなった。
一方で、産業用株間のゲノムで有性生殖の痕跡を見つけることはできなかった。このことから、人間による家畜化の過程では有性生殖は起こらなかったことが示唆された。家畜化の過程で起こった遺伝子の変異に対する解析では、生育や色素、二次代謝関連遺伝子に変異が見られたものの、産業用重要とされる分解酵素遺伝子への変異蓄積がほとんど見られなかった。これは、種麹屋が麹菌の育種をする一方で、重要な遺伝子が変異しないように守り通してきた結果が反映されていると考えられる。
また、A. oryzaeの近縁種に99.5%類似したゲノムをもつAspergillus flavus(アスペルギルス-フラブス、以下A. flavus)がある。A. flavusは、一部の菌株がアフラトキシンなどの真菌毒素を産生することから、食品衛生上重要であり研究が進んでいる種である。
A. oryzaeとA. flavusは非常に近縁でありながら対照的な特性をもつため、人間の家畜化によってA. flavusが無毒化されA. oryzaeが生まれたとする説があった。しかし、今回の研究によってアフラトキシン合成遺伝子クラスターと全ゲノムの系統は無関係であることが明らかとなり、この説は否定された。

東京工業大学WEBサイト > 東工大ニュース > 麹菌A. oryzaeの進化と家畜化の関係 より

国菌としての認定

2004年(平成16年)に一島英治いちしま えいじが「麴菌を国菌に」と提唱しました。
国花としては桜または菊、国鳥はきじ、国魚はあゆ、国蝶はオオムラサキ、などありますが、それらと同じように「国の菌」として「麴菌」を、というお話です。下のリンクから全文が確認できます。

日本のミクロの世界を代表する微生物(国菌)は、私はコウジキン(麴菌)であると思います。コウジキンは日本の伝統的発酵食品の製造に欠かすことが出来ないばかりか、日本の人々のものの見方、考え方、そして日本の社会に大きな影響を与えてきた微生物です。

この提言を受けて、2006年(平成18年)に日本醸造学会が麴菌を「国菌」として認定しました。この年の総会にて議案として取り上げられ、承認多数で決定したと記憶しています。

麴菌をわが国の「国菌」に認定する-宣言
 麴菌は、古来わが国の醸造をはじめ、いろいろな食品に用いられており、わが国の豊かな食文化に貢献してきた。また、高峰譲吉博士が 110 余年前に消化剤タカジアスターゼを抽出・創製したのも麴菌からである。
 2005 年には、わが国の産学官研究グループによって麴菌(Aspergillus oryzae)の全遺伝子配列が明らかにされ、今後ますます産業的に重要な菌として医薬品をはじめ、広い分野で有用物質の生産に用いられるであろう。
 本宣言の発案者である一島英治博士は「日本からの麴菌の科学技術と文化の発信は、21世紀の世界に大きなインパクトを与えるものと期待される。」と述べておられる。
この期をとらえ、日本醸造学会は、われわれの先達が長い間大切に育み、使ってきた貴重な財産「麴菌」をわが国の「国菌」に認定する。

麴菌をわが国の「国菌」に認定する-宣言-(日本醸造学会)(PDFファイルへのリンク)

後述しますが、麴を用いて作られる酒造りを国としても持ち上げていますので、一学会の提言に留まらず、国がプロジェクトを組んで動いています。

国菌としての麴菌の定義

国菌として認定した「麴菌」とは以下の通りです(2013年(平成25年)に上述の黒麴菌に関する分類から一部内容が改められました)。基本的に清酒、醤油、味噌、焼酎、泡盛など日本の発酵産業に用いられている麴菌たちです。

麴菌とは、
わが国で醸造及び食品等に汎用されている次の菌をいう。
(1)和名を黄麴菌と称する Aspergillus oryzae。
(2)黄麴菌(オリゼー群)に分類される Aspergillus sojae と黄麴菌の白色変異株。
(3)黒麴菌に分類される Aspergillus luchuensis(Aspergillus luchuensis var. awamori)及び黒麴菌の白色変異株である白麴菌 Aspergillus luchuensis mut. kawachii(Aspergillus kawachii)。
注)Aspergillus niger(クロカビ)は、黒麴菌とは異なる菌種であり、麴菌には含めない。

麴菌をわが国の「国菌」に認定する-宣言-(日本醸造学会)(PDFファイルへのリンク)

日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術について

”日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の無形文化遺産登録とユネスコ無形文化遺産への登録に関する活動”をきっかけに、「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会」が2021年(令和3年)4月に設立されました。設立目的は以下の通りです。

2 設立の目的
日本酒、本格焼酎・泡盛、本みりん等の日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術を次の世代へ確実に継承するとともに更に向上させていくため、この技術の保存・活用及び発展のための活動を行うこと。
(中略)
4 主な活動
・ 杜氏等の日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の担い手の養成
・ 多様な酒造技術、希少な酒造用具等の記録、保存
・ 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保護に対する取組を連携させるための定期的な協議
・ 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の無形文化遺産登録とユネスコ無形文化遺産への登録に関する活動
・ 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の認知度向上を図るための広報、啓発活動及びその管理  等

日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会の概要

2024年4月時点でまだユネスコ無形文化遺産への登録は達成されていませんが、国を挙げて様々な取組をおこなっていまして、その産物としてよく私が利用しているのが以下のページに掲載されている調査報告資料です。

下の方へスクロールしていくと、以下の記載があります。

「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り」の調査報告について
 国税庁では、日本の伝統的な酒造り技術に関する文化的要素や、酒造りの担い手に受け継がれている技術とその歴史等を把握・整理することにより、保護するべき日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の検討を行うことを目的として、「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り」の調査を行いました。

調査報告(全文)(PDF/2,120KB) と 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒類に関する主な事項の年表(PDF/372KB) については、国の公式資料で現在の識者が記したものですので、教科書としても最適です(と勝手に思っています)。

麴の役割

述べる順番が違う気もしますが、まず「麴」の役割とは何でしょうか。

麴と麴菌

酒類に限らず醤油や味噌でも用いられる「麴」ですが、麴菌を用いることで何が行われているのかというと、各種麴菌が持つ酵素遺伝子が原料によって異なる酵素を菌体外に大量に分泌しており、その酵素を利用しているのが「麴」です。

A. oryzaeにおいて、液体培養と固体培養で発現する遺伝子が異なり、液体培養では固体培養に比べて酵素製成量が大きく減ることが報告されました。現在の麴造りにおけるストレス環境こそが、麴菌の酵素分泌を生み出していることが分かったというのは面白い話ではないでしょうか。

 麹菌(A. oryzae)のグルコアミラーゼ生産の特徴は、米麹のような固体培養で非常に大量に生産される点である。黒麹菌であるA. nigerやA. awamoriにては、液体培養でも著量のグルコアミラーゼを生産し、産業用酵素の生産に応用されている。しかし黄麹菌であるA. oryzaeは液体培養でのグルコアミラーゼ生産は固体培養に比べて、約1/20程度まで減少する。清酒醸造において液体培養での「麹造り」が実現できない最も大きな障壁は、このグルコアミラーゼ低生産性にあると考えられている。A. oryzaeの液体培養でのグルコアミラーゼ生産性を上昇させる試みは、昭和20年代にはじまり、これまでに菌株育種や培養条件の検討など多くの努力がなされてきた。しかしながら、末だに固体培養「米麹造り」に匹敵するような液体培養法は開発されていない。

清酒麴菌の固体培養(麴造り)で大量に発現するグルコアミラーゼ遺伝子について」(秦 洋二, 日本醸造協会誌, 93, (12), 922-931(1998))より  

グルコアミラーゼについては詳細は上記文献を読んでいただくとして、他の酵素も培養条件の違いで分泌する種類が変わるため、同じA. oryzaeでも、米か麦か、はたまた他の材料かで酵素の生成バランスが変わるそうです。
米も精米歩合によって栄養条件が変化しますので、大吟醸のように磨けば磨くほど酵素の比率は変化するものの、総力価としては低下していきます。

特定の酵素だけを多く作るというのも難しいらしく、近年の大吟醸麴によく使われるグルコアミラーゼ高生産菌ですとチロシナーゼも増えてしまい、麴の褐変や黒粕くろかすの原因になると言われています。大吟醸粕が黒くなると商品価値が落ちるため、糖化酵素を出しつつチロシナーゼを抑制できる菌株の要望はありますが、実現には至っておりません。麴菌からしてみれば、発芽して生育していくための環境下で様々な酵素を出していく必要があるわけで、そう簡単に人間の思う通りにはなりませんわね。
なので種麴屋さんでは、複数の菌株の種麴をブレンドして商品化し、酵素のバランス調整をしています。

酵素とは

普通に酵素酵素と連呼していますが、以前にも書いたように「こうじ・こうそ・こうぼ」と名前が紛らわしくて、よく混同されています。

1.はじめに
 生物が運動、成長あるいは増殖などの様々な生命活動を営むには多大のエネルギーを必要とする。このエネルギーは物質代謝、すなわち生体内で起こっている幾多の化学反応によって供給されている。酵素は、言わば、生体内で起こる全ての化学反応を極めて速やかにそして円滑に進行させる役割を担う触媒の総称であり、酸化還元反応、転移反応、加水分解反応、脱離反応、異性化反応及び合成反応を触媒する6種に大別され、現在知られているだけでもその数は3,000に近い。酵素の本態は蛋白質であるが、その大半のものは糖鎖や他の化学物質が蛋白質に共有結合した複合蛋白質であり、酵素として触媒活性を発現するには、単に蛋白質のみで行う場合もあるが、水溶性ビタミンや2価金属イオンなどを触媒作用の補助因子として必要とするものが大半である。

1.酵素とは ―酵素の工業への応用―」(南浦能至, 繊維製品消費科学, 36, (10), 609-615(1995))より

…とまぁ難しい言葉が並ぶのですが。酵素は生物ではなくタンパク質で、麴菌に限って言えば、麴菌の酵素は「はさみ」に例えられ、デンプンを糖類へ、タンパク質をアミノ酸へ分解するはたらきがあります。
タンパク質ですので高温下では変性してその機能が失われます(=失活)。清酒の火入れは酵母や火落菌の殺菌だけでなく、生酒中に残存する酵素を失活させる作用もあるのですが、生物相手の殺菌と同時に行われるため、酵素自体も生物と勘違いされることがあるようです。

清酒麴は米のデンプンをどう溶かしていくのか、という点からアミラーゼ(デンプン→糖類へ分解する酵素)が重要視されます。プロテアーゼ(タンパク質→アミノ酸へ分解する酵素)は、どちらかというとあまり多くしたくない(そもそも米を磨くのも雑味の原因となるアミノ酸とその供給源であるタンパク質を減らすため)ので、プロテアーゼは抑える傾向があります。
醤油麴の場合は大豆や小麦をどれだけ溶かすかが要求されるので、プロテアーゼの方が意識されるそうですが、他の発酵産業の麴を比較した場合、どちらかというと清酒麴の方が特異的な酵素バランスとなっているのだとか。

分解できる物質が異なる(基質特異性と言います)ので、麴の原料となる物質により作る酵素が変わるのは先述の通りです。そして水分量や生育温度によっても作る酵素が変化します。その辺りが米麴造りのポイントなのは言うまでもないでしょう。

一旦ここまで。
次回-麴菌②-で、麴菌の研究やら何やらを触れていこうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?