あくりる

日々、なにかを考えている。そんな考えたことを、このnoteに書く。 好きな言葉:アカル…

あくりる

日々、なにかを考えている。そんな考えたことを、このnoteに書く。 好きな言葉:アカルチュエーション

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  • 読書日記

    今日よんだ本をnoteにメモ的に書いていく。

  • 思考日記

    考えることが好き。考えたこと、書く。

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  • 複雑性の極み

    「複雑で惹かれる物事」がテーマ。写真館みたいな感じ。完全に自己満足な企画。

最近の記事

ソーシャルディスタンスってフィジカルディスタンスだよな

それだけ。 単純に「物理的に距離とってくださいねー」っていうより、ソーシャルディスタンスっていうカタカナつかったほうが説得力上がるんかな? って疑問だよね。

    • 知識と解釈

      知識だけ持っててもなーっておもってる。 わたしの父、知識豊富で「なんでそんな雑学しってるの」とおもうことよくある。 けど、ただそれだけなんだよな。 自己満足でおわるなら全く問題ない。 んだけど、ぼくからしてみると、知識だけもってるひとってなんかこう、おもしろさを感じない。 独自に考えた意見が無いんだよね。 だから、おもしろくない。 常に自分の頭で考えつづけるひとでありたい。

      • 「死」についての解釈

        死とは、解釈体の解体であり、そこに主観による過去の想起を加えるから悲しくなる。 つまりは解釈体の解体への解釈。 この解釈を無意味なものにすれば悲しみはなくなる。即物的な解釈にすればいい。 つまりは物質の解体、という解釈。 もともとは自然界にあった分子・原子の組み合わせであった人体が再び自然界に放出された。 ただ、それだけ。

        • 読書日記#1~「与沢翼」にまなぶ物事のつづけ方~

          さて、いきなりだが、読んだ本を日記的に、メモ的に、書いていくことにした。 「与沢翼」という男の本を電子書籍で購入。 ぼくは「本は紙でなければいけない」派だったけど、最近はビジネス・自己啓発系の本を電子書籍で買っている。 あまりにも本がふえすぎてしまい、置き場にこまる未来でしかないからだ。 ここに書かれていたことと、それについてぼくが考えたことを紹介。 私 の 根底 に ある のは 常に 低い 期待値 だけなの です。 本心 で 言う と 今 も すべて の 自分 の

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        記事

          自然的記号と自然的情報と志向的記号、そして生き物にとって利用しやすい情報

          【キーワード】 ・自然的記号 ・自然的情報 ・志向的記号 う~ん、なんか今回のタイトルはよくわからんゾ。 安心してください。解説していきます。 たとえば、黒い雲を見かけますよね。すると、「雨が降る」とか「日光が遮られる」「もうすぐ地面が濡れる」などといった情報がその黒い雲によって伝わるわけです。 で、その情報のうち一部を生物は利用して「傘をささなきゃ」といった信念をつくるわけです。 このとき、 黒い雲→【自然的記号】 「雨が降る」とか「日光が遮られる」「もうすぐ地

          自然的記号と自然的情報と志向的記号、そして生き物にとって利用しやすい情報

          表象と志向性について

          【キーワード】 ・表象 ・志向性 さっそく、表象について。 この「表象」という漢字から意味が推測できなくて困るのは、ぼくだけではないであろう。表に出ているゾウさん!なんて意味は無い。 【表象】とは、それ自体ではない、それ「について」のもの、といったところだ。 ん?なんじゃそれ。よくわからん。 ということで、例を出そう。 まず、この文章を見てほしい。 「日本海に沈む夕日」 で、こんな光景を思い浮かべたんじゃないかな。 (絵がへたなんて、い、いわないでくれ!)

          表象と志向性について

          オシツオサレツ表象とアフォーダンス、およびそれらを利用した行動の可否

          【キーワード】 ・オシツオサレツ表象 ・アフォーダンス ・Bアフォーダンス 前回のnote で述べた第三段階目の認知デザインを、哲学者ミリカンは【オシツオサレツ表象】と表現している。(「表象って何?」とおもうかもしれませんが、ここでは気にしなくて大丈夫です。ですが、やはり気になるので、またnoteに書きます。) オシツ面とオサレツ面とに分けて考え、第三段階ではそれら2つの面が分かれていないことから、【オシツオサレツ表象】と名づけられている。 オシツ面は記述的、つまり事

          オシツオサレツ表象とアフォーダンス、およびそれらを利用した行動の可否

          人間特有の「目的手段推論」と認知デザインの進化を考える

          【キーワード】 ・目的手段推論 ・モノトーマ ・機会主義者 ・ニーズを持つもの (注意)この記事は有料です。 人間は、目的をもって行動することができる。ある目的を達成するためにどの手段を選ぶか考えることを【目的手段推論】と言う。 目的手段推論をしたり、いますぐには達成できない夢や目標(つまりは目的)をもって努力することは他の動物にはない、人間に特有の概念であるようにおもえる。 ここで、問題が生じる。なぜ、人間には原始的生物にはないこと-手のこんだ目的を定め、達

          人間特有の「目的手段推論」と認知デザインの進化を考える

          あえて逆のことをする。

          本日の大学はオープンキャンパスのようで。 相変わらず晴天がつづき、本日もそれにもれず快晴。雲ひとつない青空。暑い。 カラスも暑いようで、葉でかこまれた木の内部にとまっていた。影がカラスをつつみこむ。影と同化し、しずかに待っていた。暑さがどこかへいくのを。  という暑さでありましたので、オープンキャンパスでは500mlペットボトル水が無料で配られていた。よくお祭りとかで売られる形式で、コカ・コーラの印がはいった赤い容器。その中に水がはられていて、その水の中にペットボトル飲

          あえて逆のことをする。

          食堂でよくみる「ながら食べ」について

          食堂にて。もうね、すっごいんですよ、「ながら」で食べてる人が。 スマホ見ながら食べる人。教科書を見ながら食べる人。 キミ達、なんらかの情報にふれていないと、だめなんだね。 とか言うぼくも、3年くらい前までは「ながら」で食べていた。 しかし、あるとき気づいてやめた。 「ながら」でたべると、たべる早さがおそくなる。 効率が悪い。とっととたべてスマホ見たほうが、一日を効果的につかえるような気がして。ぼくはそれに気づいて、「ながら」でたべることをやめた。 そういえばこの

          食堂でよくみる「ながら食べ」について

          カバンが空いている青年と、カバンの本質について

          わたしは昼に、飯を食おうと食堂へと自転車をこいでいた。 自転車置き場に着く直前、カバンが開いている青年が歩いていた。 よく見る『THE NORTH FACE』と書いてある、上に開け口がついてあるようなカバンといったところである。   わたしはいつもカバンの口が開いていないか確認して自転車に乗る人であるため、このようなカバンが空いていても平気でカバン背負っている人におどろきであった。 何食わぬ顔で歩いていた。うしろからだれかが手をつっこんで財布を盗むというような不安はない

          カバンが空いている青年と、カバンの本質について

          他者との比較―自己の衝突―について

          なぜ生きるのが難しいのか分かった気がする。 結局、概念を「信じる力」で幸か不幸か決まるので、周りから間違っていると言われても自分が信じきっていれば幸せ。 だが、人間とは社会性ある生命体であり、否応なしに周りの世界―概念―とぶつかる。自分軸がブレる。これ、すなわち不幸。 「他人と比較する」ことは、世界の衝突を自分から招いているので、自分軸―自分の信じる世界―に傷がつき、自己がくずれていく。 さて、ここからが問題で、自己がくずれることからの再起を楽しめる人もいれば、そのま

          他者との比較―自己の衝突―について

          「類比」に気をつけろ。

          たまに見る「△△も〇〇と同じで□□だ」で納得させにかかる文章は注意しなければならない。 両者において、本質的に違うことが多いと感じるからだ。 【類比な文章が来たらどう疑うか】 ①「△△」と「〇〇」の2つを独立した事象ととらえよ。 →多くは「△△と〇〇」を結びつけたように相手は主張してくるから、疑いづらくなっている。ここで、あえて疑う、つまり結びついている事象を分離させるのだ。 ②「〇〇と同じで□□だ」と相手が主張する論点をとらえよ。つまり、相手の言う「〇〇=□□」と

          「類比」に気をつけろ。

          「生きるとはなにか」を定義しないと不幸になる。

          「生きるとはなにか」は人によりけりなので、自分の核となる考えを持とに人生を構成していかなければ、不満・不幸な人生を歩むことになる。 結局、「生きるとはなにか」は作り出され、おのおのの解釈に帰する。すべての「ある」は思い込みで、じつは実体がなく、客観的には「ない」のである。

          「生きるとはなにか」を定義しないと不幸になる。

          自信とは何か。

          自信とは、 ①行動による良い帰結(成功)から生まれる安心感、 ②自分で塗り固めた”嘘”(根拠なき自身・虚栄心) があると思っていて、①がないうちは②で行くしかないが、②は他人に突かれたら、簡単にくずれおちてしまう。よって、②を守るためにひたすら逃げる、は自己満人生を歩みたいならお得。 「生きるとはなにか」を考えて、「生きるとは、自己満足である」であれば、ただ逃げるのみ。 というか、ぼくは自己満足こそが人間―動物―の本質だと思っている。何を信じて何を受け入れないのか、

          自信とは何か。

          ぼくの思考バブル(2018/06/24)

          ぼくは日々、スマホのメモ帳にその都度浮かんできたことをメモしている。 通常、このメモはだれにも見せずにただメモ帳に保管してあるだけなのだが、今日からしばらく実験的に、ぼくの思考メモをのせてみることにする。 なお、編みがけしてある文字が、本日スマホのメモに書いたことだ。矢印で、そのメモの補足をしてある。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 時間がすべてをながす。 →今現在、嫌なことがあっても楽しいことがあっても、時間がある程度過ぎればどうでもよくな

          ぼくの思考バブル(2018/06/24)