人材不足について正直よく分からないこと

役所がIT人材不足を喧伝するのは今に始まったことではない。1985年にはソフトウェア危機といって、2000年までにソフトウェア技術者が97万人も不足するといわれていた。2016年の調査で2018年にはセキュリティ技術者が13万人、2020年には19万人も不足するといわれているらしい。同じ調査でAIエンジニアを含む先端IT人材の不足は最大4.8万人とのことなので、実は不足数でいうとセキュリティ人材の方が多かったりするようだ。

あれは日本でPockemon Goがリリースされた日だから3年近く前のこと、わたしは遠路、奈良先端技術大学院大学で「産業界の求めるセキュリティ人材の育成」について理工系の大学教員の方々に講演する機会をいただいた。2013年にはヤフーでID部門を所掌した途端に大規模な情報漏洩事案が起こり、2015年には日本年金機構で起きた年金情報漏洩事件に駆り出されたり、2020年の東京オリンピック開催が決まって、ちょうど世間的にセキュリティ人材の不足が喧伝されていた頃だ。

ひとことにセキュリティ人材といっても、セキュリティ・マネジメントとSOC運用、インシデント対応、フォレンジクス、CISOでは全く違う専門性が要求され、一括りにセキュリティ人材とまとめると問題を見誤る。セキュリティ部門という意味ではヤフー規模でも数十人の所帯だし、これからエンジニアが何十万人も不足する実感はない。とはいえ実際にサービスを守るためには運用やコーディング、品質管理に於いてもセキュリティのスキルは要求されるし、今後DevSecOpsを回していこうとすれば千人単位のエンジニアがセキュリティ・リテラシーを高めなければならない。さはさりながら全員がセキュリティを知悉している状況は望むべくもなく、ツールやプロセス、いずれはAIで自動化する部分も出てくるだろう。そこで時代の変化に応じてリスクの所在を把握し、新たな打ち手を考えていける人材が必要となる。

残念ながらこれを習得すればセキュリティ人材として一生通用する知識体系なんてものはなく、計算機科学の基礎的な体力に加えて、社会に出てからも新たな技術を学ぶ柔軟性、他部署と折衝して施策を実行できるコミュニケーション・スキルを持ってるような人材が欲しいが、後者は場数を踏んで周囲との信頼関係を築いて獲得するものだ。高等教育に対しては今日のセキュリティ運用に特化した業務知識よりも、計算機科学の基礎と新たなことを学ぶ柔軟性に期待したい。大学に対してサイバー警備員の即席培養を求めたところで、30年、40年も雇用に責任を持てない、今ある運用は徐々に自動化すべきであって、そのチェンジ・マネジメントを担える人材を世に送り出していただきたいという話をさせていただいた。今週もサイバー犯罪の白浜シンポジウムで登壇するが、そろそろ東京オリンピック以降の業界についても考え始めることになるのだろうか。

わたしはAIについて詳しい訳ではないが、やはりセキュリティと同様に、基礎的な素養と応用分野のドメイン知識をどう掛け合わせていくか、そして変化する技術トレンドにキャッチアップしながら、経験を踏まえて価値を出すために、かなりの苦労があるのだろうと推察する。セキュリティはこの十数年で情報システム部門の中でもそれなりの市民権を得て、整備された基盤の上で運用できるようになりつつあるが、しっかりとしたデータ分析基盤を持っている日本企業は本当に一握りで、データサイエンティストとして入社したつもりが日々データ収集とインフラ構築に明け暮れて、PoCを動かすのもままならない人々が少なからずいるようだ。AIを利用するために、どこまで分厚いAI人材の層が必要となるのかも正直よく分からない。

例えば仮名漢字変換システムや検索エンジンは高度な自然言語解析を応用した人工知能システムの一つだが、マックの女子高生でも普通に使っている。スマホは世の中に浸透したが、マルチタッチUIのイベントモデルや5Gの変調方式に精通している技術者はほんの一握りだ。この数十年で日本も随分と自動車社会となり、世界トップレベルの自動車会社を擁することができているが、エンジンや車体の設計に通じている人材は一握りである。しかしながら高い精度と品質で自動車を量産するためには優秀な工員が大量に必要で、そういった人材を育成するために高専をはじめとして様々な理系教育機関が整備されてきた。

AI戦略とは要するに教育界を巻き込んで日本中の子ども達に基礎的なAIリテラシーを身につけさせ、世界に遜色ない研究環境を提供し、社会のあらゆる分野にAIを適用しようというポンチ絵のようだ。そこまで幅広い国民を動員するということは、量産に必要な工員を育てようとしているのだろうか。それとも自動車の設計技師や、プロジェクトを統括する主査を育てようとしているのだろうか。

データを扱うエンジニアのなかで、どこまでをデータサイエンティストと呼ぶかは諸説ある気もするが、例えばGoogleのビジネスを支えている中にはデータサイエンティストだけでなく、SREやインフラエンジニア、フロントエンドエンジニア、サーバーエンジニア、デザイナー、営業、マーケティング、法務と様々な人たちがいて、データ分析だけで成り立つものではない。

そしてデータ分析とて、モデリングだけでなく分散処理技術、データの前処理や正解データの作成、約款の整備、セキュリティーの確保、利用者からの同意の取得など、計算機科学に留まらない様々な業務の集積の上に成り立っている。そういった資本集約型の設備産業にあって、利益率を左右する重要な役割を担うことから、データサイエンティストには高い待遇が与えられているのだろう。

恐らく芸術家や学者の閃きがそうであるように、優秀なデータサイエンティストの能力は、訓練だけでなく天賦の才が求められる。だからこそGoogleは虎の子であるはずの深層学習ライブラリーTensorflowをオープンソースで公開し、太っ腹なことにColaborateryで実行環境まで提供している。そうすることで世界中の才能を惹き付け、選別するために有用なデータを収集し、そのトップ層と良好な関係を築き、場合によっては自社に勧誘している。AIのエコシステムにとって人材は確かに重要な要素であるものの囲い込めるものではないし、分母の大きなインドや中国の方が有利かも知れない。むしろ膨大なユーザーとのタッチポイント、そこから生まれてきたデータ、データを分析した結果をぶつけて得たフィードバックから更にモデルを洗練させて、その過程でマネタイズも行っている。

価値の源泉はユーザーとのタッチポイントであって、データそのものではない。日本ではデータがないからAIの研究開発ができないと大騒ぎになって、データ流通の枠組みについて議論が進んでいるが、データがあったところでユーザーとのタッチポイント、そこで得られた約款同意、マネタイズの仕組みがあって初めて事業として回るのである。そして今はたまたまGPGPUやASICを使った深層学習が流行っているが、いずれアニーリングマシンや量子コンピュータが使われるユースケースもあるだろう。

中等教育のカリキュラムをいじるということは、向こう10年後、20年後の若者たちの未来を大きく左右することになる。いまの人工知能の研究者の方々は、これまで人工知能研究に於いて様々な流行廃りがあったことを経験されてきていることと思うが、深層学習ブームが今後10年、20年と続く見通しを持たれているのかどうかは是非ともお伺いしたい。そして産業構造として、世界中で一握りの人たちが潤沢なデータと実行環境を使って汎用的なモデルを構築する時代が来るのか、それとも一億総AI技術者として一人ひとりがモデルをDIYし続けるのかどうかも気になっている。僕らはひょっとして電卓やExcelのようにRやPythonを駆使できなければホワイトカラーとして生き残れない時代が来るのだろうか、ぜひスマホを弄っているマックの女子高生にも聞いてみたいところだ。

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