GAFA脅威論の死角と蹉跌

この3年くらい役所でGAFA脅威論があからさまに論じられるようになったけど、どうにも本質から外れた議論が多く、どこかで落ち着いて考える必要を感じている。だいたいデータを持ってるからGAFAが強いのではなく、データよりも前に利用者と接する出面(注:ヤフーの社内用語。消費者にサービスを提供する接点)と大量データを処理するインフラを手に入れたGoogleとAmazonが、後からデータを競争力に転化する戦略を成功させたのだ。

出面と分析基盤あってのデータであって、その逆ではない。大量データ処理の技術は1980年代から米国でGrantがついてきた大規模データベース研究を端緒に、2000年代初頭にかけて検索エンジンの基盤技術として民生化されたのだし、出面の成長はWindows 95からドットコムバブルにかけての数年間、その後のスマホの普及が大きく、深層学習が出てきたのはもっと後のことだ。

ここを勘違いしているから、経済界からは個人情報保護法を緩めてくれとか頓珍漢な要望が出てくるし、情報銀行が日本のITを救うといった度し難い勘違い議論が横行してしまう。データだけあっても利用者の同意を取れなければ、広告なり与信でマネタイズできなければ、計算機をぶん回して分析できなければ、宝の持ち腐れである。

出面からデータと収益が生まれてきたのであって、データから出面と収益が生まれる訳ではない。死蔵されていたデータが深層学習で鉱脈となることもそうそう起こらない。グーグルはAndroidなりKeyholeの買収にしても、何のデータが広告事業に役立つか焦点を定め、10年近くかけて収益化しているのだ。

もはやGAFAは米国企業というより中国や欧州もエコシステムとして飲み込んだグローバルエンタープライズであって、それに対して日本という柵の中で戦おうとすること自体とても間抜けなことだ。グローバルのタレントプールがどのように流れ込むか考えなきゃならないのに、日本人だけでマネジメントして、日本市場だけを足場に戦えると考える方がどうかしている。

成長する東アジアを背景に、特に中国や東南アジアとどういった関係を築きながら、日本の立ち位置をグローバルなエコシステムの要衝として確保し続けるのか考えなきゃならない時に、GAFAワナビーになって車輪の再発明に邁進する余裕など、どこにもないはずなんだけど。

GAFAに追い付け追い越せというと、日本では何故NTT, FNHがGAFAになれなかなったのかと論じられがちだけど、そもそもAT&TやWestern Electricの末路やIBMの凋落を考えると、ないものねだりではないだろうか。あえて論じるとすれば何故、早稲田の千里眼はGoogleになれなかったのか、なぜSONYやSHARPはAppleになれなかったのか、mixiやGreeはFacebookになれなかったのか、楽天はAmazonになれなかったのか、といったところだろうか。

DEC傘下にあったAltaVistaの失敗を考えれば検索エンジンが育んだクラウド分散処理技術を計算機メーカーが育てることは難しかったのだろう。SONYやSHARPがAppleになれなかったのはソフトウェアを軽視して下請けに外注していたことや、強力なリーダーシップに基づく割り切りが難しかったこと、メーカーに対するキャリアの影響力が大きかったことがありそう。mixiやGreeは皮肉にもソーシャルゲームが儲かり過ぎたことと、SNSとして海外に出ていけなかったことが大きいと感じている。

WEやWH、Lucentなんかの低迷を考えるとFNHの健闘はむしろ評価されるべきであって、日本社会の課題を探るためには1970年代起業組(Apple、Microsoft / ASCII, SORD)や1990年代起業組(Google, Amazon / Yahoo! JAPAN, 楽天)が日本でTech Giantにならなかった理由を考えた方が良さそうだ。

SORD、ASCIIはじめ死屍累々の1970年代創業組Techベンチャーに少し遅れて1980年代の創業になるが、今日も生き残ってるのはSoftBankで、1996年Yahoo! JAPANを立ち上げ、2000年Alibabaに出資し、2001年Yahoo! BBを立ち上げ、2006年Vodafoneを買収したのって、改めてハンパなく凄い。

90年代後半にKingstonとかComdexとか買ってるの変だなぁと思ったし、幾度となく彼は今度こそ潰れるって言説があったけど今日まで生き残ってる。でもSoftBankって根っこの判断が投資家で、Techの会社っぽくなくて、社内のR&Dに投資している印象も薄い。典型的なMerge and Developmentだ。

プロ野球騒動の時に梅田望夫さんが、楽天やライブドアを評して「生活密着型サービス産業」たるダイエーの末裔だと喝破したけれども、SoftBankってそれこそ福岡ホークスを引き継いだ点で、最も正当なダイエーの末裔として、後の楽天やDeNAに道筋を示したし、このところのVision Fundの投資先も、WeWorkであれUberであれ「生活密着型サービス産業」っぽい。

結局のところ消費者向けサービスでデータをマネタイズできるのは広告と与信で、どちらも生活と密着している。もはやTech自体はツールで、それ自体が経営判断の枢要な軸とはならないんだろうか?Googleも10年前であればデータセンターとか検索エンジン、分散処理技術といったTech側面が強調されがちだったけど、最近は顧客接点とかデータ軸での強みを強調している。だからTechGiantは深層学習のライブラリはじめ、自分たちの技術を惜しげもなくオープンソースで公開できる訳だ。

一周回って十数年前に梅田望夫氏が侮蔑的に論じた「生活密着型サービス産業」こそ、この10年でGAFAが志向してきた方向だったとして、楽天やライブドアは先手を打てたんだろうか?LINEを成功させた旧ライブドアは意外と頑張ったけれども、国策捜査で韓国資本となってしまったことが今となっては残念ではある。

折しもFacebookがMessengerアプリの刷新をF8で発表したばかりだが、LINEを民族資本に留めておけなかった日本社会の限界と、アジアの外にまでは出られていないLINEの限界に改めて思いを致すと、この失われた四半世紀の間に日本が何を見逃してきたのか、平成が終わってなお私たちがどんな昭和的なるものを引きずってきたのか、この令和の新時代を迎えるにあたって考え直す補助線となるかも知れない。

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