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本当は恐ろしいジョブ型雇用、ミスマッチの解消が運用の要に

人ありきで仕事を割り振っていくメンバーシップ型雇用に対して、仕事に対して人を割り当てていくジョブ型雇用で課題となるのは、ミスマッチが発生しがちなことです。足りない役割は外から採用すればいいのですが、問題はジョブからあぶれた人をどうするかです。欧米では契約解除とするのが一般的ですが、日本では解雇が厳しく制限されてきたとされています。

ジョブ型の「本家」の欧米では、実績があがらず会社が改善を促しても結果に結びつかない場合、契約解除になるのが一般的だ。これに対し解雇が厳しく制限されている日本の現状では、ジョブ型雇用は社内の人材流動性を高める形での運用が中心になる。

日本の雇用規制が厳しいために雇用の流動性を妨げてきたとは一般によくいわれることですが、以前ジョブ型雇用を標榜していた職場にいたわたしにしてみると、そう聞くと不思議な気持ちになります。

しばしばアップオアアウトといわれている外資系コンサルティングファームにしても、グローバルでジョブ型雇用を運用している外資系テック企業にしても、日本に事務所を置いて日本法に準拠して従業員を採用している場合には日本の雇用規制による影響を免れません。しかしながら日系企業と外資系企業とで、実際にはかなり運用が異なるように見受けられます。

わたしがジョブ型雇用の外資系テック企業に就職した翌年、同期入社の何名かはロックアウトの対象になりました。不振の家庭用ゲーム機向け開発チームがなくなって、宣告から間もなく職場から叩き出されたのです。日本法人ができて三十数年、わたしが知る限り米国流ロックアウトはその1回だけですが、採用を続けながら従業員を解雇することは広く行われていました。

評価が低迷して改善が見られない場合や、組織変更でチームごとなくなった際には3ヶ月の猶予期間が与えられて、その間に社内外で転職活動をすることになります。必ずしも評価低迷=即解雇という訳ではなく、なかなか成果が上がらないということは部署と本人との相性なり適性に問題があるのだから、本人のためにも動かした方が良いという説明には一理あります。社内で別のポジションに就いて見違えたように活躍するケースもあります。

悩ましいのは景気の低迷期で、経済状況の変化に応じてチームを縮小する場合、他の空きポジションも採用凍結となって、行き場を失って退職せざるを得ないケースが少なからずありました。たまたま居合わせたポジションがクローズされることで退職を余儀なくされる訳です。わたし自身、上司と社長との折り合いが悪く、ポジションを削られてクビになりかかった経験があります。その際は周囲の働きかけに助けられて会社に残ることができましたが、その騒動の数ヶ月後には上司が会社を去ることになりました。

日系企業の管理職であれば「整理解雇の4要件」(東洋酸素高裁判決)について研修で学ぶでしょうから、何故そんなに安直な解雇が可能なのか、不思議に感じるかも知れません。しかしながら現実問題として、入社時から社内ルールについて適切に説明していればトラブルに至るケースは限られ、従業員をそうそう解雇したからといって裁判にまでは至らないのです。いざ裁判となれば長い期間が必要となりますし、会社を訴えること自体が本人の再就職を難しくしてしまいます。

わたしも理不尽な解雇に直面した同僚の相談に乗る機会が少なからずありましたが、徹底的に争ったところで割に合うケースは限られるのが実情です。無理をして居残ったところで居心地は悪く、今後の昇給も期待できないし、本人のモチベーションも高めづらい、さらに雇用主を訴えるような人だと思われることが今後の再就職にプラスに働くこともありません。かといってそのままナメられて泣き寝入りするのも癪なので、粛々と転職活動を行いつつ、改めて弁護士を通じて人事に連絡を入れて、退職金を何倍かに積み増してもらうことをお薦めしました。仕事や上司との関係で行き詰まって解雇されてしまう従業員でさえ簡単に再就職できるくらい優秀で、退職金をいくらでも積み増せる財務体質だったからこそ、偶々それが可能だった訳です。

しばしば日本は解雇規制が厳しいので雇用の流動性が低く、成長セクターに人材をシフトさせることが難しいといわれています。しかしながら同じ日本の雇用規制の下で欧米流のジョブ型雇用を運用している組織もあるのは、つまるところコンプライアンスに対する考え方に大きな違いがあるからです。長期雇用を前提に経歴にミソをつけることを嫌がる日本企業の人事は「裁判沙汰」を起こして自分の社内経歴に傷がつくこと自体を恐れて、会社の利益のためには取るべきリスクを取ろうとしない場合があります。一方でジョブ型雇用で採用されたHRや法務は、確率的に裁判で訴えられるリスクや、その場合の裁判費用・賠償責任と、解雇を行わないことによって会社全体で要する費用とを比較衡量し、企業として経済合理的な行動を取ることを躊躇う理由がありません。仮に裁判になったとしても会社の立場を主張して損害を最小限に抑えることが転職の際に経験として売りになることさえ考えられます。どちらが社会の公器として相応しい行動か、経済合理的職業人として腹を括れているかは読者の価値観に委ねましょう。

いずれにしても日本でも導入が進んでいるとされる「ジョブ型雇用」の運用が上手くいくかどうかは、職務と適性とのミスマッチをどこまで解消できるかにかかっています。それは外資系企業がやってるのと同じように解雇したらいい、政府が硬直的な雇用規制さえ緩和してくれれば大胆な打ち手を考えられるのにといった安直な話ではありません。入社時に従業員に対してどのような約束をして意識付けを行ってきたか、従業員のエンプロイアビリティー・市場価値を高めるためにどれだけの機会を与え投資を行ってきたか、社内でのキャリアについてどれだけ本人に選ばせて自分事として意識付けさせてきたかといった過去の蓄積が効いてくる話で、後から付け焼き刃的に職務定義書をつくったところで、これまでのやり方の延長線上で人事が人を組織に填め込もうとしているうちは、そうそう組織文化は変わらないし、安直に解雇しようとしたところでトラブルに発展することは容易に想像できます。

一方で空前の新型コロナ不況は、日本企業が墨守してきた「整理解雇の4要件」を満たした上で、多くの従業員を解雇し得る機会となるでしょう。業績不振時の人員縮小は同時に、企業にとって優秀で必要な人から抜けていく危機に他なりません。やや穿った見方をすれば、整理解雇の4要件で求められている被解雇者選定の合理性・手続の妥当性を担保しつつ、必要な人材を引き留める下準備としてジョブ型雇用への移行を緩やかに進めることは、特に海外でジョブ型雇用を実践している日本のグローバル企業にとっては、先を見た合理的な企業行動といえることも確かです。

今はまだおままごとのように見えてしまう日本の「ジョブ型雇用」ですが、10年後20年後に振り返った時、戦後の雇用慣行から軌道修正して、失われた四半世紀を脱して新たなモデルを模索していく上で、転換点となるかも知れません。そういった文脈もうっすらと意識した上で、これから自分の仕事を取り巻く環境がどのように変化していくか、これから自分がどうやって社会から必要とされ続けることができるのかについて、この4連休は外出も難しいことだし、胸に手を当てて考える機会としては如何でしょうか。

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