差別発言への怒り

まともな人が差別発言に怒る理由を説明する。


怒りの発生の機序

まともな人、やさしい人、弱者を助けようとする人、人権を尊重しようとする人にとって、差別発言は腹立たしい。そもそも差別発言は全て間接的な人権侵害なので、発言として妥当ではなく、人の目に触れてはいけない存在、社会に可視化されてはならない存在である。目にも耳にも入らない、存在自体が認識できない差別発言に対して腹を立てることは不可能である。

ヘイトスピーチや差別発言は、現在の社会制度では防げず、周囲が善意でいくら批判や啓蒙をしたとしても強制力はなく、結局は発言者の良心に期待するしかない。差別発言への苛立ちはの元は、悪意のある発言者に期待を裏切られ続けることへの落胆や無力感といえる。

もし差別発言をした人が、全て正しく罰せられたり、人権制限として発言する権利を一定期間制限されるなどすれば、苛立ちも怒りも著しく抑えられるだろう。

理由がある怒り

差別発言に対して怒りを感じることは、まともであって、正義であって、恥じる必要は全く無い。むしろ人権侵害という絶対的な悪に対して怒ることは、人間の責任であって道徳的な義務といっても過言ではない。

しかし、ただ感情的に怒りを表して終わるだけではなく、その怒りを客観的に説明できる心構えを持たなければならない。他者に対して、社会に対して表明する怒りもまた言論であるから、その言葉の責任を持つ必要がある。言い換えれば、言葉にも感情にも責任をもって、社会に対して説明責任を果たすことができるのであれば、迷うことなく怒りを表明したり、他者の怒りへの共感も示すべきである。

理由のある怒りを表明することは、非暴力的で平和主義的な行為であって、権利であって、「武器」である。

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