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シン・マサおじさん

どうも、ご無沙汰しております。えへへ(〃´∪`〃)ゞ
何度も言いますが、NOTE辞めませんよ。

およそ、100日以上NOTEを開きませんでした。
と、言うか、パソコンを開きませんでした。
更に言えば、開く時間がありませんでした。

過去記事にコメントをくださっていた方、
後ほど、返信しますね。


さぁて、
この間、何をしてたか気になるでしょ?
(え?ど~~でもいいって?)

(;^ω^)

そんなこと仰らず、
ちょっと、お付き合いくださいませ。


実は、昨年10月ごろ
ちょうど、鍋屋を閉めた直後です。
ある会社に呼ばれまして、

そこは、内装設計&広告デザインの会社です。

「新たに、飲食店部門(居酒屋スタート)を始めるので、
マサさんに、店舗の立ち上げから管理をお願いしたい」

と、お声がかかりまして、

今年の1月の頭から勤務開始!



・・・のはずでしたが・・・



「オミクロンが流行って来だしているし、
今の時期の開業は得策ではないので、
この話は無かったことにして欲しい」




何だと~~!




当時、無職期間ながら、自分なりに
リサーチしたり、メニュー考えたり、
居酒屋にアルバイトしたりしながら
(無給ですが…)
過ごした日々は、
すべて、あっという間に
トイレの💩のように、流されてしまいました。


人間不信・・・・


でも、
捨てる髪(いや、神)あれば、
拾う神もいるもので、


台湾で最も長いお付き合いのある社長から
声がかかりまして、

社長「え?マサさん、今無職なの?」

僕「はぁ、そうなんですよ」

社長「何やりたいの?」

僕「もう一回独立しようと思ってはいるんですけど
このご時世でしょ?
持ち帰りも、店内飲食も出来て、
手に職をつけられればいいなぁ
って、業種を考えてます」

社長「例えば?」

僕「実は、ドリンクスタンドや、台湾小吃や、
  焼き鳥屋などを考えてまして。。。」

社長「それなら、うちの焼き鳥屋で働かない?」

僕「ほう」

社長「職人が一人いるから、手に職つけるんなら
   いい修行になると思うなぁ」


内装屋の社長に捨てられて2日後のことでした。


早速、働くことになりまして


超厳しい~~~~💦



妙なクラブに行けば、
お金払ってムチ打たれる所ですが
ここなら、お金貰えた上に
ムチ打たれるんだ!


ポジティブ思考


焼き鳥って、
『串打ち3年、炭の火起こし5年、焼き一生』

そんな事も言われている世界ですが、
そんなに時間はかけられないぜ!


とにかく集中!


鶏肉を切っては、串に刺し
切っては刺し
切っては刺し…

ところが、
「全然ダメ!」
「こんなもん、焼けるか!」
と言われる始末。

目の前でゴミ箱行き~~
(ニワトリさん、ごめんなさい)

最も簡単と言われている
ハツ(心臓)の串打ちが出来るようになるまで
およそ1ヶ月かかりました。


何クソ!負けるもんか!


片道2時間の通勤時間も、
誰より早く店に行き、準備をし、
誰よりも遅くまで掃除や片づけをする。

そしてまた2時間の帰路につく。

家に帰るともうヘロヘロで、
シャワーもせずに寝てしまう毎日。


それでも、無遅刻、無欠勤、無早退
修業中の身なんて、そんなもんですよね。


1月はまだ寒かったし、
でも、焼き鳥の現場は、
うだるように熱いし。

慣れていない分、
体が付いてきませんでした。



炭の火起こしでも、
結構、火のついた炭が割れて
破片が跳ねるんです。

最初の頃、
師匠が、床にはねた炭を
「ここ掃いといて」

と言ったので、


ヘロヘロになっていた僕は、

…とまではいきませんが、
遠からず、そんな状態でした。


今では、すこし慣れてきて
串打ちも6種類程度、
炭起こしや、焼きも少しずつ
やらせてもらえるようになりました。

孤軍奮闘ぶりは
また別の機会に書きますね。


ありがとうございます。100円で、6本増やせます。 あ、増毛の話です。