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失われた古楽器~十三弦弾琴~

【注】完全創作話です。事実を元にしたフィクションです。

【注】出てくる人物や研究資料などなど事実を元にしたフィクションです。

【注】事実と虚構が入り混じるので違和感を感じる方は感じます。

---prologue---

はるか昔、伝説の楽器とされた「十三弦弾琴」。

その存在はあくまで伝説であり伝説上の楽器だったのだが、、、

数日前、ひょんなことからその存在を裏付ける資料が発見された。

この物語は趣味が高じて独自に箏、三弦について研究(自称)している著者の研究日誌(自称)である。そんな著者は箏、三弦をこよなく愛するごくごく普通の主婦である。

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お箏の歴史を辿ると始まりは弥生時代。「和琴(わごん)」である。その和琴の歴史を辿ると、神代の「天沼琴(あめのぬごと」が起源とされる。日本神話に登場する弓、天香弓(あまのかごゆみ)を6帳用いて神楽の伴奏として奏でられた。当時の「琴」は神と繋がりがあり神聖なる楽器というイメージだ。その「天沼琴」を起源とし「和琴」として6弦、柱はなく撥で弾き、膝の上で奏でる楽器として発達。今でも雅楽の演奏の際に用いられる最も格の高い楽器である。

その後、奈良時代に「13本の弦」の「箏」が唐より伝来。奈良時代、平安時代に雅楽で用いられるようになり、雅楽で用いる箏を「楽箏」と呼び、また、平安時代には独奏楽器としても用いられた。

此度の伝説の楽器「十三弦弾琴」は文字の通り「琴」の文字が使用されていることから「箏」ではなく「琴」として伝わった楽器であると考えられる。唐より「箏」が伝来する前に日本に伝わったのか、和琴が国内で発達したのか、はたまた唐からの伝来に合わせいくつかの楽器が融合されたものなのか、、、

いずれにせよ、伝説の楽器が文章ではなく形が描かれた資料が発見されたのだ!

好奇心の塊である私が興奮せずにはいられない。

ここに研究日誌として記していこうと思う。

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そんな著者は上記でも述べた通り、ごくごく普通の主婦であり、名前は静御前(仮名)とでも名乗っておこうか。お箏も三弦も学生時代から趣味で続けている。練習することがとにかく大好きで常に「うまくなりたい」と思いながら練習に励んでいる。練習はもちろんのこと、歴史にも非常に興味を持っているため、自称「研究員」でもあるのだ。研究するものはジャンル問わず!疑問に思ったもの全て、解決するまでとことん研究する!!そう、研究も大好き、変わった主婦なのである。あくまで自称だが。

数日前、最近始めたSwitter(スウィッター)なるもので情報収集を進めていた。令和の時代とは素晴らしいもので、図書館に行かなくとも書物も読めて本も買える、Switterには博識な方ばかりいて、私の知識なんて底辺に等しく若干恥ずかしい気持ちでいっぱいにもなるが、元々非常に前向きな性格のため、勉強になることが多く、常に知識を得ることができる状態に嬉しさと感動を覚えている。そんな秋。

何気なくスマホをスクロールしていると色鮮やかな浮世絵の記事が目に入った。日本古来の色、紺藍、緋色、紅、山吹色など鮮やかな色合い。これはある美術館の記事であった。私の手は自然と止まり、その浮世絵に吸い込まれるようにして見入っていた。江戸時代の遊郭を表現したものだろうか。遊女、芸者と見られる女性達が箏を奏でている。身に纏う着物の色はため息が出るほど美しい。「・・・っはぁ~~」と見惚れていたのだが妙な違和感を覚えた。「箏」が「箏」ではないのである。

「箏」には「柱」が存在する。しかし、ここに描かれていた箏には「柱」がなかった。どういうことだろうか。私はすぐさま主婦仲間である「さくら」に連絡を入れた。さくらは趣味を同じくする心強い同志である。私よりも3個年上で箏の技術も音楽の知識も上級者だ。常に冷静沈着、非常に頼りになる先輩である。困った時には「さくら」を頼っている。先輩なのに「さくら」と呼ぶのはそう呼べと言われたから。それだけである。

おっと!少々話がそれてしまった・・・戻そう。

さくらに連絡を入れ、彼女の見解を伺うため、緊急会議を開くこととなった。数日後、お互いに資料を持ち寄りつつ会議という名の井戸端会議が開かれた。

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会議はさくらのアトリエで行われた。鎌倉のとある小高い住宅街。本当に静か。住宅街か、と疑うほど周りは緑が多く、風が吹けば心地よく、その風の音も歌っているよう。オシャレな家も多い。鎌倉の昔と今が上手く融合している良い場所だ。少し歩くと緑に囲まれた小さな神社があり、もう少し歩けば海が見える。一軒家を持っているさくらは趣味のお部屋であるアトリエを敷地内に作ってしまった。旦那さん、寛大すぎる。そんなさくらのアトリエは見た目cafeだ。珈琲の香りが漂ってきそうな、オシャレすぎるアトリエである。

「さくら、こんにちはー入るよー」中に入ると珈琲の香りではなく畳の香りが漂ってくる、和と洋が上手く融合された空間となっている。20畳位のワンフロアがそんなに高くない本棚で仕切られており、中には沢山の本が並び、楽譜も多い。研究のためのデスクが壁沿いにL字に2面、並んでいる。「静!!」ともの凄いキラキラの笑顔で迎えてくれたのがさくらだ。デスクで丁度資料を広げているところだった。「待ってた!!入って!持ってきた資料ここに出してほしい!」キラキラすぎる!!さくらはやる気だ!!なんだか私も燃えてきた!が、ふと、奥の部屋を覗くとお箏は立掛けられ三弦は桐のスタンドに立てられていた。すぐ練習ができる環境だ、羨ましい。練習場所の方が少し狭い印象だが、練習するには十分な広さだった。・・・そうだ、今日は練習ではない。少し浮気をしそうな私であった。


---4---

そもそも「十三弦弾琴」が何故、伝説となってしまったのか。

まず、「十三弦弾琴」は簡単に表現するとハープに近い。「琴」という文字の通り柱は存在しない。ハープのように出したい音を弦の張り具合で調整する。ハープとは違い、縦にすることはなく、箏のように横にして演奏をする。地につけることはなく、膝に置いて演奏をする。

現在では存在しない。でもこんな楽器があった、ということは歴史の教科書にも記載があり、古文書にも記載がある。文章では分かっているのに、実物を現すモノがないのだ。故に伝説上の楽器とされている。なのでその伝説の楽器である十三弦弾琴を描いた浮世絵が発見された、というのは歴史的発見なのである。

奈良時代に「箜篌(くご)」と呼ばれた楽器が存在する。今でも正倉院に残っている。こちらは23本の糸を張った三角形の形をした、ハープに似ている楽器である。箜篌と箏の起源は全く異なる。が、「十三弦弾琴」との関わりはゼロではないように感じるのだ。時代のほんの一時、「十三弦弾琴」がこの世にあり演奏されていた。その事実を証明すべく、私とさくらの研究が開始する。


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まず、私は「箜篌」について調べていた。

「箜篌」もなかなかに興味深く、起源は中国、漢代。臥箜篌(ふせくご)の後、竪箜篌(たてくご)が伝わり明代以降にそれぞれ衰退。朝鮮にもかつて似たような構造の楽器が存在したようだが現在は衰退。日本には中国→朝鮮の順で奈良時代に伝わったようだ。しかし平安時代には同じように衰退している。

!!?ここで興味深い事柄を発見する。

臥箜篌(ふせくご)は琴や琵琶の分類に入り、弦の数は5~7弦。ハープのような構造ではなく琴に琵琶の柱が入ったような・・・なんだか特殊な形をしていた。その柱の上を押さえ音を奏でる。膝の上に置いて撥のようなもので演奏する楽器である。少し和琴に似ている??

ここで閃いた私。

閃いた瞬間「ぬあっ!!!」なんて大声を出したものだからデスクで資料を広げていたさくらがビクっと驚き、同時に資料の「くしゃっ・・・」という音が聞こえた。「あ・・・」と思いゆっくりとさくらの方を向く。案の定その形相は般若の如し。無言で資料についたシワを伸ばし始めた。無言、怖い・・・。さくら、ごめん、と心の中でそっと呟く。合掌。

気を取り直して改めてさくらに話しかけた。

「さくらさん、少しお時間よろしいでしょうか。わたくし、閃きました」

無駄に丁寧語を使用し謙虚さをアピール。

「膝の上で弾く、これは和琴と臥箜篌の要素。柱がない、ハープのような構造は竪箜篌の要素。十三弦弾琴は「和琴」と「箜篌」の要素を取り入れ独自に開発された楽器なんじゃないかと思ったんだけど、どうかな?時代は箏が伝わった奈良時代初期から平安時代初期??楽箏が発達する前まで。箏の13本の弦でハープ方式の楽器開発してみようぜ、的なノリだと思って!どうかな?!」キラキラさせながらさくらに問う。

「そのノリはちょっと、、と思うけど独自開発という点は丁度私も調べててそう思ったところ。これを見るべし!!!」


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と言って、さくらが見せてくれた資料はその「楽箏」についての資料だ。

再度記載するが「楽箏」とは雅楽で用いられる箏の総称である。

「「琴」は古代の日本から存在する楽器。そして「箏」が奈良時代に唐から伝わった、と。同時に「箜篌」も奈良時代に伝わった。丁度ここら辺の時代って諸外国・・・まぁ中国や朝鮮かな、そこから音楽や舞や楽器やモノが色々と伝わって色々な文化が融合している時代だと思うんだよね。特に「音楽」という分野!!この時代に「雅楽」の原型が伝わっているのだよ。楽器と舞が伝わって、元々日本にある歌と舞が融合。日本人の感性に合わせて日本独自に改良されていった、と記載があるので間違いないね。十三弦弾琴は色々な要素が融合した時代に色々な要素を詰め込んだ独自開発された楽器なんじゃないだろうか。」

「箏」自体は上記の通り奈良時代に伝わっている。13本の弦、柱があり爪で弾く、いわゆる今パッと頭に浮かぶ「箏」そのものだ。

雅楽の始まりである雅楽寮が創設されたのが701年。そこで使用された箏を「楽箏」と呼び、雅楽が今の形になったのは平安時代半ばであり楽箏も確立されている。

私とさくらの見解によると下記にまとめることができる。

■十三弦弾琴とは・・・

①平安時代に入り楽箏が確立されるまでの間に独自開発された楽器

②箜篌(竪箜篌と臥箜篌の要素)と箏を融合させた楽器

→具体的には13本の弦、柱はなく音の高さは糸の張り具合で調整、膝に置いて指で弾く

③他の楽器と同じで文献上には記載のみ残り衰退していった楽器

となる。


では何故、江戸時代に浮世絵で描かれそれが今、発見されたのか?

また、何故発展せず衰退してしまったのか。


私・さくら「次に浮世絵を描いた絵師を調べる必要がありそうだ。ふふふ。」

偶然にも同じ言葉、笑いを同じタイミングで発した二人であった(笑)


ーーーーー7に続くーーーーー














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