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私の好きな曲の話をします。② ハルカトミユキ「DRAG & HUG」




 こんにちは。シリアスファイターです。





 気楽な気持ちで、自分が長い間大切に聞いている曲について、不定期で気の向くままに言語化してみようという取組の2回目。





 今回は、2人組音楽ユニット、ハルカトミユキが2016年に発表した楽曲「DRAG & HUG」についてです。


 コンスタントに新曲を出し続けている訳ではありませんが、今になっても定期的に聞いている大好きな2人の音楽。




 そんな2人の音楽の中でも、特に激しいロックサウンドを携えたこの一曲は、私の心を捉えて離しません。


 それまでのハルカトミユキにも、いわゆるロック好きにたまらない歪みやバンドサウンドが前面に出た曲は多くありましたが、この曲は同じようなサウンドの中でも、それまでと全く違う印象を抱いた、発表当時の私。


 この2人の曲にバンドサウンドによるアレンジが施される際は、それまでヘヴィで暗く重い曲が多かった印象でしたが、この曲は軽快…とまではいかずとも、「どんな険しい道もこの一足があればひと安心!」できるような丈夫な靴を履いて、ズンズン進んでいくようなストレートな音像とメロディが流れ込んできます。
 ちょっとでもロックが好きな人なら誰でも、一聴して文句なしにかっこいいと思える歪みとサウンド。



 ただそこで「軽快」と言い切れないのは、この2人の音楽にとっては至極当然であり、そこに乗るハルカさんの歌声も、ミユキさんのキーボードと透明度の高いコーラスも、どことなく陰鬱な影を帯びています。



 言うなれば、ため息を吐き続けているような温度感
 これはこの曲というより、ハルカトミユキの音楽全体に言える魅力です。




 普段はとてもじゃないけど言葉にできないことは誰にだってあると思います。
 でも、「それ」を吐き出すことすら許されない状況に置かれた人が、吐き出さないと心の限界値を振り切りそうになった時、吐露されるように身体の内側から漏れ出る呼吸。



 この後に、「溜息の断面図」というアルバムが発売されるくらい、そのため息の質感や温度感を歌と音にさせたら、右に出るものはないと言いたいのがこの2人の音楽で、この曲で歌われることも、うんざりするほど続く毎日の中の、「割り切れなさ」に対する苛立ちや恐れです。


 ああ なんて愛おしい 曖昧な日々
 苛立ちさえ うやむやにして 
 後味悪いままゆく

DRAG & HUG



 生きていると驚くほどはっきりした答えが出せないことばかりで、そんな現状を変えたくても変えられない(時に変えようがないということもありますが)自分にも辟易して、「どうにでもなれ…」と心のどこかで思いはしても、感情に任せて目の前の全てをめちゃくちゃにすることはできない。



 そんな自分が可笑しくて、そんな自分が愛しくて?、苛立たしくて…。
 自分の存在すら曖昧になる日々を写す音楽は、間奏で全てが分からなくなったように大爆発。




 ドラムとギターを中心とした激しいぶつかり合いの中をゆらゆらと漂うようなハルカさんのボーカルは、堰き止めていた心のダムが破裂しながらも、何とかそこにかろうじて漂う現実の自分の自我そのもののようです。



 そうして生き抜いた先のサビは、曲の前半部と全く同じメロディと演奏ですが、次のフレーズで一気に視界が広がります。


 過去はいつも 美化されるだけ
 やり直すのはごめんだ

DRAG & HUG




 たとえため息交じりだとしても、サウンドも相まって、「今この時」を生きていく意志を、何よりも歌っているハルカさんの力強い「眼差し」を心に受け止めます。


 白黒つかない 割り切れやしない 
 感情ひきずっていく

DRAG & HUG



 割り切れない思いが私の中で大きく爆発したところで、何も変わることがない人生だとしても、聞き終わった瞬間はスッと憑き物が落ちたかのような清々しさ。
 たとえ一時の薬のような効き目しかない音楽だったとしても、その一時に溢れるロックや音楽や人間に対する愛情は本物です。


 曖昧で割り切れない、たくさんの感情を抱えた、ただ1人の自分でしかない人生が、また始まっていきます。




 今回は以上です。



 最後まで読んでいただいたそこのあなた、本当にありがとうございました。


 第一回、この記事を書くきっかけの話➕鶴の「夜を越えて」については、こちらです。↓

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