見出し画像

『隠れ大阪人の見つけ方』に神奈川県民の僕が携わったワケ

8月1日に祥伝社より『隠れ大阪人の見つけ方』(なにわクリエイターズ・著)という本が発売されます。

大阪人のあるあるネタが90連発、23名ものイラストレーターによるイラストとともに繰り広げられる一冊。

笑いながら楽しめる、そして学べること請け合いです。

この本の一番最後をみていただくと、大阪にゆかりのある監修チーム4名とイラストレーター23名、制作協力者16名の名前が入っているのですが、制作総指揮として僕も名を連ねています。

なぜ大阪人じゃないのに携わってる?

では、なぜ大阪人でもない僕がこの企画に携わっているのか。

――さかのぼること30年前の話です。

神奈川で生まれ育ち、神奈川の中学校に通いはじめた僕は、大阪に猛烈にハマっていました。

きっかけは、上京したばかりのダウンタウンの存在です。

当時、確か『笑っていいとも』の火曜レギュラー出演者として初めて存在を知りました。(大阪と東京を行き来していると言っていた気がする)そして、大阪でのレギュラー番組である『4時ですよーだ』が最終回を迎えると本格的に東京に進出。

『ガキの使いやあらへんで!』と『夢で逢えたら』が深夜枠で開始したのです。ダウンタウンの存在が気になっていた僕は、いずれも第1回目から釘づけになっていきます。

そして2年後には、3度の特番を経て日曜夜20時に『ごっつええ感じ』が放送開始。もうすっかりダウンタウンの虜になっていました。

それと同時に、大阪への憧れは強くなっていくのです。

大阪のすべてが羨ましかった

ダウンタウンの番組を見終わるたびにいつも感じていました。

東京と笑いの質が全然違う。話が面白すぎる。レベルが違いすぎる。大阪弁は表現力が豊かすぎる。なんなんだ。同じ日本人とは思えない。こんな人たちを生んだ大阪という土地は、どんな場所なんだ……。

『ごっつ』で「オカンとまーくん」のコントを見ては、「あんなオカンが良かったなあ」と思い、『ガキ』のフリートークを見ては「自分もボケてみたいなあ」「バシっとツッコんでみたいなあ」と“憧れ”が強まるばかりでした。

学校に行くと、同じように影響されたのか「なんでやねーん!」などと息巻いてマネをしている同級生もいました。ただ、それはそれで「違う」と思っていました。

中途半端に「大阪かぶれ」になっても寒い。大阪に失礼だ。やるのであれば完全な大阪人にならなければいけない。

そこで僕は「大阪弁を学べる教材や学校は無いのか?」という疑問を持ちはじめます。

家庭教師から英語を習っている友達はいました。しかし、家庭教師で大阪弁を教えてくれる先生はいませんでした。

ふと駅前を歩けば「NOVA」ばかり。誰か大阪弁を学べる「DOYA」とか作れよ、駅前に!などと一人で憤っていました。

そうして僕の「大阪への憧れ」「大阪人への羨望」は行き場も無いまま胸にひっそりと仕舞い込まれ、月日だけが流れていくのです。

30年の時を経て、大阪への憧れを昇華させる時

ダウンタウンに出会い、大阪に憧れはじめてから、30年が経ちました。

既に40代に突入してもなお、変わらずダウンタウンの番組は見続けていました。今では『ガキの使い』を見ることが毎週日曜だけでなく、大みそかの恒例行事にもなっていました。

そして、今年の3月23日のことです。

僕が出版における“師匠”と勝手に仰いでいる土井英司さんのセミナーに行った時のことでした。

※ちなみに土井さんは世界で1000万部売れた『人生がときめく片づけの魔法』のプロデュースなどを手掛けられている方です。

土井さんが過去にベストセラーになった「●型 自分の説明書」という血液型あるある本を例に出し、「あれはB型から先に出したのが良かった」という話をされました。「B型は自分に興味があるからすぐに飛びつく」と。

僕もあのシリーズは買っていたので「なるほど」と興味深く聞いていると「同じ文脈で『隠れ大阪人の見つけ方』っていう企画は面白いと思うんだよね。誰かやってみたら?」と言いました。

僕はメモ用紙に『隠れ大阪人の見つけ方』と走り書きをしながら、30年分もの熱い何かがこみあげてくるのを感じたのです。

「これだ……これだよ……大阪への憧れを昇華させる時が来た……ッ!」

偶然が重なって、「好き」が「仕事」に変わる

僕は翌日、ある編集者さんに連絡をしました。

実はこの時期、ちょうど自分の本の執筆を進めていたのですが、偶然ながらその担当編集者さんが同じセミナー会場にいたのです。

「昨日、土井さんが言っていた大阪人の企画の話、あれやりたいと思うんですよ。どう思います?」

すると、その編集者さんも興味深く思っていたようで「やりたいですね」と意気投合したのです。

「僕の本よりも先に、こっちをやりましょう!」

ただ、ひとつ課題がありました。

「でも、大阪人にも制作に携わってもらわないといけませんね……」

そう、やはり『隠れ大阪人』のことを書くとは言え、“ネイティブ”な大阪人に監修をしてもらわないといけません。

しかし、ふと自分の手帳を開いて驚きました。その1週間後に、偶然ながら大阪でデザイナーとして活躍する友人と東京で会う約束があったのです。

「これだ!」

30年越しの「好き」が「仕事」へと変わった瞬間でした。


そこから4か月間。

大阪の友人を含む、大阪にゆかりのある4名の監修チームと23名のイラストレーターと共に、1冊の本を完成させていったのでした。

隠れ大阪人の見つけ方』(なにわクリエイターズ・著)祥伝社

完成させていくプロセスの詳細は、またどこかでいずれ。

頂いたサポートは私が新刊を書く際の取材費に使わせていただきます。新刊はあなたのサポートによって出すことができますです。