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ほとけさまのおしえ「悔いが残るあなたへ」

 人が亡くなるとよく「生きている間にもっと優しくすればよかった」とか「あの時こうしておけばよかった」と悔やんだり悲しんだりすることがあります。

 確かにその時々に、最善の判断や対処ができることはなかなか難しいものですし、後からもっといい案を思いつくこともあり、「後悔が先に立つ」ことはありません。

 あの時、感情に任せてあんな言葉を言ってしまったと後から悔やんでももう戻ることはありません。

 生きている間にもっと親切にしておけばよかったと思っても、亡くなった方を生き返らせることはできないですよね。

 そんなことで悔いを心に刻みながら毎日を過ごしてみえる方も多いと思います。

 でもよく考えてみると「悔いが残らない」などと言うことはあるのでしょうか?

 どれだけしてもどのようにしても、やはり後悔の念はどこかしらにあるものです。

 むしろそのことに意識を奪われ、今このときの時間を過ごしてしまうことのほうが悔いが残るかもしれません。

 私はそういう時にはこう考えるようにしております。

 阿弥陀如来様に救い取られて、必ず極楽浄土に生まれる私たちは、そこでまた再び「必ず会えるのだ」とされております。

 その時に謝ったり、後悔したことをして差し上げたりできるのではないかと。

 なので、後悔はまた極楽浄土で会うときに「して差し上げたいこと」として取っておくというのはいかがでしょう?

 そうすれば、後悔に囚われて今この時を「虚しく過ごす」という後悔はしなくてもよいのではないかと思うのです。


☆今日の一句☆

 後悔を
   してる間に
       我も逝く

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