仏教に学ぶ生き方、考え方「自分がコミュ障と感じるとき」
「コミュ障」という言葉が使われるようになって久しいです。
特に若い人と話していると、「私、コミュ障なんです」と言われたりしますが、「けっこう自己開示してるやん?」とツッコミを入れたくなってしまいます。
コミュニケーションに障害があって、なかなか人と上手く関われずに「引きこもったり、人を避けたり」してしまうことを言うそうです。
だとしたら本当に「コミュ障」なら自分がコミュ障ということも言えないはずですよね?
それはさておき一般的な「修行」とはいわば自分から「コミュニケーション」を絶ってするものです。
比叡山には数々の厳しい修行がありますが、その一つに「十二年籠山行」があります。
これは十二年間「浄土院」に一人で籠もり、「最澄様」のお世話をするという厳しい修行です。
つまり十二年間、誰とも話さないわけで、戦後七人しか「満行」(達成)されていないそうです。
そういう修行もある一方で、浄土系では「お聴聞」(おちょうもん)が重視されます。
これは「仏の教えを、どんどん聴きなさいよ~」ということです。
そして「聴いたことをもう一度、御同行同士で話す」ことも行われました。
これが「談合」(だんごう)と言われるものです。
今の談合とは意味合いが「全く」違いますよね?
ということで、何が言いたいかというと、コミュニケーションを「断つ」ことも、また積極的に「する」ことも、仏教の中では大切に扱われてきたということです。
なので「コミュ障」の方も安心して、仏教を学んでいただければと思っています。
☆今日の一句☆
仏教は
話す話さず
みんないい
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