見出し画像

仏教に学ぶ生き方、考え方「社会的地位をどう見ていくか?」

 皆さんには社会的な地位はありますか?

 例えば「〇〇株式会社取締役」とか「〇〇市役所市民課長」とか。

 一従業員であろうと、パート従業員であろうと、どこかに所属して給料や報酬をもらっていれば、それは社会的な地位になるでしょう。

 それは宗教団体においても同じです。「〇〇宗〇〇寺住職」であり「総本山の座主」という地位があったりするでしょう。

 それは自ら勝ち取ったにしろ、誰かに与えられたにしろ、あなたの価値を保証するものになると感じ、名誉に思うと思います。

 でも同時にそれを得ることにより行動が制限されたり、自分のしたいことを諦めたりすることもあるはずです。

 私はそういう地位に就くことを否定はしませんし、むしろ素晴らしいことだと思っております。

 でも自分はなるべくそういうところから離れていたいと思っています。理由は簡単で、できるだけ背負うものを少なくして身軽に人生を歩んでいきたいと思うからです。

 お釈迦様も釈迦族の国王という地位を自ら捨てて修行に入りましたし、親鸞聖人も比叡山での修行を諦めて、法然門下に入ったりした経緯があります。

 そして自分の赴くままに道を求めた結果として、人々に素晴らしい教えや考え方を残されたのです。

 社会的地位を手放すことになり、これからの毎日に恐怖を覚えている皆さんがいたらこう伝えたいなと思っています。

 「それほど怖がることはないですよ!むしろあなたは呪縛から解き放たれたのです。これからは自由に空を飛び回ってくださいね!」と。

 身体ひとつで世の中を渡ろうとしている皆さんに、祝福のメッセージを送りたいなと思っております。


☆今日の一句☆

 我れ凡夫
    地位に縛られ
         安心す

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?